【ビジネスと人権・第7回】障がい児に立ちはだかる「18歳の壁」◆「子の卒業喜べない」家族の悩みとは?
2025年05月08日11時00分
障がいのある子が18歳となり学校を卒業すると、下校後の居場所となっていた放課後等デイサービスなど、それまで受けていた福祉サービスを利用できなくなります。就労継続支援事業所など成人向け福祉施設の多くは、利用時間が午後3~4時まで。その後は家庭での付きっきりのケアを求められ、親が離職に追い込まれるケースが相次いでいます。障がいのある子どもを持つ親からは「このままでは子の卒業を喜べない」という悲痛な声が聞こえます。
職場における女性や障がい者、外国人労働者への差別的な待遇やハラスメントをなくし、社員一人ひとりの多様なキャリア形成を尊重することは企業の持続的な成長につながるはずという思いから、「ビジネスと人権」について6回にわたってリポートしてきました。最終回となる第7回は憲法で保障された「働く権利」の侵害とも言える、障がい児とその家族に立ちはだかる「18歳の壁」について取り上げます。(時事通信社ビジネスと人権取材班)
母親の正社員率が低下
医療的なケアが必要な重い障がいのある子どもが18歳になり、特別支援学校などを卒業すると、下校後に過ごせる放課後等デイサービスの利用ができなくなる。
代わりに日常生活を支援する生活介護事業所や軽作業に従事する就労継続支援事業所などに通うことが多いが、午後6~7時まで利用できる放課後等デイサービスと異なり、これらの施設のほとんどは利用時間が午後3~4時まで。卒業を機に帰宅時間が早まった子どものケアのため、親は就労を諦めたり、パートに切り替えたりせざるを得ず、こうした障がい児と家族が直面する劇的な環境変化を「18歳の壁」という。そうした日々は親か子のどちらかが死ぬまで続くこともままある。
就労環境の変化が顕著なのは、子どものケアを中心的に担っている母親だ。一般社団法人「全国医療的ケア児者支援協議会」が2020年に実施したアンケート調査によると、通学や通所で付き添いが必要な子を育てる母親の正社員比率は、子が0~6歳のうちは25%であるものの、7~18歳になると9%、19歳以上では0%となった。
回答数が130人超という点に留意は必要だが、同協議会の小林正幸さんは「母親が離職してしまうケースは多い」と話す。12年に放課後等デイサービスが国の事業となり、全国約2万カ所で開設されたことで母親の就労環境は改善されたが、子の成長に連れて困難な状況に置かれる現実がある。
次元が別、あと2時間だけでも
昨年12月、障がい児や難病・医療的ケア児を育てながら企業で働く親たちが立ち上げた一般社団法人「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」は東京都内で記者会見し、18歳以降の障がい者が夕方から夜にかけての「2時間」を安心して過ごせる受け皿の確保を政府に要請した。
重度の知的障がいのある娘の卒業を契機に30年間働いた職場を退職した医療従事者の女性(50代)は、これまで介護休暇制度などをやりくりして対応してきたが、「『18歳の壁』は次元が別物」と訴えた。
再就職先が見つからない中で経済的に困窮。娘は目まぐるしい環境変化により自傷行為を行うようになったという。女性は「共働きが当たり前の世の中でありながら、障がい児を育てる親だけが取り残され、学校卒業後は子を家庭でみるという風潮が根強く残っている」と語った。
政府は少子化対策の柱として共働き・共育ての支援を掲げており、4月から改正育児・介護休業法を段階的に施行し、子育てや介護と仕事の両立のための従業員への「個別」の配慮を企業に義務付けた。障がい児を育てる親への支援では、子が3歳になるまでに全ての従業員から勤務時間や配属先などの希望を聞き取り、可能な範囲で配慮する必要があるとした。
一方で、「18歳の壁」を乗り越えるのは、企業側の配慮だけでは難しい。親がせめて午後5時ごろまで働けるよう、特別支援学校を卒業した障がい児の居場所づくりは喫緊の課題だ。
「親亡き後」にも直結
「18歳の壁」によって、親が正社員としてのキャリア形成を断念した場合に懸念されるのは世帯収入の減少だ。しかも、その影響は現役時代だけでなく将来にわたって続く。社会福祉学が専門の佛教大学の田中智子教授は、18歳の壁を巡る問題は将来的に「親の低年金」問題を引き起こし、外部の福祉サービスを利用しづらくなることから、年老いた親が障がいのある子の世話をする「老障介護」の一因にもなると指摘する。さらに親が亡くなった後の生活をどのように維持していくかという「親亡き後」問題にも直結する。
「『卒業おめでとう』とはならないのが障がい児を持つ親」。さまざまな困難を家族と乗り越え迎える子どもの成人を前に、ある母親は複雑な心境を吐露した。
田中教授は、「親が現役世代のうちに働いて老後までの経済的安定を得ることで、子どもが家を離れて(障害基礎年金などの)所得が入らなくても、親の生活が成り立つ状態を作り出さなければならない」と、働き続けられる環境の整備の必要性を強調した。
内閣府の「障害者白書」によると、23年度までの10年間で、国内の児童は1割減の941万人だった一方、特別支援教育を受ける児童は64万人に倍増し、児童全体の6.8%となった。放課後等デイサービス事業が開始した12年に小学校1年生だった子は、今年で19歳となる。子のケアと仕事を両立できる環境を整備しなければ、困窮世帯が増えるだけでなく、企業にとっても大きな損失を負うことになる。
田中教授は「ケアラーの視点を持った人たちが商品やサービスを開発していく意義は大きい」と話し、多様で柔軟な勤務体系を整備し、障がいのある子どもを育てながら働くという経験を持った貴重な人材を意思決定層を含めて登用するメリットがあると指摘。ただ、「企業努力だけでは難しい」として、「福祉の現場の担い手確保などを行い、障がいのある人の福祉資源の充実を国の政策として進めていくべきだ」と訴える。
障がい児を持つ家族の苦境は続くが、「親の会」の工藤さほ会長は「光が差し始めた」と手応えも感じる。障がい児の特性はさまざまで、支える家庭環境も一律ではない。改正育児・介護休業法の施行については、「個別のニーズにちょっとだけでも寄り添ってもらえることで、とてもありがたい気持ちになる」と評価。「18歳の壁」を巡っても東京都世田谷区で4月から18歳以降の自宅から生活介護事業所の日常の送迎に移動支援が利用可能となるほか、品川区も4月から生活介護の利用時間が延長できるようになるといい、こうした動きが全国に広がることへ期待を示した。
「当事者だからできること」◆親の会に聞く
障がいのある子どもを育てながら働いている、あるいは働きたいと思っている仲間とともに一般社団法人「障がい児及び医療的ケア児を育てる親の会」を設立し、会長を務める工藤さほさん(52)。新聞社に勤めながら知的障がいを伴う重い自閉症の長女(17)を育ててきた経験と、工藤さんの目から見える社会のありようについて話を聞いた。
―娘さんとの日々を教えてください。
夫婦ともに子どもが大好きで、子どもに恵まれますようにという思いで、子どもの日に入籍しました。生まれたときは感動で涙が止まらず、何があっても守っていきたいと思いました。
おかしいなと感じるようになったのは2歳ごろです。とにかく寝ないし、スプーンやフォークを使ってご飯を食べられない。ストローでしか飲めないし、嘔吐するまで泣き続けることも。常時見守りが必要な状況でした。
保健所から「いろいろな刺激を与えて下さい」と言われたので、さまざまな教育法を試しました。ただ、それが娘には大きなストレスになってしまいました。後に自閉症と分かりました。娘は落ち着ける空間、急激な変化がない生活を求めていました。
私の子は人間関係を築きづらいのが最大の障がいでした。「お母さんと手をつないでいるから安心」ではないのです。いつもと同じ道、同じ人や物の配置といったことを視覚で捉えて安心感を得ます。愛着関係を築くのに時間が掛かるので、私の復職にも時間がかかりました。
―家庭以外での生活は。
2歳から私立の児童発達支援センターに通わせることになりましたが、そこは初日から母子を分離させる方針を取っていました。娘はまだその発達段階になく、私と離れたことで嘔吐や帰宅後の睡眠障害が悪化し、家族も眠れなくなってしまい、すぐに退会せざるを得なくなりました。 3歳のころには別の児童発達支援センターに通うことになり、そこでは低刺激の空間で、1時間単位の母子滞在からゆっくりと慣れさせていくことができました。
―娘さんに合っていたのですね。
娘だけではなく、何も分かっていない母親を育ててくれました。私のお迎えが予定よりも5分遅れたときには、「やっと娘さんと信頼関係が築けたのに何やっているんですか!」と叱られました。自閉症の子にとっての1分は私たちよりもはるかに長いことを理解できていませんでした。少しぐらいの咳ならと連れてきてしまうと、体質の弱い子も周りにいますから風邪を引いただけで入院です。自分のことばかり主張していては受け入れてもらえません。
母親になり切れていない私に対し「施設を出たらあなたが娘さんの代弁者。娘さんのことをもっと理解しなさない」とも教えていただきました。そして長女が4歳のころに復職しました。上司に短時間勤務で、出張や夜勤のない条件で働けないかと相談したところ、新聞の読者の方々の声を伺う部署に配置していただき、7年半在籍しました。
―特別支援学校の入学も「壁」とされます。
娘が療育施設に通っているうちに、あちこち特別支援学校の小学部を見学しに行きました。どこに行っても泣いてしまう娘が、ある学校ではスーッと楽しそうに輪に入っていき、その夜に睡眠障害が起きなかったのを見て、迷いなく入学を決めました。そこでは「初めて」が苦手な娘の特性に臨機応変に対応していただきました。強度行動障害を発症しないよう、5歳のころから毎週土曜に通って慣らしていき、翌年の4月にはスムーズに入学できました。
ただ、今度は移動の問題が出てきました。学校は午後1時半ごろに終了するので、移動支援サービスを利用しましたが、人手不足でこれまでに何十人と代わってきました。そのたびに娘が安心できる道順や特性を説明するために私も同行しました。
―周囲の人が代わるだけでも大きな変化なのですね。
小学校2年生のときに夫が単身赴任になり、娘にとって夫は不定期に出没する生き物になってしまいました。夫がたまに帰ってくると娘はパニック状態に陥ってしまうので、主治医と相談し、赴任終了後もしばらくは家の近くにアパートを借りて一人暮らしをしてもらいました。
私が娘のケアのためにいつ働けなくなるか分からない綱渡りの状況なので、夫にはキャリアを積んでもらうことが大事だと考えました。疲れて帰宅しても自宅に入れず、「パパごめんね」と本当に思うのですが、家族のためにそうした支え合いの形を取っていました。
―経験を積み重ねた工藤さんだからこそ発揮できたこともあったのではないですか。
内勤ではありますが19年に編集局に異動になり、今年1月には自分の経験を連載記事にしました。記事を読んだ地方自治体の議員が福祉の現場への働き掛けを強めてくれるなど、手応えを感じました。本当に困っている人は声を上げる余力がありません。当事者だからこそ代弁できることがあり、読者にも響くことがあると思います。
また、デスクや記者が関連記事を書く時には、「きちんと寄り添えているか」「必要なことを見落としていないか」などと意見を聞いてくれることがあり、嬉しく感じます。
会社では仕事との両立に困ったとき、人事部が社内で活用できそうな制度を丁寧に教えてくれましたが、「ない制度は組合を通じた労使協議でつくれば良い」とも教えてもらいました。17年度に「障がい児医療的ケア児のための育児支援制度」の創設につながりました。
―不安に感じていることはありますか。
今は特別支援学校の後、夕方まで放課後等デイサービスを利用しているため、フルタイムで働けています。しかし、放課後等デイサービスは成人以降なくなり、娘は平日夕方の居場所を失います。幼いころから会えていた仲間と会えなくなり、娘は不安定になるでしょう。下の子が大学受験を控え、教育費がかさむピークの時期でもあります。私が働けなくなることで、娘たちの将来の可能性を閉ざしたくありません。1分でも長く娘を介護できるよう、健康や体力の維持に努めていますが、明るい未来像を描きづらいです。
―どうすれば寄り添っていけるのでしょう。
生活介護などであと2時間だけ、子の延長ステイをお願いしたいのです。それがなければ、定年まで短時間勤務をお願いすることになってしまいかねず、それは将来的な低年金にもつながります。本人やきょうだいを含めた家族の貧困を引き起こさないためにも、親の経済的基盤を壊さない持続可能な両立支援策が必要です。
改正育児・介護休業法で会社は社員の個別の事情への配慮が求められるようになりました。今回の法改正によって両立支援策の整備は進みましたが、福祉制度の充実はまだまだです。フルタイムで働き続けられるお守りがあることで安心して全力で働けるし、社会保障制度の持続性を考えても働きたい人は働ける環境になってほしいと思います。
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