横道誠・京都府立大准教授
親が信仰を持つ家に育ち、言われるがまま「神」や「仏」を信じてきた「宗教2世」。成長と共に信仰に疑念を感じるようになり、宗教をやめた人もいれば、しがらみを解けずにいる人もいる。いったい何が、結論を分けるのか。やめたいと願う2世、やめた後も苦悩を抱え続ける2世に接したとき、どう寄り添えばいいのだろうか。自身も宗教2世で、2世の自助グループを立ち上げた横道誠・京都府立大准教授に寄稿をお願いした。
悩める宗教2世の共通点
筆者は安倍晋三元首相の銃撃事件が起こるより2年ほど前の2020年5月から、宗教2世のため自助グループをオンラインで開催してきた(現在の名称は「宗教2世の会」)。
この自助グループでは、当事者研究と呼ばれる手法を軸として、参加者の心の苦しみの緩和を図っている。当事者研究とは、難病患者や障害者といった深刻な問題を抱える当事者が、仲間たちと協力して自分の苦労の仕組みを研究し、問題の解決や解消を目指すという取りくみだ。
毎回の会合で語られた内容は簡潔に記録して、会合後にツイッターの公式アカウントからツイートしている。会合に参加しなくても、そこに書かれている内容をヒントにするフォロワーもたくさんいる。
この自助グループの会合を重ねるにつれ、宗教2世にとって共通性の高い体験世界が見えてきた。
ネット情報で抜けたくなる人は多い
では、宗教2世が教団を抜けたいと考えるきっかけには、どのようなものがあるだろうか。
インターネット普及以前の時代には、教団を批判する本を読んだ、とか、教団外の刊行物と比較して教義の矛盾に気づいた、といった体験がきっかけになることが多かったが、1990年代後半、インターネットが普及した後は、ネット情報に接して教団の実態を知ったという声が非常に多い。
インターネットで詳しく情報を探索するに至った背景には、教団内の人間関係のあつれきや、上層部の信者たちの言動に対する不信感、あるいは教団外での新しい人間関係の発生などが関与していることが多い。また、教祖や上役の信者から性的な関係を強要されたり、日常的な肉体的暴力にさらされていたりした深刻な宗教被害が脱会を考える背景になっていることもある。
人間関係で抜けにくく
宗教2世だけでなく宗教1世もそうだが、そのようにして自分の人生が新しいステージに入り、教団に疑問を持つに至った場合でも、実際に教団を抜けるのをちゅうちょする人は多い。最大の理由は、自分の人生が教団の活動に関与し過ぎていて、その共同体での人間関係から離れて生きていける気がしないと思ってしまうからだ。
教団の活動に深く関与したことで、高い地位を得てしまっていると、なおさらそうなる。教団内ではエリートとして尊敬を集めていても、教団外では社会人としてキャリアをほとんど積んでいない場合、脱会は自分の人生の大きな転落を意味する。それを不安に思う気持ちは、宗教に関わりのない人にも理解できるはずだ。
脱会できない人は、教団に疑問を持ちながらも、「どのような組織であっても、何らかの問題を抱えているもので、それは宗教団体も同様だ」と割り切ろうと努め、「しかし信仰の対象は基本的には間違っていない」と自分に言い聞かせながら、信仰を継続することになる。
家族一同や、場合によっては親戚の大半が信者という場合には、脱会は余計に難しくなる。教団を離れることが、自分の家庭環境の激変につながってしまうからだ。場合によっては、脱会は親や兄弟姉妹との絶縁を意味する。それを選ぶことに伴うダメージは、当然ながら脱会者に物心両面での苦痛を与える。
「聖なるもの」体験が一つのカギ
宗教2世の仲間の話を聞いていると、宗教団体をやめられた人には、しばしば「聖なるもの」の体験が欠けている。
宗教の魅力の核心には「聖なるもの」に触れられるという体験があり、教団によっては、かつてのオウム真理教のように、神秘体験の獲得に生活の全てをささげる羽目になる。そのような「聖なるもの」の体験を得てしまうと、「この宗教は本物だ」「自分の選択は間違っていなかった」という確信を促し、脱会は極めて難しくなる。オウム真理教の信者たちが、教団の深刻な犯罪を知りつつも、しばしば脱会に至らなかったのは、この心理的メカニズムも関係しているだろう。
「聖なるもの」に触れたと感じるような状態には、かなり陥りやすい人と、かなり陥りにくい人がおり、それを体験しないまま信仰生活を送るのは、ガソリンの切れた車に乗っているようなものだ。その場合、教団に見切りをつけるのは比較的容易になる。
「損切り」という発想
いわゆる「損切り」の発想ができるかどうかも、脱会の成否にかかわる。いくつかの株を保有していて、自分の持っている株の価値が下落した際、「今手放したら損で終わってしまう」と考え、「いつかまた値段が上がるだろう」と期待しても、値下がりしたままになってしまうことは、まれではない。株の運用が上手な人は、「これ以上の損はできない」と判断し、早々に見切りをつけて、値下がりした株をサッと売ってしまうのではないだろうか。少なくとも宗教1世や2世の脱会者には、その「損切り」に成功した人が多いと感じる。
脱会した年齢が20歳か、30歳か、40歳か、50歳かにかかわらず、また生まれながらの2世信者か、生育途中で親が入信した2世信者か、あるいは宗教1世にかかわらず、「実態が分かった。これ以上は1秒でも人生を無駄にしたくない」と思えるかどうかは、大事な分岐点だ。
抜けてなお付きまとう悩み
それでは教団を抜けられた宗教2世には、どのような悩みがあるのだろうか。筆者の会合では、主として三つのテーマがよく話題になる。
一つは心の問題で、マインドコントロールがいつまでも完全には抜けない、フラッシュバックが苦しいなどの悩みが語られる。二つ目は人間関係の問題で、脱会していない家族信者と意思疎通がうまくできない、あるいは教団外の人間と壁とつくるように教えられてきたために、脱会後も普通の人間関係を構築することができない、といった悩みが語られる。三つ目は経済的な問題で、高額献金を求められ、応ぜざるを得なかったことで家計が現在も困窮している、脱会によって家族と絶縁したために、保証人を見つけられないといった悩みが語られる。
安倍氏銃撃事件によって、マスメディアから宗教2世に対する取材が増えた結果、第4の主要テーマとして、取材や報道の在り方や社会からの偏見について悩ましく感じるという報告も出てきたので、マスメディアにはぜひ慎重に対応していただきたい。
どう寄り添うか
最後の論点だが、宗教2世ではない人が、悩める2世と接したときには、どう対処するのがよいだろうか。
宗教2世は多くの場合、自分の信仰生活に後ろめたさを持ち、自分が特定の宗教のメンバーだということを隠しながら、「普通の人」を装っている。宗教団体の信者についての話題は、特にネガティブなものである場合、酒の席などであっても避けるのが安全だ。社会の側に宗教に対する偏見があって、宗教2世はそれに苦しんでいることも多いからだ。もちろんそれは「信者」に対する話題であって、宗教団体や教祖などに対する批判については、私は抑制する必要がないと考える。
また、脱会した宗教2世について、「脱会して何年も、あるいは何十年もたっているのに、いつまでもしつこく恨んでいる」と考える人は多い。宗教被害を受けた2世信者は、長年自由を制限されて、心が傷ついている。それは精神医学の概念で言えば、複雑性PTSD(※)を罹患(りかん)している可能性が高いということだ。過去の出来事がきっかけとなって現在の時点にフラッシュバックなどのトラウマ現象が発生し、健康な日常生活が阻害されている。宗教2世の問題は「今の苦しみ」だということを理解してもらいたい。「脱会すれば終わり」という単純なものではないのだ。
横道誠(よこみち・まこと) 京都府立大文学部准教授。1979年生まれ。大阪市出身。文学博士(京都大学)。専門は文学・当事者研究。単著に『みんな水の中ー「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』『唯が行く!ー当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』など多数。2023年2月、編著として『みんなの宗教2世問題』『信仰から解放されない子どもたちー#宗教2世に信教の自由を』を刊行予定。
※編集部注 複雑性PTSD 強い恐怖の経験で起きるストレス反応「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と診断された人の中でも、そうした恐怖を長期的に繰り返し経験した結果、症状が持続的に見られる状態を指す。2018年に新たに導入された診断名で、「自分には価値がない」と思い込む▽感情が不安定になる▽人とうまく付き合えない―ことなどが症状として挙げられる。反復的な虐待のほか、インターネット上の誹謗(ひぼう)中傷といった言葉の暴力でも引き起こされる。