『フェラーリ』(米・英・イタリア・サウジアラビア)【今月の映画】

2024年07月05日12時00分

マイケル・マン監督

ペネロペ・クルスのすさみ切った演技が最高

 ランボルギーニ、マセラティ、ランチア、ロータス、ポルシェ―1970年代の“スーパーカーブーム”を体験した一定年齢以上の者にとっては、幼い頃の高揚感と共によみがえってくるに違いない高級自動車メーカーの名前だ。あの熱い思いは「最高時速300キロ」とか、ドアを上下に開閉する「シザーズドア」といった、およそ非日常的な存在への憧れであったのではないか。その中でも特に輝きを放つのがフェラーリ、そして同社の宝石のように特別な存在なのが「ディーノ」であろう。(時事ドットコム編集部 宗林孝)

 フェラーリ創業者であるエンツォと妻ラウラの長男の名を冠したディーノ。V型12気筒エンジンを基本にしていた同社にとって6気筒を採用した異例の小排気量車だが、その美しい流れるようなフォルムは誰をも魅了する。劇中でアダム・ドライバー演じるエンツォの「どんなものであれうまくいく場合、見た目も美しい」というせりふがなんとも味わい深い。今作の根底には、最愛の長男を24歳の若さで亡くしたフェラーリ夫妻の深い悲しみが常に横たわっており、ほぼ全体を暗めの画面で構成していることも、その哀傷を象徴しているように思えるのだ。

 物語はディーノを失った翌年、フェラーリ社が破産の危機に陥るという、悲劇の連続から始まる。片腕とも言うべき役員からは、大幅な販売増につなげるには、その年に行われるイタリアの代表的公道レース「ミッレミリア(1000マイル)」での優勝が必須と宣告される。レーサー出身のエンツォは、「わたしは走るために(乗用車を)売るんだ」という自負から、やや抵抗感を見せるものの、背に腹は代えられない。

 そして会社だけでなく家庭も崩壊の危機にあった。エンツォは殺伐とした自宅から逃れるように朝帰りを繰り返す。毎朝ディーノの墓を参るという夫婦間の約束にすら遅れたエンツォに銃口を向け怒りをあらわにするラウラ(ペネロペ・クルス)。その挙げ句、エンツォが別邸に愛人を住まわせ、しかも男の子が生まれていたことまで発覚してしまう。

 この作品の見どころは最大のライバルであるマセラティのレーシングカーと抜きつ抜かれつして、手に汗を握らずには見られないミッレミリア本番のシーンであることは間違いない。イタリアの古い街並みと緑豊かな丘陵地帯を真っ赤な車が疾走する姿は幻想的ですらある。フェラーリをさらに危機に追い込み、この伝統的レースを中止に追い込んだあまりにも有名な事故の、CGとアニメーションを絶妙に組み合わせた悲惨な場面からは思わず目をそらしてしまった。

 ただ、何よりも声を大にして訴えたいのが今や50歳となったクルスの、息子の死と夫の裏切り、そしてもう一人のわが子とも言うべき会社の危機にさらされた一人の女性のすさみ切った心情を表現した重厚な演技だ。デビュー作『ハモンハモン』でかれんな小悪魔を演じた18歳と同じ人物とはとても思えない、人生の重さと疲れを感じさせるものだ。

 もちろんドライバーの創り出したエンツォ像も目を見張るものがある。何枚かの写真以外はあまりその私生活を明かしてこなかった人物だけに、エンツォの隠された人生だけでなく歩き方や呼吸の仕方、話し方まで研究し尽くしたというドライバーの成果が“正解”かどうかは判定しがたい。ただ、米出身俳優が創り出した、会話やしぐさの一つひとつにエスプリを利かせたモンツァのだて男っぶりは本物であろう。

 物語の濃密さを増しているのが主要登場人物の誰もが“野心”を持っていることだ。コメンダトーレ(社長)は会社の存続、妻は自分から離れつつある夫の心の奪還、愛人は息子の認知、若きレーサーは伝統的レースでの勝利。果たして悲劇の連鎖から逃れることができるのは誰なのか―。レース以上に人生も競争であることを思い知らせてくれる作品だ。

※7月5日から全国公開
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