怒りなき社会の安保政策大転換(2)
日本テレビ政治部長 菊池正史
「透明性」宣言
反撃能力の保有や防衛費増額に伴う増税の是非、首相の岸田文雄が「異次元」とアピールする少子化対策の中身など、国政の重要課題を巡る議論が深まらないまま、3月28日に2023年度予算は成立した。立憲民主党や共産党などは、放送法の政治的公平性を巡る行政文書の問題で高市早苗経済安全保障担当相を辞任に追い込むべく、多くの審議時間を割いたが、結局は逃げ切られて成果を挙げることができなかった。
「野党の戦略ミスだ」と批判する声もあるが、そのミスにつけ込んで政府が十分な説明を行わなかったのであれば、批判の矛先は政府にも向けられるべきであろう。
岸田は昨年12月、反撃能力の保有などを盛り込んだ新たな安保関連3文書を閣議決定し、「戦後の安保政策を大きく転換するものだ」として、こう強調したのだ。
「透明性を持って国民に説明するのみならず、関係国にもよく説明し、理解してもらう努力を続けてまいります」
この言葉通り、「透明性」を持った説明はなされたのであろうか。
前提となる議論
岸田が言う「戦後の安保政策の大転換」だが、もともと1956年2月の政府見解において、反撃能力、すなわち敵基地攻撃能力は「法理的には自衛の範囲」とされていた。
敗戦の記憶が生々しい時代である。東西冷戦が激化し、日本でも共産主義や社会主義を掲げる政党が勢力を拡大していた。国会ではこの解釈について、軍備増強には敏感に反発する当時の社会党など野党勢力と激しい論戦になった。
今回はこのときの議論を振り返ることにする。そうすることで、当時の政府による憲法解釈の変更と何が変わらないのか、現在の政府によって何が拡大解釈されたのかという歴史的な変遷を把握し、現在の政府による「大転換」を俯瞰(ふかん)的に検証することができるからだ。
この56年2月の政府見解には、さらに前提となる議論があった。それは約8カ月前、55年6月16日の国会において行われた。当時の首相は、元首相の吉田茂が率いる自由党とたもとを分かち、日本民主党を立ち上げた鳩山一郎である。
鳩山はもともと自主憲法制定をスローガンに掲げ、首相就任前は憲法9条を改正しなければ自衛のための軍隊を持つことはできないし、今のままでは自衛隊は違憲であると主張して、自衛隊を合憲だとする吉田と対立していた。
ところが、首相になってから「今の自衛隊は憲法違反ではない。憲法はそういうように解釈するのが妥当だというように考えを改めた」と大転換したのだ。
これに対し、当時は野党だった自由党の江崎真澄が、衆院内閣委員会で「やはり総理になってみると、現実政治というものは非常にむずかしいものだなあとしみじみ御反省になった結果」なのかとただした。
鳩山はこう答弁している。
「憲法第九条の解釈の問題であって、多数の人がそういうように解釈するのが適当であると思うならばそれに従ってもいいと思います」
憲法で戦争放棄と戦力不保持をうたった日本にとって、防衛政策を巡る憲法解釈の変更は、自衛隊の発足に至る過程からの宿痾(しゅくあ)と言えよう。
認めていなかった敵基地攻撃
さらに鳩山は次の答弁を付け加え、解釈を拡大した。
「自衛のためならば、近代的な軍隊を持ってもいい」
「自衛のため必要な限度においては、戦力を持ってもいい、そういう解釈の仕方をしております」
これを聞いた江崎は、連合国との戦争を引き合いに出して追及した。
「必要な限度とか、その場に応じたということになるならば、英米を向こうに回しても、あるいは盧溝橋(ろこうきょう)で侵略的な進軍をしても、そのときに必要限度とかあるいはまたその場の状況に応じたということは、その主観においてはあの場合においてもあったはずです。こういうことを考えますときに、あなたの言葉というものははなはだどうもあいまいとして、将来に禍根を残すようにしか思われません」
つまり中国への侵略も米英との戦争も、時の戦争指導者の「主観」では「必要限度」のものであったし、国民世論もそれを支持し、黙認した。その結果が300万国民の犠牲であり、国土の荒廃である。これを教訓に日本国憲法は戦争放棄を規定したにもかかわらず、「自衛のための必要な限度」という曖昧な言葉で自衛の範囲を表せば、再び「自衛のための戦争」を許しかねない危険があるという指摘だ。
「おれの国の軍隊は自衛力以外の侵略の軍隊であるなどという看板を掲げた軍隊は、世界どこの国にもございません。ございませんから、総理のおっしゃるその言葉というものは、言いかえてみるならば、現行憲法のもとでも侵略的な戦争に持っていくことができるという、非常に危険な状況というものを包蔵しておる」
江崎はこのように述べた上で、外国から攻められた場合、それを撃退するだけが自衛なのか、相手の基地まで爆撃することも自衛なのかと、「自衛の定義」について政府の見解を明確にするよう迫った。
これに対する鳩山の答弁。
「国土を守る以外のことはできないと私は思うのであります。飛行機でもって飛び出していって、攻撃の基地を粉砕してしまうということまでは、私は今の条文ではできないと思います」
つまり鳩山は1955年6月の時点で、今の憲法の条文に従えば、敵基地攻撃はできないと明言したのである。
1年足らずで解釈変更
この議論から1年もたたない1956年2月、当時の防衛庁長官・船田中が踏み込んだ発言を行った。
「現在の憲法のもとにおきましては、他に自衛の方法がない、そうして敵の攻撃が非常に熾烈(しれつ)であって、どうしても敵の基地をたたかなければ自分の方が危ないという場合に、ある程度の基地をたたくということはあり得ると思います」(56年2月27日、衆院内閣委)
もちろん野党側は強く反発した。それでは対米戦争の端緒となった真珠湾攻撃も自衛だったのかと追及し、歴史認識を巡って激論となった。それでも船田は、翌日改めて敵基地攻撃に関する認識をただされ、次のように答えた。
「急迫不正の侵害を排除するために他に防衛の手段がない、こういう場合においては、必要最小限度において敵の基地をたたくということもあり得るであろう」(56年2月28日、衆院内閣委)
船田の答弁によれば、自衛のための必要最小限の戦力の中に「敵基地攻撃」が入ると、解釈が拡大されたことになる。これに対し野党は、55年6月に「飛行機で基地を粉砕してしまうことまではできない」とした鳩山答弁と食い違うと追及した。
この追及を受けてまとめた敵基地攻撃についての新たな鳩山答弁が、先に紹介した「法理的には自衛の範囲」だった。詳細は次の通りである。
「わが国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います」(56年2月29日、衆院内閣委。船田が代読)
自衛のための武力行使は「急迫不正の侵害があること」「これを排除するために他の適当な手段がないこと」「必要最小限であること」が3要件となった。しかし、鳩山内閣によって「自衛のための必要最小限度の戦力」の中に、「法理的」に敵基地攻撃が含まれることになった。
「法理的に」という便利な言葉
「できない」と言っていた敵基地攻撃が、できるようになった。いずれ、できないと言っている先制攻撃もできると言い出すのではないか。「法理的には自衛の範囲」という鳩山答弁が示された1956年2月29日の衆院内閣委で、こうただす野党に船田が答える。
「現行憲法のもとにおきましては、先制攻撃を加えるというようなことはできませんし、また政府としてはさようなことは絶対に考えておりません」
また、在日米軍の基地が攻撃されたら自衛隊が報復爆撃するのかと問われたのに対し、船田は「さような場合においては、おそらく米国の空軍の活動あるいは艦船の活動ということがあると思いますので、大体においてさような場合においては、いわゆる他に方法があるということになる」と答弁した。「他に方法がある」場合は反撃できないということだ。
さらに野党は同年3月15日の参院内閣委で、敵基地を攻撃するためには「航空機によって敵の基地をたたくか、あるいはわが国から敵の基地に向って誘導弾を発射するか、あるいはそれ以上の陸海空の戦力をもって攻撃するか」だと、想定される敵基地攻撃のパターンを列挙し、これらは自衛隊の海外出動となり、憲法が禁じる交戦権の行使につながると追及した。
それに対する鳩山の答弁はこうだ。
「海外派兵をする意味においてこの言葉を使ったわけではありません」
「(自衛権の範囲内に入ると)理論的に申したのであります。たたく方法についてどういう方法をとるかということは私には答弁ができません」
野党側も食い下がった。米ソ対立など、想定される具体的な事態を挙げて追及を続けた。
「日本にアメリカ軍の基地があるのだから、ソビエトから攻撃を加えてくるだろう、攻撃を加えてくれば、アメリカ軍だけを殺戮(さつりく)して、決して日本人には何らの損害を与えないということはあり得ないのであります。そういう場合を急迫不正、あの政府の説明された急迫不正の侵略と言われたのは、そういう場合のことを言っておられるのか」
これに対し、鳩山はこう答弁している。
「抽象的なことで、わが国を侵略せられたる場合のことを申したのでありまして、米ソ戦を予想いたしましてああいうようなことを申したのではないのです」
また鳩山は、同年3月23日の参院予算委で「交戦権を同時に持つということはかつて言ったことはございません」とも述べている。
つまり敵基地攻撃は、「法理的に」は自衛の範囲だが、交戦権には言及していない。在日米軍がいれば「他に手段がない」状態でもない。「急迫不正の侵略」も予想しない。従って、実際に攻撃するための具体的な方法も、行使を迫られる具体的な事態も想定しないという説明で、鳩山は切り抜けていった。
「法理的に」という言葉によって、敵基地攻撃の半分は認められ、現実を伴わないという半分の点で追及をかわすことができる。便利な言葉だ。
核兵器も保有可能?
翌57年に首相となった岸信介に至っては、この便利な言葉によって、核弾頭搭載ロケットについても攻撃的でないならば持てると説明した。
「これは持たないのだけれども、憲法の解釈とするならば、防御的な兵器なりとするならば、これに核弾頭を装置しても、いわゆる防御的な核兵器として、憲法上持ってはならぬと禁止されておる兵器には入らないだろう」(59年3月19日、衆院内閣委)
敵基地攻撃も核兵器も限定的ではあるが、理論的には保有可能という解釈が、既になされてきたのである。
ただ、岸は「ごく限られた、また観念的な議論の場合におけるわれわれの回答でございますから、その場合に応ずるような武器を平素から持っておらなければならぬということはおのずから別の問題である」と説明した。
ここでも理論的には保有できるが、「政策の問題」として保有しないという説明がなされたのである。
これに対し、後に社会党の委員長となる石橋政嗣は「(政策の問題は)岸内閣限りの問題で、憲法上持てるか持てないかというのは岸内閣を超えた永久の問題」だから、心配だと強調した。つまり憲法論として禁止しなければ、時の政権の「政策判断」として、いつの日か敵基地攻撃能力も、核兵器も保有することになるのではないか。そのことへの懸念だった。
「理論」に追い付く「現実」
今から60年以上前に吐露された石橋の「心配」は、幸か不幸か的中することになった。戦後、「国際法上有しているが、行使は憲法上許されない」とされてきた「集団的自衛権」については、安倍晋三内閣によって解釈が変更され、限定的ではあるが、行使が憲法上許されることになった。
その安倍内閣ですら容認にまで踏み込めなかった敵基地攻撃能力は、反撃能力という言葉に変化しながらも、国会でほとんど議論されることなく、「保有できる」と「政策的」に判断されるに至った。
日本国憲法9条という金字塔は何ら変わることはないが、「自衛の範囲」の解釈は次々に変更・拡大され、岸田内閣ではついに数キロ先の外国を攻撃できるミサイルの購入・開発まで決まった。
集団的自衛権も敵基地への反撃能力も、戦後長く「法理的に」は認められるものの、「現実的に」は想定されなかったものだが、それらが次々と「現実的に」容認されるようになった。
では、日本が誘導弾を使って反撃しなければならなくなるような事態とは、具体的にどういう事態なのだろうか。
これについて、岸田は「透明性」を持って説明したのだろうか。繰り返されたのは「個別具体的な判断」「手の内」という言葉だった。次回、その中身を詳しく検証していく。(敬称略)
【時事通信社「地方行政」2023年5月25日号より】
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菊池正史(きくち・まさし) 日本テレビ政治部長。1968年生まれ。93年慶応大大学院修了、日本テレビ入社。政治部に配属され、旧社会党や自民党などを担当し、2005年首相官邸クラブキャップ、16年政治部デスク。20年10月経済部長に転じ、22年6月から現職。著書に「安倍晋三『保守』の正体」(文芸春秋)、「『影の総理』と呼ばれた男」(講談社)
「戦後保守政治の裏側」シリーズはこちら。
(2023年5月8日掲載)