たとえば…東京駅から富士山頂上まで歩いてみる
2012年より私が継続して行っている、小学生たちとの冒険が「100マイルアドベンチャー」である。毎年夏休み、小学6年生たちと100マイル(約160キロ)を踏破する冒険の旅だ。全国から集まってきた、全員初対面の子供たち、スタッフたちという見知らぬ者同士が、11日間の旅を共にする。歩くルートは日本国内で毎年変えており、東京駅から富士山頂、厳島神社から出雲大社、別府から熊本城、札幌から大雪山旭岳、など多様だ。参加資格は小学6年生限定。親元を離れ、きのうまで知らなかった他人と食事も寝起きも共にしながら、ゴールを目指す。そんな旅を、この11年続けてきた。
私自身は、2000年よりカナダ北極圏やグリーンランド、南極大陸を中心に、主に単独徒歩による冒険を行ってきた。氷点下50度に達する世界で、物資を搭載したソリを自力で引きながら、数カ月に及ぶ単独行を行っている。これまで北極や南極を1万キロ以上歩き、日本人初の南極点無補給単独徒歩到達、カナダからグリーンランドへのルート単独世界初踏破など、南北両極地に20回近く足を運んできた。
北極や南極を1万キロ以上歩いて感じたこと
そんな私が、なぜ小学生たちとの冒険を始めたのか。私自身、極地を自分の足で一歩ずつ歩き、自らの世界を拡張するような旅を行ってきた。その中では、多くの人に出会い、知らない食べ物と出会い、知識だけでなく体験を通して、身体を使って世界を吸収する経験をしてきた。それは私にとって大切な時間であり、自らの人生を豊かなものにしてくれた実感がある。
冒険心とは自らの内から湧き上がるもので、誰のためでもない。子どものうちから冒険心を大切にし、自らの世界を広げるような好奇心を養ってほしい、そんな思いがあった。子供たちがそれまで見知った世界の外に出て、元の世界に戻った時、それはもはや同じ世界ではない。外側を体験した目は、見知った世界に新しい視座をもたらすはずだ。豊かな視座を獲得していくこと、それが冒険が持つ意義の一つでもある。
2018年からは夏休み中に2ルート行うようになり、これまで11年で15ルート、102名の子供たちが参加した。男女比は、男子6割、女子4割。一回の定員は6年生が8名。私以外に大人のスタッフが2名ほど、高校生になった100マイルのOBやOGがスタッフとして3名ほどいる。宿泊はキャンプ場を主体として進んでいくが、時には京都の町屋を借り切って泊まったり、旧宿場町の民宿に泊まったりすることもあった。
やる気満々の子ばかりではない
100マイルアドベンチャーには、必ずしもやる気満々の子どもたちばかりが参加してくるとは限らない。6年生限定ということもあり、チャンスは一度だけ。100マイルに息子を参加させたいお父さんの強い勧めでスタート地点に来たは良いが、当の本人の顔がまるで乗り気ではない、ということもよくある。「お父さん、なんで参加しなくちゃいけないの?」「いいから、俺を信じて参加しておけ。絶対後悔しないから」。そんな会話がなされているだろうことが想像される。
スタート地点まで親が送り、いざ出発してしまえばそこから親子が再び出会うのはゴールの日。見送る親の目を後にして、乗り気ではない子も一列になって旅立っていく。しかし、そこは小学生の受け入れの早さと柔軟性。すぐに初めて会った他の子供たちと会話が進み、初日の夜には一緒になって遊び始める。それが最終日にもなれば一緒に歩いてきた同志の絆も深まり、解散の時には涙の別れとなる。
全く乗り気でなかった子のお父さんから、後日メールをもらう。「ゴールした帰り道の途中、息子から、お父さん参加させてくれてありがとう、と言われました」。そんな連絡をいただくと、やってよかったと心の底から感じる。
乗り気じゃなかったけど…が大切
その子の人生において、これから先もきっと、勉強や大人になってからの仕事など、乗り気じゃないことや先入観で遠ざけてしまう出来事は訪れるだろう。そんな時に、乗り気ではなかったけどやってみたら良かった、そんな経験があるかどうかは、ちょっとしたことだが人生を大きく左右しかねないと私は思う。何かに挑戦する、一歩踏み出して知らない世界に触れてみる、その連続で世界は広がる。100マイルを歩くことで世界が広がるのではない。その端緒を開く心の準備が整うだけだ。
私が100マイルアドベンチャーの中で大事にしているのは、私が何かを指導したり、教えるという態度を取らないこと。100マイルはサバイバルキャンプでもなければ、野外生活講習会でもない。未知と出会う「旅」である。子供たちは、歩く道すがらで出会うおじさんからの励ましの声掛け、炎天下に突然現れる井戸水の冷たさ、問答無用に打ちつける風雨の厳しさ、それらを体全体で受け止めていく。知識ではない、身体性を伴った経験だ。
私が彼らに対して強く言葉を発するのは、誰かをばかにする発言や人間としてしてはならないことをした時のみ。そのようなことがあった時、私はあえて感情を出して彼らを叱る。怒るのではなく、叱る。それもある程度日数が過ぎて、子どもたちとの信頼関係が出来上がった時のみだ。私は彼らを子ども扱いはせずに、まだ人生経験の乏しい人間として扱うように心掛けている。
親元を11日間離れる100マイルでは、親側の新鮮な体験も生み出す。参加するほとんどの家庭において、それだけの日数を子どもが離れるのは初めてのこと。頼りないと感じていた息子や娘が11日後、親の心配はどこ吹く風と、初日はよそよそしかった仲間たちと意気投合してゴールする姿を迎える。そこには、親が知らない別の世界を共有した子どもたちだけの姿がある。もう親は、そこに手出しもできず、「確かに子どもが成長している」という喜びと寂しさを覚えるのだ。
細かい計画を立てない理由
11日間の中では2日の休養日を設けるが、その日をどう過ごすかはあらかじめ計画しない。「あしたの休養日、どうする?」というところから子供たちとの会話が始まる。計画というのは、リスク回避には大事なものかもしれないが、恣意的な計画性を持ち過ぎると、人間は計画に従うようになってしまう。
休養日の前日、歩いている間に通り過ぎた奇麗(きれい)な川があり、子どもたちもスタッフも「あそこで遊んだら気持ちいいだろうなぁ」という気持ちになったとしても、休養日に何か事前の計画があるとそちらが優先される。私は、計画に従うのではなく、その都度感じる素直な感情に従って、子どもたちと旅をしたい。そう考えるからこそ、細かい計画をしない。
100マイルアドベンチャーは、私にとって未来をつくる活動だ。情報過多で効率的に結果や答えを求められる社会の中で、子供たちには小さな一歩の偉大さを感じてほしいと思っている。早く、効率的に何かを学ぶことに比べれば、小さな一歩を重ねることは一見地味で、非効率に思えるかもしれない。しかし、我々は頭だけで生きているのではなく、身体を伴った人間だ。流した汗の一滴が、必ず彼らの力や自信となるはずだ。非効率だと思える行為の中にある果てしない意味。100マイルアドベンチャーを通して世界を多様な視座で眺めることは、はるかな高みに彼らを連れていく、一つの手段だと私は信じている。
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荻田泰永(おぎたやすなが)
1977年神奈川県生まれ。2000年よりカナダ北極圏やグリーンランド、北極海、南極大陸にて主に単独徒歩による冒険行を実施。これまでに北極と南極を1万キロ以上踏破。2016年、カナダからグリーンランドそれぞれの最北の村を繋ぐルートを世界単独初踏破。2018年には日本人初となる南極点無補給単独徒歩到達。第22回植村直己冒険賞を受賞。
著書「考える脚」で、第9回梅棹忠夫山と探検文学賞受賞。2019年には素人の若者たち12名を連れてカナダ北極圏を600km踏破する。2021年5月より、神奈川県大和市にて「冒険研究所書店」を開設。書店主としても活動する。著書に「北極男」「考える脚」「PIHOTEK 北極を風と歩く」がある。
(2023年4月5日掲載)