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コロナ禍3年「失敗の本質」 尾身茂コロナ分科会長に聞く【政界Web】

2023年05月19日12時00分

 新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが季節性インフルエンザと同じ5類に見直され、3年余りに及ぶ「コロナ禍」が転機を迎えた。政府と感染症専門家の間で調整役を担いつつ、情報発信を続けたのが尾身茂・政府コロナ対策分科会長だ。感染流行は続くのか。政府と専門家に溝はあったのか。危機下で望ましい政治家の姿とは。5類引き下げを控えた5月初め、尾身氏に「失敗の本質」と「次への備え」を聞いた。(時事通信政治部 纐纈啓太)

【目次】
 ◇完全にガードを下げるのは早い
 ◇政治と役割分担が不明確
 ◇準備不足だった
 ◇医療界、感染症危機を想定せず
 ◇第三者で検証、次に備えを

【政界Web】台湾は東アジアの火薬庫か 米中覇権争いの最前線を読み解く

完全にガードを下げるのは早い

―現在の感染状況と、求められる対策は。

 5類になるからといって感染がゼロになるわけではない。今は第8波が下げ止まり、感染が少しずつ増えている地域もある。人の動きは活発になっている。ただ、どれだけ感染者が増えるか、感染の「波」の高さが第8波と比べてどうなるかはまだ分からない。

―既に国民の行動も変わり始めている。

 感染者数はある程度増えるだろう。5類にして社会経済を動かすということは、ある程度、社会が感染を許容するということだ。

 致死率は低くなっている。特に若い人たちはワクチン接種やウイルスの変化で感染してもほとんど症状が軽い。しかし第1波から第8波まで、死亡者数を見るとほぼ着実に増えている。

 世の中には致死率が低くなっているので「普通の病気」になったと捉えている人も多い。確かに致死率は低くなっているが、インフルエンザと比べれば感染性が極めて強く、死者数もはるかに多い。ウイルスの変異も続いている。少しずつ近づいてはいるが、完全に「普通の病気」にはなっていない。

 英国と比較すると分かりやすいかもしれない。英国はパンデミック(世界的大流行)前半に相当の医療崩壊が起き、かなりの人が亡くなった。だから日本よりも自然感染している人が圧倒的に多く、ある意味で先進事例を示している。その英国では、死亡者、入院患者数の振れ幅が少なくなっている。

―感染者数などが中位「安定」しているということか。

 中位か低位かは何とも言えないが、パンデミックから「エンデミック」(感染症が地域に定着した状態)に変わりつつあるのではないか、と専門家は考えている。

 日本はどうか。第8波までは間違いなく死亡者は増えている。英国のようなパターンにはなっていない。だから次に来る「第9波」がどうなるかは非常に重要だ。

 もう少し感染症学的な観点から言うと、致死率は下がっているが、感染力が強い。だから死亡者が多いのが1点目。

 2点目は、日本は超高齢化社会で、特に食事を飲み込む機能などに障害があり、サポートが必要な人たちに感染すると重症化して亡くなるリスクが高まる。

 3点目は、普通の病気はある程度、季節性のパターンがある。新型コロナは全く予想できない。変異がどういう方向に行くかも分からない。インフルエンザなどは予想が付きやすい。この辺りが違う。

 安価な薬が手に入りにくい点でも普通の風邪だとは完全に言い切れない。

―端境期の中でどう生活していくことが望ましいか。

 どういう場面で感染リスクが高いかは既によく分かっている。換気の悪いところ。大人数、マスクなしの状況でしゃべるところ。酒を飲めば声も自然と大きくなる。そういう点を再確認することが大事だ。完全に普通の生活というわけには残念ながらまだいかない。まん延防止等重点措置や緊急事態宣言を出すことはないだろう。だけど完全にガードを下げるのは少し早い。

 若い人は感染しても大したことはない。しかし高齢者で体が弱い人たちが感染すると急激に悪化する可能性がある。

 それぞれの立場と価値観によって二つの景色が見えている。一般の人には普通の病気。だけど病院や高齢者施設では今でもクラスター(感染者集団)が発生している。医療関係者はまだ緊張感が続いている。そういう環境にいる人のことも、社会経済を動かしながら頭の片隅に置いてもらいたい。

政治と役割分担が不明確

―政治との関わりも深かったと思う。特に問題意識を持った場面は。

 政府に対する専門家の本来あるべき姿は、リスクを評価し、求められる対策を提言することだ。政府が提言を採用する場合と、政府の考えが提言とは違う場合もある。専門家と政府の考えがいつも一緒でなければならないことはない。そうであれば専門家は要らない。

 ただ、提言を採用しないときは、政府が理由を説明することが求められる。それが透明性だ。全部、ドアの内側で専門家と調整したら透明性がないだろう。その役割分担が不明確で、試行錯誤のところがあった。

 もう一つは危機時の情報発信の問題があった。本来はリスクコミュニケーションの専門家の助言を受けつつ政治家が行うことだが、今回はわれわれが矢面に立たざるを得なかった。次のパンデミックに備えて、皆に共通の認識があった方がいい。

 もう少し詳しく話すと、2020年2月24日に専門家による最初の公式見解を政府に提言した。政府は当時、横浜港に停泊したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」内の集団感染の対応で忙殺されていた。

 専門家はその時点で、この病気はゼロにすることが難しく、既に感染は一定程度広がり、いずれ医療も相当逼迫(ひっぱく)するという問題の核心を認識していた。だから政府に見解を示した。

 しかし、メディアからその内容を記者会見するように求められた。するとそれ以降も提言を出すたびに会見を求められ、会見が定例化してしまった。2009年の新型インフルエンザ発生時、私は政府の諮問委員会の委員長だったが、会見を行ったことはない。専門家が会見するとは考えもしなかった。

 今回しょっちゅう記者会見するので「尾身さんたちが何でも決めている」という印象が一部に出たのかもしれないが、全くそんなことはなかった。

 当時の安倍晋三首相、菅義偉首相の会見に私が同席したこともそういう印象を与えたと言われる。国会にも一時期は午前、午後ともに頻繁に呼ばれた。そうしたことが、われわれが何でも決めている印象を与えたのではないか。

準備不足だった

―経済活動の制約や、東京五輪の「無観客開催が望ましい」と求めた提言が「国策」に影響を与えたのは事実だ。難しさを感じたか。

 確かに難しかった。経済の専門家も含めて政府分科会が求められた仕事は、感染状況とリスク評価をした上で対策案を示すことだった。「3密回避」「人との接触の8割削減」というのがそれだ。政府に提案したが、われわれが決定しているイメージで伝わった。

 難しいのは、政府が違う考えを持っていることが時々あったということだ。それが東京五輪や(観光支援事業)「Go To トラベル」だった。専門家の役割は提言することだ。政府と専門家の意見が違う場合は、国が最終判断することが必要。ここが肝だ。

 人々の生活に影響が及ぶ。科学技術の枠を超える。感染症という医学的問題だがインパクトは広範だ。

 しかし、そうは言っても敵は感染症だ。だからまずは専門的な評価と意見を聞いて、最終判断は政治家が行うのがあるべき姿だ。ところがその辺りが不明確で、専門家の意見を聞いたり、聞かなかったりということもあった。誰のせいというよりは準備不足だったということだ。

―五輪「無観客開催」を求めた際、政府内からは「倒閣運動だ」との声も聞こえた。

 倒閣運動なんて考えは全くない。むしろ政府とうまくやってきたことが多い。心掛けてきたことは、専門家として分かっていること、判断していることを発信するのがプロの責任だということだ。だから政府が時々は歓迎しないこともあった。

 じゃあそこで黙るのか。われわれは五輪開催の有無にかかわらず、夏休みやお盆があり、デルタ株の出現も相まって、感染拡大に伴う逼迫が起こることを考えていたから、「無観客」で開催してほしいと提言した。学者として、専門家として、考えたことを言わない方がよほど問題だ。歴史の審判に耐えられない。これが専門家の役割であり、いつも政府と一緒だったら専門家は要らないじゃないか。そこで意見が違ったとき、どう説明するのかは選挙で選ばれた政治家にしかできない。

 繰り返すが、政府が快く思わないからといって、意見を言わないチョイスはない。それは専門家の責任だ。場合によっては「御用学者」とも言われたこともあった。

―そういう評価も確かにあった。

 われわれのスタンスは当初も今も変わっていない。そのときの状況でいろんな捉え方をされたのではないか。しかし、その中で考えてきたことを専門家として言わない、という選択はなかった。

―岸田政権のコロナ対応をどう見るか。

 岸田政権では経済、社会を動かすことが「ハイエストプライオリティー(最優先事項)」になった。オミクロン株の登場で致死率も低くなる中、常識の世界でも判断可能な課題になってきている。その中で政治家が自分で物事をグリップしようというのは当たり前だと思う。

 デルタ株まではそれができなかった。菅政権の時が一番大変だったと思う。緊急事態宣言を何度も出さざるを得なかった。

医療界、感染症危機を想定せず

―医療機関がコロナ専用と申告したものの実際は使われなかった病床が「幽霊病床」と批判されるなど、医療界の対応を問題視する向きもあった。

 多くの医療人、特に感染症指定医療機関で患者を診た医師、看護師、職員は私の知る限り、一生懸命やってきた。にもかかわらず批判が上がったのは、まん延防止等重点措置や緊急事態宣言を繰り返さなければいけないのは医療界が努力不足だからではないか、という気持ちが(国民に)あったのではないか。それは理解できないわけではない。

 では実際は何があったのか。大きな構図で見れば、日本の医療制度は感染症危機を想定していなかった。日本は超高齢化社会に対応して高齢者ケアなどを重視してきた。感染症に対応できる集中治療室(ICU)などを備えた病院が少なかった。これが現実だ。感染症が来ることを想定した医療システムになっていない。

 ベッド当たりの医師や看護師の数も少ない。民間の中小病院が多く、医療規模が小さい。中小病院のほとんどは民間経営だから国の関与が利きにくい。

 その中でもコロナ病床を増やそうと病院は頑張った。しかしコロナ病床を増やすというのは、一般患者を退院か、転院させるかが必要だ。さらにコロナを診るにはそれまでの2倍、3倍の医療関係者が必要になる。

 開業医や小規模の病院がコロナ対応をしないという批判もあったが、高齢の医者は感染症の訓練をあまり受けていない。小さな医院では感染者と一般患者の動線を厳格に分ける「ゾーニング」ができないようだった。本質的には制度や準備不足の問題があったと思う。

 次の危機に備えて、医療のデジタルトランスフォーメーション(DX)、医療の連携・大型化、感染症に強い医師の養成のほか、感染危機時にどの程度の患者を受け入れられるかを指す「サージキャパシティー」を上げるための医療制度も再検討する必要があるかもしれない。

第三者で検証、次に備えを

―政府は「不断の検証をする」と言いつつ、ほぼ手が付けられていない。

 しっかり検証した方がいい。第三者が入ることが重要だ。政治家、行政を含め実際に対策に携わった人たちが一体何を言ったのか。政府も都道府県への事務連絡を大量に出している。専門家の提言書もかなりの数だ。公開された資料を元にファクトベースで検証することが重要だ。

―今後、新型感染症が増える可能性があるか。

 全く新しい感染症はこれまでも発生したし、これからもあると考えた方がいい。世界的な都市化、森林の乱開発。グローバリゼーションといった要素があり、減ることはないと思う。

 ではどうすればいいのか。今回は09年の新型インフルエンザの総括が生かされなかった。3年以上のコロナ禍は社会経済活動だけでなく、教育の機会、若者の青春を奪ったのではないか。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではなく、しっかり検証し、次に備えた評価を基に準備をしていくことが必要だ。

 (政府が)感染症対策の司令塔をつくるのは大賛成だが、それで自動的にうまくいくわけではない。機能するためには平時から有事の準備はしないといけない。

 政治家も官僚も医療関係者も保健所も一般市民も、与えられた条件の中で頑張ったと思う。しかし準備をもっとしていたら、もう少し楽だった可能性がある。

(2023年5月19日)

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