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東農大が31年ぶり東都大学野球1部復帰 導いた監督はPL学園の好打者

2024年07月03日

 戦国東都―。90年以上の歴史を持つ東都大学野球リーグは今も昔も、その代名詞が付く。神宮球場を舞台に争う1部(6校)をトップに、4部までの構成。春秋のシーズン後に入れ替え戦があり、1部最下位と2部1位、2部最下位と3部1位…それぞれが短期決戦を行う。地位を死守したい側と、取って代わろうとする勢力の一騎打ち。戦国時代を象徴する下克上の世界に近い。
 6月下旬に行われた1、2部入れ替え戦を制し、実に31年ぶりの1部復帰を決めたのが東農大だ。1年前は3部に降格したのに、一足飛びのような大躍進を遂げた。北口正光監督(57)によると、今のチームは「明治神宮大会に行こうぜ!」が合言葉。それはすなわち、今秋のリーグ優勝を意味する。東都のリーグ戦が始まった当初から参戦したチームが、次なる悲願の「天下取り」へと突き進む。(時事通信社 小松泰樹)

3回戦で12得点圧勝

 6月27日、昼下がりの神宮球場。駒大(1部6位)と東農大(2部1位)の入れ替え戦は、1勝1敗後の決戦となる3回戦を迎えた。何としても勝ちたい選手たち、懸命に応援する学生や卒業生ら。日頃のリーグ戦とは異なるムードがある。結果は序盤からリードを広げた東農大が12-1と圧勝。一方的な展開でも、スタンドは独特の熱気に包まれた。

 東農大のエース、長谷川優也投手(4年、日本文理)はソロ本塁打の1失点で完投。最後の打者を打ち取るとマウンドに選手が集まり、高校野球で夏の甲子園出場を決めた瞬間のような歓喜の輪ができた。主将の和田泰征選手(4年、習志野)は涙ぐみながらチームメートに感謝の意を伝えた上で、「ここで終わりではない。秋は優勝を目指そう」と鼓舞した。

 対照的に、ベンチを後にする駒大ナインには無念さがにじむ。1回戦で5-1と快勝して1部残留に王手をかけながら、2回戦を2-6で落とした。こうなると流れは、息を吹き返した東農大に傾く。相手の勢いにのまれる形になってしまった。明暗がくっきりと表れた。

2部と3部を往復

 東都の1、2部各校の実力は紙一重と言えるだろう。駒大は今春、3勝8敗の勝ち点1。リーグ戦の最終日に未消化の1試合に臨んだ国学院大が、その日大戦に勝って勝ち点2として4勝8敗の5位。負ければ最下位になる崖っぷちで踏みとどまった。春にリーグ3連覇、全日本大学選手権でも2連覇した青学大ですら、近年は2020年秋まで2部。同年秋に2部で優勝し、コロナ下のため入れ替え戦が行われず1部に自動昇格した。この復帰が14年秋以来だった。国学院大はかつて、初優勝した翌シーズンに最下位となり、入れ替え戦で敗れたこともある。

 今回、一躍脚光を浴びた東農大も、ここ数年は2部と3部を往復する時期が続いた。19年秋に2部最下位、入れ替え戦で敗れ3部に降格し、20年秋に3部優勝。今の北口監督がコーチを経て就任した22年は2部で春5位、秋4位だったが、23年は春に最下位に終わり、3部1位の大正大との入れ替え戦に回った。ここで先勝しながら連敗。3回戦は延長十一回にサヨナラ負けして涙をのんだ。またしても3部に降格。和田は「悔しかった。その一言です」と振り返った。

「チャンスは一度。物にしよう」

 出直しの秋に際し、北口監督が英断を下す。3年生の和田を主将に抜てきした。同学年が主力メンバーの多くを占め、「いつも試合に出ていたし、もともとこの学年は(成長が)楽しみでした」。リーダー格が和田だった。その秋に3部優勝。入れ替え戦で再び大正大と対戦し、初戦を落としながらも連勝して春の雪辱を果たした。迎えた今春、和田らが最上級生になって「この代で何とか1部に上がれたら。私が監督になるにあたり、学長に『1部で勝てるチームをつくります』と誓いましたから」。指揮官の思いに選手が応え、9勝3敗の勝ち点4で、東農大にとって00年秋以来の2部優勝。そして1部昇格を懸けた駒大との入れ替え戦に臨んだ。

 和田はチームに呼びかけた。「俺たちが戦う場所は一つ(1部)しかない。そのチャンスは一度しかない。それを物にしよう」。冬場の練習では「どうやって2部で優勝するか、そこから1部に行くか。そこを目指して皆で切磋琢磨(せっさたくま)してきた」。1回戦こそ「浮足だってしまった」と言うが、すぐに気持ちを切り替えてタイに持ち込んだ。勝負の3回戦に向け「一つのボールに食らいついていく気持ちでやろうや。(初戦黒星の)エースを2度負けさせるわけにはいかないぞ」。一丸となったチームは序盤から猛攻。大量援護を受けた長谷川も「何が何でも最後まで投げる」と集中力を研ぎ澄ませた。和田はこう言った。「僕らの学年を中心にやらせてもらってきた。楽しく野球をしようや、と。苦しむのじゃなくて。それが形になった」

「KK」の次を担って躍動

 北口監督はアマチュア球界の王道を歩んできた。約40年前。1983年夏の甲子園でPL学園(大阪)が優勝し、清原和博選手と桑田真澄投手の1年生コンビが活躍。「KK」はその後も84年春夏、85年春夏と甲子園を沸かせ続けた。二人の1学年先輩で、84年夏に準優勝を経験したのが北口さんだ。全6試合に「6番三塁」で出場し、毎試合安打を放って25打数12安打6打点、打率4割8分。不動の4番清原、打撃にも秀でた5番桑田の次を担う好打者として鳴らした。

 当時、PL学園は高校球界トップレベル。ベンチ入り、さらにレギュラーをつかむこと自体、並大抵ではない。北口選手が初めて背番号をもらえたのは3年生の春、大阪府大会だった。同校は直前の選抜大会で準優勝。そのメンバーになれなかった北口選手だが、春の府大会は背番号15。「代打で何度か起用され、その後はスタメンで出られるようになりました」。自身最後の夏へと向かう時期に巡ってきたチャンスを物にし、甲子園で躍動した。

コンパクトで鋭いスイングを徹底

 東都大学野球の亜大に進学し、4年生の春に三塁手でベストナインに選ばれた。昨春まで長年にわたり亜大の監督だった生田勉さんは同期。1年先輩には前中日監督の与田剛さんがいた。卒業後、松下電器(現パナソニック)でプレー。後年は監督を務め、2005年の社会人野球日本選手権優勝に導いた。北口監督は、こうした球歴をことさら表に出さない。「Z世代」の選手たちと同じ目線で野球に取り組み、野球への情熱を分かち合っている。東農大の打撃陣を支える1996年アトランタ五輪代表の桑元孝雄コーチ(54)との呼吸もぴったりだ。

 重視しているのは、試合を想定した実戦的な練習。「試合で起こりうるリスク。守りのカバーリングであったり、スローイングであったり、そこでミスが出ると負ける可能性が高まりますから、その意識を持たせています」。走者には、いかにして一つ先の塁を奪うかを常に考えさせ、浸透させている。打者に対してはバットを短めに握り、強く鋭く振り抜く打撃を徹底。「選手に言い続けています。打ち方に癖がある選手でも、引きつけて腰を利かせるコンパクトなスイングになりますね」。駒大との入れ替え戦で、3回戦は先発全員の18安打。うち三塁打5本、二塁打1本。本塁打はなくても、快音が響き渡った。

新たな歴史をつくれるか

 1部昇格がゴールではない。東農大は31年前、1部に復帰した秋に最下位となり、入れ替え戦で屈して2部に逆戻り。だからこそチームも北口監督も、さらなる上をにらむ。「4年生を中心とする今のメンバーで、何とか神宮大会に行きたいですね」

 東農大野球部は1910年に創部。31年春に中大、日大、専大、国学院大、東農大によって五大学野球連盟が結成され、35年に東都大学野球連盟に改名。草創期から名を連ねていながら、いまだ1部優勝はない。31年ぶりの復帰に続き、新たな歴史をつくれるか。「チームがそこに向けてモチベーションを高め、闘志を燃やし続けられるか。火をつけ、乗せてやることが私の役目です」と北口監督。この秋、大学時代以来の主戦場となる神宮球場でタクトを振る。

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