時事通信とは

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人事部長コラム

通信社あれこれ

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愛情?あるいは…(2)

(前回の続き)
ところが、(1月7日)午前3時ごろだったか、政治部の上司から、「天皇の容体が急変した。すぐ竹下邸に駆けつけてくれ」と自宅に電話がかかってきました(当時、私用の携帯電話はもちろんありません)。私はすぐに飛び起き、電車も動いていないのでタクシーに飛び乗って竹下邸に向かいましたが、到着時には、すでに竹下首相が乗った総理車は出発してしまい、竹下邸は「もぬけの殻」でした。しかも、総理車が出発したために、首相番車は事もあろうに、番記者なしで、総理車の後を追随していました。

そのことを知った私は真っ青です。文字通り膝が震えました。「首相番車に番記者が乗っていない」状況は通常でもあってはならないことです。まして、天皇の生死がかかる半世紀に1度あるかないかの事態に、事情はどうあれ、首相番車に乗り遅れたことは、悪夢そのものでした。入社1年目にして、私の政治部記者としての人生は終わった、と本当に思いました。横山秀夫さんの「64(ロクヨン)」は、わずか7日間しかなかった昭和64年の殺人事件を舞台にした推理小説の名作ですが、わたしにとっての64はいまでも思い出したくない辛い記憶です。

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ところが上司から特段のとがめはなく、当時、首相官邸で取材を続けるよう指示されただけでした。おかげで、小渕恵三官房長官(当時)が新元号「平成」の書を掲げた記者会見にも出席することができたくらいです。

世紀の大失敗にもかかわらず、なぜ私はその後も記者を続けられたのか。取材が超多忙で新人記者を怒鳴っても時間の無駄と考えたか、あるいは、ほとぼりが冷めたら最果ての支局に飛ばして二度と本社に戻さないつもりだったのに、ついつい忘れたのか―。

実は理由は分かりません。個人的には、新人を見放さず長い目で見守ろうという愛情(温情?)だったと思っています。とにかく大失態にもかかわらず、政治記者としての私の首はつながりました。幸いなことに政治部長も経験することができ、そして、いまはこうして皆さんにコラムを書いています。

時事通信は、こんな会社です。どうですか。一緒に働いてみませんか?