怒りなき社会が放置する経済の停滞(5)
日本テレビ政治部長 菊池正史
財政・金融の保守本流
「財政の均衡、適切な金利、公平な税制。これが昔の大蔵省(現財務省)の三大原則、『国是』ならぬ『省是』です」
これは2022年7月10日に死去した元財務相の藤井裕久が以前、筆者に語った言葉だ。大蔵官僚出身で、景気過熱によるインフレと行き過ぎた国債発行を警戒した。
藤井は1993年、若くして自民党幹事長を務めた小沢一郎らと同党を離党し、「非自民」勢力で発足した細川護熙(もりひろ)政権で蔵相に就任。続く羽田孜政権でも再任された。その後、野党へ転落し、小沢と自由党を結成して幹事長になった頃、98年から2000年にかけて筆者は担当記者だった。
社会保障の財源に目的化した消費税の増税が一貫した主張だった。この「目的化」にはさまざまな議論もあったが、「消費増税」へのこだわりは正統派の大蔵・財務官僚の象徴であろう。
09年9月に発足した鳩山由紀夫政権でも財務相を務めた。この時期、リーマン・ショックなどを受け、日本経済は歴史的な円高にさらされていたが、インタビューで円高を容認して波紋を呼んだ。
「自国通貨が強くなるのは、目先は貿易面で間違いなくマイナスだが、大きな意味ではいい。日本は基本的に円高の方がいい」(09年9月3日、ロイター通信)
長期的な為替相場はさまざまな要因で動いているが、基本的にはその国の経済活動や通貨の健全性など、ファンダメンタルズ(経済の基礎的条件)を反映しているという見方を念頭に、筆者にも「円安の時代は終わっている。国際環境が極端な円安を許さない。為替に左右されない強い経済にすることが最優先だ」と常々、語っていたことを思い出す。
藤井だけではない。1990年代後半に大蔵省で、国際金融の司令塔である財務官を務め、「ミスター円」と呼ばれた榊原英資も、「日本企業はグローバル展開を進めており、国内に戻ることはあまり期待できない」「円安で輸出を促進する時代ではない」「円高は国益という見方に転換するべきだ」(時事ドットコム「『円安=プラス』の常識揺らぐ?輸入価格の上昇懸念【けいざい百景】」〈2022年6月1日〉)と述べている。
「リフレ派」の反逆
元首相・安倍晋三は、藤井らに象徴される財務省や日銀の保守本流の常識をすべてひっくり返した。その理論的支柱となったのが、安倍政権の内閣官房参与だった米エール大名誉教授・浜田宏一をはじめ、日銀副総裁を務めた学習院大名誉教授の岩田規久男や、浜田と同じく内閣官房参与を務めた元大蔵官僚の本田悦朗ら、リフレ派と呼ばれるブレーンたちだった。
彼らはデフレを貨幣的現象と分析して、日銀が2%という「インフレターゲット」を確約し、供給する通貨量を示す「マネタリーベース」を拡大するため、「量的・質的緩和」をすることで、「期待インフレ率」が上がるとした。これによって実質金利を引き下げ、設備投資や住宅投資を活性化させて企業収益を改善し、賃金と消費を増加させ、物価上昇を実現するという金融政策を主張した。
さらには需要不足がデフレを助長しているとして、財政出動による需給ギャップの解消を目指した。国債残高の対GDP(国内総生産)比は、安倍政権下で既に200%を超え、主要先進国の中では最悪の水準である。財務省が緊縮財政を主張する一方で、リフレ派は需要不足の状況下では国債発行に問題はないと主張した。
政治に目覚めた学者
岩田によれば、労働生産性は景気の良しあしで変動しているにすぎない。そして、日銀が通貨供給量を抑制してきたために生じたデフレ下では、いくら生産性を上げようとしても、経営者にとっては「土砂降りの中」か、「雪が降りしきる戸外」でテストを受けるようなものだという。つまり、景気の影響を取り除いた「真の労働生産性」は低下しているわけではなく、デフレの影響で本来の力を発揮できていないというわけだ。
では、このデフレを招き、生産性の向上を阻害してきた責任はどこにあるのか。それは「デフレという、戦後、日本以外の国では起きなかった、経営にとって最悪の経済環境を20年以上もの間にわたって作り上げた」(「『日本型格差社会』からの脱却」〈2021年、光文社新書〉P163)日銀と、それを許してきた政治にあるという。
デフレ脱却のためのインフレターゲット論が提唱されたのは、安倍政権が初めてではない。岩田も1990年代初頭から、論文や著書で「日銀の金融政策こそがデフレを引き起こした」と主張していたが、受け入れられずに失望していたそうだ。小泉純一郎政権の経済政策をリードした経済財政諮問会議でも提案されたが、財務省や日銀の本流の継承者たちによって採用されることはなかった。
リフレ派はその「本流」を批判し、財政・金融政策の大転換を主張していた。岩田は、デフレを脱却できない責任が政治にあるならば、デフレ脱却のためには「政治家を動かさなければ、何も変わらない」(前掲書P51)と考えた。そして民主党(当時)の前原誠司、自民党の石破茂、安倍ら、与野党を股に掛けて接触した。その中で唯一、賛同したのが安倍だったという。
まだ第2次安倍政権が発足する前、岩田が主催したシンポジウムでリフレ派の理念に賛同するスピーチを要請したところ、安倍は快諾したという。別の勉強会では、安倍が岩田の資料を見ながら「こういう図表を第1次安倍政権のときに見ることができたらなあ」とつぶやいたそうだ。
安倍は2回目の自民党総裁選に挑んだ際、財政政策について「経済再生なくして財政再建なし」を基本方針として訴えた。これもリフレ派の考え方に沿ったものだった。
現在の共通認識
さて、財務省や日銀の常識を覆した結果はどうだったのか。岩田は日銀副総裁の退任後に出版した「日銀日記」(2018年、筑摩書房)に、こう記している。
「財界の人たちに会うと、たいていの人が『円高が修正され、何よりも人々のマインドが明るくなった』と、日銀の『量的、質的金融緩和』を高く評価し、感謝の意を述べる」(P34)
「市場の予想インフレ率は想像以上にすばやく反応した。それが株価の急騰と円安への転換スピードを上げた」(P55)
「大胆な金融緩和」がスタートした直後の、岩田自身の高揚感と、アベノミクスに対する世の中の「歓迎ムード」が伝わってくる。
しかし、それから10年の月日が過ぎた。アベノミクスがデフレ脱却という当初の目標を十分に達成できず、経済の好循環に至っていないという点は、ブレーンたちの共通認識ではないだろうか。
「『生産性を上げる』とは言ったが、具体的にどう上げるかという成長戦略には不足があった」(「日銀と財務省の常識を変えたアベノミクス」〈22年9月5日、毎日新聞サイト「政治プレミア」〉)とは、浜田の反省である。
成長戦略を具体化できず、生産性も上がらず、消費も伸びず、デフレから十分に脱却できなかった原因は何なのか。今、ブレーンたちが口をそろえて批判するのが、2度にわたる「消費増税」だ。安倍が政権に返り咲く前の12年8月、民主党の野田佳彦政権下で消費増税を柱とする社会保障・税一体改革関連法が自民、公明両党も賛成して成立し、14年4月に税率を5%から8%へ、15年10月には10%へ引き上げることが決められていた。
「消費増税」悪者説
「財務省の財政健全化から逃れ切れなかった。そして企業がデフレマインドから脱却できなかった」
22年11月、本田は筆者にじくじたる思いを語った。筆者がBS日テレの番組「深層NEWS」を担当していた14年10月に消費増税をテーマに議論してもらった経緯もあり、直接会ってアベノミクスを振り返ってもらった。
「デフレ脱却のさなかの増税は全く間違っていました。少なくとも現在の日本のように、需要不足の状態でアクセルとブレーキを同時に踏んだらどうなるか。経済の安定成長は望めません」
岩田も「日銀日記」の中で、「消費増税は愚策だ」と言い切っている。内閣府によると、実際に8%への増税に伴う物価上昇が、実質所得の減少を通じて個人消費を押し下げた(GDPの0.2%程度)。「企業を中心にデフレマインドが完全に払拭(ふっしょく)されておらず、消費税率引き上げ等に伴う物価上昇に見合うだけの賃金上昇が実現されていない」(「日本経済2014─2015の概要」)状況だった。
実質GDP成長率も14年4~6月期は駆け込み需要の反動減となり、7~9月期も予想を大きく下回って、年率でマイナス1.9%(2次速報)と落ち込んだ。10%への引き上げはブレーンたちの反対もあり、2度にわたって延期されたが、結局は19年10月に実施されたのである。
浜田は「安倍政権下での2度の消費税率の引き上げも反省している。うまくいきかけていた成長が損なわれた。(中略)今になって思えば消費税率引き上げにもっと強く反対すべきだった」(前掲の毎日新聞サイト)と述べている。
緊縮財政という実態
さらに本田は、機動的な財政政策を「第2の矢」としていた安倍政権だが、実際は緊縮型の財政になっていたことを悔いている。
「消費増税の議論にばかり気を取られ、毎年の財政に対する注意がおろそかになってしまいました。景気が少しずつ良くなってきて、税収が増えてきたため、プライマリーバランス(国の基礎的財政収支)の黒字化を目指す財務省は、歳出をカットしていたのです。おまけに消費税まで上げている。財務省は賢い。結局、彼らの思惑通りにしてしまった。しかし、その結果、デフレから脱却できなかったという点で財務省は間違っていた。財務省主導の緊縮財政が足を引っ張ったのです」
確かに公共事業費も19年度に8兆円を超えていたが、それまでは6.3兆円から7.6兆円の幅で横ばいに推移していた。図を見ても分かるように、安倍政権下で一般会計歳出は新型コロナウイルス禍前の19年度まで、決算ベースではほぼ横ばいである。公債発行額も減少傾向なのだ。
景気対策という名目で補正予算がたびたび編成されたため、「積極財政と捉えられがちだが、実態としては緊縮気味の当初予算」(ニッセイ基礎研究所・斎藤太郎「アベノミクスは積極財政か?」〈19年11月22日〉)であり、「派手な経済対策とは裏腹に節約傾向であったことが確認できる」(東京財団政策研究所・飯塚信夫「『第2の矢』は放たれていたのか?─財政データに見る『アベノミクス』〈政策データウォッチ(33)〉」〈20年9月16日〉)というのが、多くのアナリストの受け止めだ。
財政健全化という呪縛
安倍は「成長戦略」どころか、「機動的な財政政策」という第2の矢すら放っていなかったことになる。「1強」とまでいわれた安倍が、なぜ放てなかったのか。
この点について、本田はこう振り返る。
「安倍さんもわれわれも緊縮傾向だったことに気付かなかった。安倍さんがこれを知ったとき、『財務省はこんなことをしていたのか』と怒っていました」
日本の債務残高は安倍政権下でも対GDP比230%前後で推移していた。先進7カ国(G7)のみならず、その他の諸外国と比べても突出している。
財務省は、高まる公債依存は将来世代への負担の先送りであり、利払いや償還費が予算を圧迫して財政の硬直化を招く、そして国債や通貨の信用が低下し、ハイパーインフレのリスクがあると警鐘を鳴らし続けてきた。この財務省主流派の「予言」に安倍自身もからめ捕られていたということだろう。
消費も増えず、生産性も上がらず、デフレ脱却は十分に果たされることなく、日本はコロナ禍にまみれることとなる。そして、その有事のさなか、安倍は再び体調不良を理由に自ら政権を手放した。
岩田は「安倍首相の辞任で、アベノミクスが解決しようとした問題のかなり多くの部分が解決されることなく残ってしまった」(「『日本型格差社会』からの脱却」P60)と嘆くが、むしろ「約8年もの長期政権だったにもかかわらず、かなり多くの問題を解決することができなかった」という方が妥当ではないか。
岩田自身が著書で指摘しているように、「綻(ほころ)び始める社会保険制度と賃金格差の拡大」「不均衡な所得の再配分」「深刻化する貧困問題」など、構造的問題は残されたままだ。
アベノミクスの呪縛
アベノミクスに一定の成果があったことは否定しない。雇用は確かに増えた。岩田が言うように「職がなく、失業者で、賃金所得がないよりも、非正規でも、職があり、賃金所得が得られる方がいいに決まっている」(「日銀日記」P412)というのも確かだろう。
しかし安倍は、民主党政権を「悪夢」とこき下ろし、成長できないという「『諦めの壁』は完全に打ち破ることができた」と自画自賛していたではないか(第19回参照)。「たとえ貧しくても、職と食がないよりはまし」という人を増やして胸を張っていたとすれば、安倍の言葉は大風呂敷であり、居直りであり、ごまかしであろう。
「機動的な財政出動が不十分だったことは確かだ。しかし、アベノミクスの理論は間違っていない。大胆な金融緩和を継続し、不十分だった機動的な財政出動を実現すれば、必ず需要は増えてくる。継続は力なり」
こう語る本田にはみじんの迷いもない。しかし、10年かけて目的を達成できなかった政策である。継続の先に明るい未来を期待する人は、そう多くはあるまい。(敬称略)
【時事通信社「地方行政」2022年12月26日号より】
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菊池正史(きくち・まさし) 日本テレビ政治部長。1968年生まれ。93年慶応大大学院修了、日本テレビ入社。政治部に配属され、旧社会党や自民党などを担当し、2005年首相官邸クラブキャップ、16年政治部デスク。20年10月経済部長に転じ、22年6月から現職。著書に「安倍晋三『保守』の正体」(文芸春秋)、「『影の総理』と呼ばれた男」(講談社)
「戦後保守政治の裏側」シリーズはこちら。
(2023年1月9日掲載)