最高時速500キロで走り、東京と大阪をわずか67分で結ぶ構想のリニア中央新幹線。JR東海は2027年の品川・名古屋間開業を目指してきたが、静岡県から県内工事への理解が得られず実現困難となっているのは周知の事実だ。一方、車両や運行システムの開発は、既にもう何年も前からいつでも実戦投入可能な段階にまで進んでいる。コロナ禍や物価高騰で社会経済情勢も大きく変化し、計画の先行き不透明感が増しつつある中、富士山麓の実験線で黙々と「走り込み」を続ける開発の現状を、試乗会を通して取材した。(時事通信経済部 岩田馨)
静かな走りだし
リニア新幹線の実験施設があるのは山梨県都留市。ここを拠点に富士山の北麓を東西に走る総延長42.8キロの実験線が建設されている。記者は3月に実施された報道機関向けの試乗会に参加した。
現在の試験に用いられている車両は20年に導入された「L0系改良型」。外観で目を引くのはやはり、鳥のくちばしのように伸びる先端部分だ。長さは15メートルで、先頭車両の半分以上を占める。運転席に当たるような部分に窓があるのも改良型の特徴だが、これはモニターのカメラ用。リニア新幹線には運転士が乗務せず、司令室の運行管理システムによって自動運転する仕組みだ。
車内の座席は中央の通路を挟んで両側に2席ずつ。東海道新幹線のN700系よりもひと回りは狭い。天井には、ひだ状の素材が貼り付けられ近未来感を醸し出していたが、これは消音効果を狙ったものらしい。
走り出しは、言われないと気付かないほど静か。浮上走行するのは、時速150キロぐらいからで、それまではタイヤで走行する。速度が上がるに連れて振動は少しずつ大きくなり、しばらくすると「ブンッ」と車両全体が一瞬軽く揺れた。浮上走行に切り替わったようだ。ちょうど電車に乗っていて特急列車とすれ違った時に風圧で揺れるのと似たような感じだった。
変わる旅の醍醐味
浮上走行になると振動がなくなると思っていたが、振動はそれほど変わらず、浮いているのかどうかは全く分からなかった。振動はその後さらに小刻みとなり、速度の急上昇を体感。発車から3分程度で、最高速度の時速500キロに到達した。
しばらくは、ほぼ500キロで走行し、振動はやや穏やかに。一定速度で走ると安定するようだ。騒音は新幹線より少しうるさい程度で、数時間程度は普通に座っていられる乗り心地だった。「昔は隣に座っている人の話が聞こえないほどの轟音だった」(JR東海広報)というから、技術改善がかなり進んでいることは分かった。この実験線は将来、そのまま営業線の一部になるという。
試乗を終えて思った率直な感想は、「もう明日からでも乗客を乗せて運行できるのでは?」。ただ、旅の醍醐味である車窓は楽しめなさそうだ。窓枠は車両の剛性を高めるため縦横約30センチと小さい上、品川-名古屋間はトンネルが総延長の約86%を占める。しかも乗車時間はわずか40分。首都圏の通勤時間の方が長いくらいで、旅や出張のイメージは大きく変わっていくだろう。
試験走行「地球108周分」
山梨の実験線では、既に四半世紀以上も前の1997年の建設以来、走行試験を積み重ねてきた。3月末時点の累計の走行距離は約435万キロ、実に地球約108周分に達している。
リニア新幹線の動力源である「超電導リニア」技術の開発が始まったのは、いまから60年以上前となる、旧国鉄時代の1962年のこと。東海道新幹線が開業する2年前までさかのぼる。新幹線開発の過程で、レールの上を車輪で走る速度の限界が認識され、より高速で安定走行するには「別の駆動方式が必要だ」と考えられるようになったという。
リニア新幹線では、車両と、レールに相当するガイドウェイにそれぞれ取り付けられたコイルで発生させる磁力を利用する。N極とS極が吸引あるいは反発する作用で車両を推進させ、さらに浮上した状態で高速走行できるようになる。
技術開発は順調
肝となるのが、ニオブチタン合金でつくられた車両側の超電導コイルだ。これを液体ヘリウムでマイナス269度まで冷却することで、電気抵抗がゼロで半永久的に電流を流せる「超電導現象」が発生する。強力な磁力を、発熱によるエネルギーロスもなく生み出せるという。
走行試験では、2015年に有人走行での「時速603キロ」というギネス記録を樹立。17年には国から「営業線に必要な技術開発は完了した」と認定された。それでもまだ走行試験を続けているのは、営業運転に近い形で「走り込み」を重ねることで、コスト低減や耐久性向上を図るためだ。
特に近年大きな進展を見せたのは、「高温超電導磁石」と呼ばれる技術。マイナス255度までの冷却で超電導現象を発生させるもので、液体ヘリウムが不要となって省メンテナンス、低コスト化が実現できるという。今は長期耐久性の検証を行っており、2025年度には完了する見込みだ。JR東海の開発担当者は「東海道新幹線がそうであるように、技術開発そのものは永続的に続けていくものだ」と強調する。
リニアの目的とは
東京と大阪をリニア新幹線で結ぶ構想は、1973年に全国新幹線鉄道整備法に基づく基本計画線に決定されたことで初めて具体化された。JR東海は87年の国鉄分割民営化直後、社内に「リニア対策本部」を設置。完全民営化を果たした翌年の2007年には、「独立自尊」を重んじた葛西敬之氏(当時は会長、22年5月死去)の主導の下、自社負担でのリニア建設を決断した。
JR東海がリニアを推進するのは、輸送能力が「限界を極めた」(葛西氏)と判断した東海道新幹線のバックアップを確保し、日本の大動脈輸送を強化するためだ。東海道新幹線の経年劣化や、南海トラフ地震などの巨大地震発生が近い将来に想定されることも背景。三大都市圏間の移動時間を大幅に縮めて「世界で前例のない巨大都市圏」を形成するという狙いもある。
整備計画は11年に決定。14年に品川-名古屋間の営業線建設がスタートし、現在は品川、名古屋両駅のほか、山梨や長野など沿線各地でトンネルや橋梁工事が進められている。
資材高騰、行動変容も
しかし現在、最大の懸案となっているのが静岡工区の問題だ。ルート上にある大井川の水資源への影響を巡り、静岡県の川勝平太知事が着工に難色を示し続けているためだ。国や流域市町も交えて打開策を探っているが、いまだ折り合えていない。JR東海が目標とする2027年の品川・名古屋間の開業はもはや絶望的で、今年4月に就任した丹羽俊介社長も、新たな開業時期は「めどが立たない」と認めている。
建設費の増加も懸念材料だ。JR東海は21年、難工事対応や地震対策充実などを理由に、品川-名古屋間の総工事費の見込額を当初の5兆5200億円から7兆400億円に修正した。ただ、その後も、世界的な資源価格の上昇などのあおりを受けて建設資材は高騰しており、丹羽氏は、工法見直しなどでコスト削減を進める考えを示す。「すぐに見通しを変えなくてはいけない状況だとは思っていない」と、再修正については否定するが、不安はくすぶっている。
品川-名古屋間の開業にめどが立たないことで、残る名古屋-大阪間の営業線建設に向けた環境影響評価(アセスメント)にも正式着手できていない。全線開通は、最短で2037年と想定されてきたが、後ずれは必至の情勢となっている。
また、現計画のベースとなっているJR東海の需要予想はコロナ禍以前のもの。コロナを経て、リモートワークが普及するなど人々の働き方や行動様式は大きく変容した。特に通勤や出張の鉄道利用は「コロナ前には戻らない」と鉄道各社が口をそろえる中、リニアについても計画が遅れれば遅れるほど、有効性や採算性を改めて問う声が強まっていくことは避けられないだろう。
JR東海は、超電導リニアを「大変長い期間をかけて技術を磨き上げてきた。これほどまでに完成されたシステムは世界のどこを見渡してもない」(丹羽氏)と自負する。その技術を「宝の持ち腐れ」とせずに生かしていくことができるのか。葛西氏という強力なけん引役も失った今、計画は正念場に立たされている。