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「反撃能力」を保有する覚悟とは【戦後保守政治の裏側 ㉑】

2023年04月06日

怒りなき社会の安保政策大転換(1)
日本テレビ政治部長 菊池正史

【目次】
 ◇本当に抑止力は高まるのか
 ◇「専守防衛」との整合性
 ◇戦争を抑止するために
 ◇変わりゆく日米安保体制
 ◇国民に覚悟を問うているか

 前回まで5回にわたり、怒りなき日本で経済の停滞が続いていることを検証してきた。そんな中、政治の世界では安全保障政策が大きく転換された。昨年12月に新たな安保関連3文書が閣議決定され、「反撃能力の保有」が盛り込まれたのだ。
 これまで「反撃能力」については、米国や国連が援護してくれず、「他に手段がないと認められる限り、法理的には自衛の範囲に含まれるが、政策判断として保有しない」というのが政府見解だった。右派のリーダーとして長期政権を築いた元首相の安倍晋三ですら、その保有を実現できなかった。しかし首相の岸田文雄はいとも簡単に、短時間で保有を容認することを決めた。
 さらに、相手の射程圏外から攻撃する「スタンド・オフ」能力などを強化するため、防衛費を2027年度までに対GDP(国内総生産)比2%に引き上げ、23年度からの5年間で総額43兆円に増強することまで決めた。

 「きょうのウクライナは、あすの東アジアかもしれない」。岸田が繰り返すこの危機感が今、多くの国民の共感を得ているようだ。報道各社の世論調査を見ても、防衛力の増強や反撃能力の保有を支持する人は少なくない。

 安倍政権が集団的自衛権の憲法解釈を変更し、安保法制の成立を図った際には国会で激論が交わされた。デモが各地で連日行われ、国会議事堂を囲んだ。私も今通常国会の開会前までは、反撃能力と防衛費増額に伴う増税の是非を巡り、さぞかし与野党が論戦を繰り広げるだろうと考えていた。
 しかし、ふたを開けてみると国会の議論は低調だった。国民的な関心の高まりも感じない。首相周辺からは「デモすら起きていないのだから問題ない」と楽観的な声すら聞こえてくる。
 岸田が防衛増税の議論を先送りしたことも大きな理由だろう。野党の追及も甘い。ある野党幹部は「4月に統一地方選を控え、分かりやすい子育て支援の問題に軸足を置いてしまう。それに野党の中でも反撃能力保有の是非は意見が割れているので、結束して追及できない」と本音を語った。

前回記事は⇒「アベノミクス」ブレーンたちの高揚、そして...

本当に抑止力は高まるのか

 反撃すれば、それへの反撃が来ることは容易に想像できる。また、反撃するための武力の整備には莫大(ばくだい)な費用が掛かる。防衛増税の議論も再燃するだろう。負担と犠牲が伴う「大転換」なのだ。
 国民には覚悟が求められる。政治はそれを国民に問うているだろうか。国会の議論が低調だからといって、われわれメディアも歩調を合わせていては将来世代に申し訳ない。

 そこで今国会の開会に先立ち、仲間の記者と共に、反撃能力の保有を評価する前統合幕僚長の河野克俊と、批判的な立場にある防衛庁出身で元官房副長官補の柳沢協二にインタビューし、論点を整理した。

 まず、反撃能力を保有することで政府が主張する通り、「抑止力」は高まるのだろうか。米国から購入するミサイル「トマホーク」は、巡航速度が遅いから撃墜されてしまうのではないか。それに最近はミサイル発射台も移動式だ。反撃目標となる、その場所をどうやって解析するのか。

 さまざまな疑問が湧いてくるが、河野は「抑止力は高まる」と断言する。「防御だけなら相手が主導権を握ることになる。日本が反撃するということになれば、相手はそれで計算が複雑化する。ちゅうちょすることにもなる」。
 つまり日本の反撃により、相手は一定の被害を予想する。さらには戦争が泥沼化することも想定される。それを敵が嫌がり、攻撃をためらうから抑止になるというのだ。

 柳沢はこれに真っ向から反対する。「反撃のミサイルを持てば抑止力が高まるという認識は全く間違いだ。本当に撃ち合いになったとき、どちらが最後まで耐え抜くことができるかが抑止力の決め手だ。中国にとって台湾の独立は、多少の損害があっても認めることはできない。そこで戦争になれば、多少の損害で引っ込むだろうといっても現実にはそうはいかない」。

「専守防衛」との整合性

 河野は反撃能力を保有しても、一発も撃たれないための抑止力にはならないとする。「反撃するということは、日本が攻撃を受けてしまって武力攻撃事態が認定され、自衛隊に防衛出動が掛かっていることが当然の前提だ」。
 従って「前提として攻撃を受けているわけだから、先制攻撃はあり得ない」と説明する。ただ、反撃した場合には「戦争がエスカレーションするリスクは当然ある」という。

 つまり反撃すれば、戦争が泥沼化することを覚悟しなければならないということだ。また反撃は、戦後の日本が原則としていた専守防衛の枠組みを逸脱しているのではないかという疑問も出てくる。これまで憲法上許される武力行使は「自衛のための必要最小限」のものでなければならなかったはずだ。トマホークや、開発・改良が進められる長距離のスタンド・オフ・ミサイルは、果たして「必要最小限のもの」なのだろうか。

 河野は次のように訴える。「専守防衛の考え方は、戦前に対する深い反省の上に成り立っている。日本さえ何もやらなければ世の中が平和だという考え方が、戦後レジームとして残っていた。だから攻撃されても必要最小限ということだった。しかし冷静に考えれば、攻められれば、今のウクライナを見てもそうだが、全力で国民を守るべきなのだ。日本は最小限度でしか反撃しませんというよりも、攻めないが、攻められれば全力で反撃するという精神であるべきだ」。

戦争を抑止するために

 確かに国土が蹂躙(じゅうりん)され、国民の生命が犠牲になっているときに「必要最小限の防衛」という概念が成り立たないことも現実だろう。破壊と殺戮(さつりく)が繰り返され、世論が憎しみと復讐(ふくしゅう)心に支配されれば、反撃の応酬となることは容易に想像できる。しかし、その凄惨(せいさん)な応酬こそあってはならない。戦争の泥沼化こそ抑止されるべきものなのだ。

 「そこは政治が判断しなくてはいけないということだ。戦争が始まったら自衛隊が勝手にやれるという話ではない。戦前は、軍のトップは天皇陛下で統帥権があった。今の自衛隊のトップは首相で、戦前のような形にはならない仕組みになっている」。いつ反撃し、いつ戦争をやめるのか、政治の判断が重要であり、政治がしっかりとコントロールしていれば、自衛隊が暴走することはないと河野は言う。

 この点で柳沢の考え方は異なる。「ウクライナを見ても分かるように、戦争が始まってしまうと、それを途中で政治的に止めるのは難しい」と強調する。「だからこそ政治のリーダーシップが発揮されるべきところは、戦争が始まってからではなく、戦争が始まらないように、どうやって回避するかというところにある」。

 そして戦争回避のために、戦後の専守防衛は有効なメッセージだったと評価する。「専守防衛で守るだけでは戦争に勝てないという議論もある。しかし相手国を攻撃して戦争に勝つような政策を取らないから、相手も日本を攻撃する動機を持つ必要がないという政治的なメッセージが、専守防衛の本質だったと思う」。

変わりゆく日米安保体制

 これまでは日本への侵略に対して攻撃する「矛」の役割を米国が担い、日本は「盾」として専守防衛に徹するという役割分担だった。しかし河野も柳沢も、今後は日米安保体制の性質が変化してくるという点では認識を同じくする。

 河野は「反撃能力という形で矛の一部を日本が担うのは大きな変化だ」と高く評価する。その上で質・量とも有効な反撃を行うためには、米国との一層の連携が不可欠だと強調する。「今後は盾と矛の切り分け自体が、あまり意味を成さなくなる。サイバー、電磁波、宇宙という分野になると、盾も矛も日米共同体制でやるという考え方に転換せざるを得ない。反撃についても偵察、情報分析、攻撃の評価、再攻撃の必要性など、米国と共同体制で追求しなければ難しい」。

 一方、柳沢は、まず反撃能力の保有は専守防衛から逸脱していると批判する。「反撃能力を持って堂々とミサイルの撃ち合いをするというメッセージは、専守防衛のものとは違う。報復合戦のような戦争を日本がやっていく意思と能力があるのだということになると、それはもう専守防衛とは言えない」。

 そして、日本が自発的に矛の役割を担おうとすることに警鐘を鳴らす。「日本の防衛戦略は、米国が同じ発想で出て来てくれないと成り立たない。そこに日本の隠された不安があるはずだ。米国をつなぎ留めるため、やれることは何でもやりますという米国頼りの心理が背景にある。この思考を変えないといけない。そうしないと米国が勇ましくやり過ぎるとき、確実に日本は巻き込まれるということになる」。

 岸田は今年1月に訪米して、トマホーク導入を含め、防衛力強化を進めることをバイデン大統領に説明し、強い支持を得た。トマホークの購入費用も含めた23年度予算案を国会で議論する前に米国に行き、購入を約束する姿を見れば、柳沢が指摘する従属的な「米国頼り」も否定できない。

 政府内からでさえ、「米国に褒められたいだけの薄っぺらな外交の象徴だ」といった厳しい批判が聞こえてくる。言うまでもなく、対等な同盟国としての連携と、米国頼りの見返りに武器の購入を迫られる関係とは、全く意味が異なるはずだ。

 反撃能力の保有は、中国も仮想敵国とした防衛戦略である。しかし、日本は中国との経済的な関係が極めて深い。中国と戦争になったときの混乱と衰退は確実である。日米同盟とのバランスをいかに維持していくかが肝要だ。

 岸田には危機感をあおるだけでなく、国民が安心できる日本独自の外交・防衛戦略について説明してほしい。

国民に覚悟を問うているか

 政府は反撃能力の保有について「憲法および国際法の範囲内で、専守防衛の考え方を変更するものではない」とする。しかし河野と柳沢の分析に従えば、攻撃型の専守防衛になったわけで、言葉の意味が大きく変化したことになる。

 柳沢はこの点を踏まえ、政府は反撃能力保有への覚悟を国民に問わなければならないと主張する。「反撃がエスカレーションし、戦争が泥沼化することへの覚悟、議論が当然、必要になってくる。この部分が全く国民に説明されていない。あたかも反撃能力があれば、戦争は起きないという議論に終始している」。

 河野も「これまでの専守防衛は、反撃力の保有という選択を政策的に取ってこなかった。今回、反撃力の保有に踏み切ったわけで、専守防衛の考え方を正面から問い掛ける良いチャンスだ」と強調する。

 実際にウクライナが反撃能力を保有していても、ロシアは攻撃してきた。そしてウクライナ国民は国を守るために反撃している。その結果は、一般市民を巻き込んだ血みどろの戦い、殺戮、虐殺である。停戦の道筋も見えてこない。

 日本で勇ましく反撃を叫ぶ人々も、関心なく黙認する人々も、その覚悟があってのことかと問えば、甚だ心もとないというのが現状ではなかろうか。だからこそ、政治は国民に覚悟を問い続けなければならない。

 次回は、岸田が国会で何を説明したのかを検証する。なお河野と柳沢に対するインタビューのダイジェスト版は、動画投稿サイト「ユーチューブ」の「日テレNEWS」チャンネルにアップしているので、ご覧いただきたい。(敬称略)

【時事通信社「地方行政」2023年3月23日号より】

◇  ◇  ◇
 菊池正史(きくち・まさし) 日本テレビ政治部長。1968年生まれ。93年慶応大大学院修了、日本テレビ入社。政治部に配属され、旧社会党や自民党などを担当し、2005年首相官邸クラブキャップ、16年政治部デスク。20年10月経済部長に転じ、22年6月から現職。著書に「安倍晋三『保守』の正体」(文芸春秋)、「『影の総理』と呼ばれた男」(講談社)

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(2023年4月6日掲載)

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