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「ブライアン・ウィルソン/約束の旅路」(米)【今月の映画】

2022年07月29日12時00分

ブレント・ウィルソン監督

「天才」の純粋な音楽への愛、魂の闘い

 今年の夏もきっとラジオからビーチ・ボーイズの歌声が聞こえてくる。米カリフォルニアで生まれたこのグループが一世を風靡(ふうび)したのは1960年代の前半。「サーフィン・U.S.A.」や「サーファー・ガール」など数々のヒット曲は、半世紀を優に過ぎても夏の定番だ。しかし彼らが海やクルマ、ビキニの娘を歌ったのはキャリア初期の数年でしかない。ほどなく芸術性の高いロック史屈指の名盤を生み出すが、バンドの中心人物であるブライアン・ウィルソンは、孤独な苦しみの淵に沈んでいく。美しいハーモニーの向こうには壮絶な魂の闘いがあった。(時事ドットコム編集部 冨田政裕)

【写真特集】ブライアン・ウィルソン★ビーチ・ボーイズを創った天才

 60年代の同時期に覇を競ったビートルズの4人に比べれば、ビーチ・ボーイズのメンバーの知名度は高くない。ただしブライアン・ウィルソンだけはロックの歴史において特別な存在とされている。作曲・編曲能力はポール・マッカートニーも舌を巻いたほどで、音楽関係者は彼を表現するために「天才」という言葉を惜しみなく使う。

 稀代のクリエイターは波乱万丈の道を歩み、今年6月で80歳になった。音楽の神が授けたとしか思えないその才能を十分に使い切ったかと問われたら、素直にうなずくことは難しいかもしれない。けれど彼はこのドキュメンタリー映画に出演することによって、過去のつらい出来事にもう一度向き合い、命を燃やしながら歌う意義を明らかにしたように思える。

 映画の全編を通じて軸となるものは、自動車の助手席に座ったブライアンの姿だ。ハンドルを握るのは古くから親交のあるジャーナリストのジェイソン・ファイン氏。二人はビーチ・ボーイズゆかりの地を巡るドライブを続けている。デビューアルバムのジャケット撮影をした岬や故郷の町、ブライアンが最初の妻と暮らした家…。ファイン氏の質問に、ブライアンがぽつりぽつりと答える。車内に設置したカメラが、胸の奥にしまっていた感情のひだを捉えて映し出す。

 熱心なファンにはおなじみの話かもしれないが、このバンドの全盛期までの大まかな流れは次のようなものだ。

 ビーチ・ボーイズは60年代初頭、ロサンゼルス近郊に住むウィルソン家の3兄弟がいとこらと組んだバンドからスタートした。長兄のブライアンは早くからアコーディオンやピアノに親しみ、弟のデニスとカールにコーラスの指導をして美しいハーモニーの基礎をつくった。ブライアンは泳ぐことすら苦手だったが、サーファーのデニスからイメージを得て作った楽曲が立て続けにヒット。米国を代表する人気グループとなる。

 ちょうどこの頃、英国のビートルズが米国に進出して大旋風を巻き起こす。65年に彼らがリリースしたアルバム『ラバー・ソウル』にブライアンは刺激され、翌66年に負けじと発表したのが『ペット・サウンズ』だ。女性への憧れや愛の喪失、成長する苦しみを繊細に表現した美しいアルバムで、それ以前のサーフ・ロックとは全く異なる内省的な世界を描き出した。ライブ活動から離れ、スタジオ作業に専念してきたブライアンの創造的なサウンドに満ちた傑作だった。

 このアルバムは音楽関係者やミュージシャンから高い評価を得たものの、期待したほどは売れなかった。時代の先を行き過ぎていたのだ。ブライアンはなおも実験精神に富んだ曲づくりに挑む。イメージしたものは、神にささげる十代の交響曲。ところが方向性をめぐる意見対立やレコード会社の重圧などもあり、作業は混迷を極める。彼は精神を病み、ドラッグとアルコールに溺れて半ば廃人状態に。20年近く引き込もってしまう。

 ドライブをしながら撮影されたインタビューは3年間で70時間以上に及んだ。ファイン氏とのやりとりを補足する形で、古い写真やホームビデオの映像が多数挿入されている。ほっそりとして優しげな青年だったウィルソン兄弟のリーダーが、人生のどん底に落ちた時期の姿は衝撃的というしかない。その先にはさらに過酷な出来事も待ち受けていた。

 美しいファルセットはとうに失ってしまったが、ブライアンは今も疾患と闘いながら創作活動を続けている。老境に達しても歌い続けるスターを音楽関係者は敬愛の念をもって見つめている。映画の中には、ロック界の大御所やクラシック音楽の気鋭の指揮者らのインタビュー映像が差し挟まれ、ブライアンの存在の大きさをさまざまな言葉で語っている。

 ちなみに映画のサブタイトルにある「約束の旅路」は、「天使の歌声」と呼ばれた弟カールが作った歌の題名。弟と音楽を愛していたブライアンの純粋な思いが伝わってくる。この映画を見た後にあらためてビーチ・ボーイズのCDをかければ、今まで以上に深い響きと感情が聴き取れるかもしれない。

 8月12日から全国で公開。

(2022年7月29日掲載)

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