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半世紀前の不発弾、今もおびえる暮らし ベトナム戦争「被害」最大のラオス【地球コラム】

2023年03月28日08時30分

 後発開発途上国に認定されるラオスは、世界で最も激しい空爆にさらされた国でもある。米軍がベトナム戦争さなかの1964~73年に実行した空爆は58万回以上。9年間にわたり8分に1回、爆弾を投下された計算だ。その多くは爆発しないまま着弾。ベトナム戦争の終結を定めた73年の「パリ和平協定」調印から半世紀を経た今も、住民は不発弾におびえる生活を送っている。(時事通信社・前バンコク特派員 東敬生)

死傷者5万人以上

 なぜ小国ラオスが標的にされたのか。国内で特に空爆が多かったのは北部と南部で、北部は米国が警戒していた共産主義勢力の戦闘部隊パテト・ラオの支配下にあった。一方、南部には北ベトナムから南ベトナム解放民族戦線への補給路「ホーチミン・ルート」が張り巡らされていた。ルートの正確な位置を把握できなかった米軍は、広範な地域に爆弾を落とした。

 ラオスに投下された爆弾は200万トン以上で、人口1人当たりに換算すると世界最大だ。この中には2億7000万個のクラスター子弾が含まれている。このうち3割は爆発しなかったとみられ、推定8000万個がベトナム戦争終結後も不発弾として残された。

 1964~2011年に不発弾で死傷した住民は5万人以上。不発弾は農業や林業の妨げになっており、経済開発を阻害している。

おもちゃと勘違いし…

 不発弾の被害は今も続いている。20年は23件の事故で7人が死亡、26人が負傷した。農作業中、田畑にくわを入れた瞬間に爆発したケースが多い。食事の用意をしようと地面の上でまきに火をつけたところ、熱が伝わって地中の不発弾が破裂したこともあった。子弾を拾った子供がおもちゃと勘違いして遊び、さく裂した悲惨な事故もある。

 被害を抑えようと全土で連日、約3000人が不発弾の除去作業に当たる。北部シエンクワン県の農村部では、「撤去作業中」と書かれた看板が立てられて封鎖された土地をあちこちで見掛けた。

 英NGO「地雷顧問団(MAG)」の推計によると、ラオスでは今も大ロンドン市の面積に相当する1600平方キロに不発弾が眠る可能性がある。MAGが昨年、除去したのは15平方キロにすぎず、危険な土地で気の遠くなるような作業が今も続いている。

被害逆手に土産物

 かつて空爆を受けた地域では、厄介者の不発弾を逆手に取った商売も行われている。シエンクワン県ナピア村の未舗装道路の両脇には「スプーン製造」と表示された小屋が並ぶ。その一つをのぞくと、不発弾の残骸を使い、土産物を製造していた。

 利用するのは不発弾から抽出したアルミニウムのみ。最初に手掛けた製品から「スプーン村」と呼ばれるが、今ではゾウや水牛、ミサイルの形をした置物やキーホルダー、栓抜きなどレパートリーが広がっている。

 筆者が訪ねたときは箸を製造中だった。木製の型に熱で溶かしたアルミを流し込み、しばらくして開けると細長い箸が姿を現した。「健康への懸念から、作業は1日置きに行う」と関係者。製品は観光地に出荷し、世界遺産に登録されている古都ルアンプラバンのナイトマーケットなどで売られている。

洞窟で374人犠牲

 爆撃による悲劇は不発弾だけではない。シエンクワン県のピウ洞窟は68年11月24日、米軍機のロケット弾攻撃を受け、内部に避難していた住民374人が犠牲になった。ラオスでは「記憶の日」として伝えられる。

 シエンクワン地方のかつての中心地だったムアンクーンでは、16世紀に建てられた名刹(めいさつ)ワット・ピアワットが米軍機の爆撃で破壊された。屋根がなくなり支柱だけとなった寺では、傷ついた仏像が青空の下で無残な姿をさらしている。地元の運転手ウォンさんは「爆撃がなければムアンクーンはルアンプラバンのような歴史的な街になっていただろう」と唇をかんだ。


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