時事通信とは

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人事部長コラム

通信社あれこれ

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愛情?あるいは…(1)

皆さん、こんにちは。人事部長の阿部です。これから時事通信社についてさまざまな角度から説明していきます。まずは、自分の駆け出しの頃を紹介しつつ、時事通信がどんな会社なのか雰囲気をつかんでもらえればと思います。

私がこの会社に入ったのが1988(昭和63)年。ちょうど30年前です。入社後、すぐに政治部に配属になりました。当時の志望先は社会部でしたから、配属先を伝えられた時はちょっぴりショックを感じたことを今も覚えています。しかし、気づいたら30年間、地方支局時代を除いて、いわゆる永田町ばかり取材してきました。不思議な縁としか言いようがありません。

最初の担当が首相番でした。首相番は、時の権力者である首相の動きや発言、来訪者を細かくチェックするのが役割です。首相がどこに行ってもくっついて、首相官邸から外に出れば首相が乗る「総理車」の後ろを「首相番車」に乗って追い掛けます。ちなみに首相番車には、報道陣を代表して時事・共同両通信社の記者だけが乗車します。任務重大でミスは許されません。

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担当になった時、首相を守る警視庁の警護官(SP)から、首相がテロなどで狙われるような万が一のときは、記者を盾にすることもあると脅されたことを思い出します。政治部内でかなり重要な仕事なのですが、残念ながら、首相の後ろをちょろちょろついて回るその姿から、「金魚のフン」とやゆされることがしばしばです。

88年から89年にかけては世間を揺るがす社会的事案がけっこう起きました。もっとも大きな出来事の一つが昭和天皇の逝去でしょう。88年の8月以降、大量下血するなど昭和天皇の容体が悪化し、Xデーに備えて、マスコミ各社の首相番は東京都内の竹下登首相(当時)私邸に隣接する空き地にテントを張り、24時間体制で首相の動きを見張っていました。

そうした中で年が明け、運命の1月7日がやって来ました。先ほど首相番はテント生活だったと説明しましたが、陛下の体調が年末に小康状態になったため、年明けから各社とも「泊まり体制」をいったん解除していました。したがって、私も7日は、当初の予定では午前7時までに自宅から竹下邸に行けばよかったのです。(次回へ続く)