国家存続を賭けて、予算半減という不可能なミッションに挑んだ「オペレーションZ」。あの挫折から5年、新たな闘いが今、始まる。防衛予算倍増と財政再建――不可避かつ矛盾する2つが両立する道はあるのか? 目前の危機に立ち向かう者たちを描くリアルタイム社会派小説!
【前回まで】制服組の切迫感を肌で感じつつ、要望書を上げるという井端の提案に、磯部は同意できなかった。財務省では、周防たちが臨戦態勢を想定して、補正予算の算定を始める。
Episode4 カナリア
13
目が覚めた時、どこにいるのか、分からなかった。
眼鏡を掛け周囲を見渡して、ようやく草刈は自宅の寝室だと理解した。
いつ、戻ってきたのだろう。
防衛省のプレスルームで、朝まで粘るはずだったのに……。
そこで、ようやく頭が現実に戻った。
時計を見ると、午前10時前だった。
保育園の送りの時刻を、とっくに過ぎている。
慌てて起き上がると、貧血を起こして、座り込んでしまった。
今度は、ゆっくりと立ち上がって部屋を出たところで、母と顔を合わせた。
「あら、もう起きちゃったの?」
「希の保育園!」
「和彦[かずひこ]さんが、行ってくれましたよ。だから、もう少し休んでなさいよ」
「私、何時に帰ってきたの?」
「ちょっと、しっかりしなさいよ。6時半よ。ちょうど私が散歩から帰ってきたら、まるで幽霊みたいな形相でハイヤーから降りてきたんでしょ」
ダメだ、全然覚えていない。
「とにかく、寝なさい」
いや、ダメだ。もう出かけないと!
それだけは分かっているのだが、スケジュールが思い出せない。
草刈は寝室に戻ってスマホで、今日の予定をチェックした。
これだ! 11時、砂防会館、荒巻[あらまき]先生!
20分で準備をして、自宅を出た。
荒巻東十郞[とうじゅうろう]は、保守党防衛族のドンと呼ばれる人物だ。
亀井に挑発されたこともあり、「誰が戦争を止められるか」という記事を書いてみたいと思い、未明の防衛省プレスセンターから、思いついた相手数人に依頼書を送った。
最初に返信が来たのが、荒巻だった。
80歳近いはずだが、朝早くからメールをチェックしていたことに驚いた。
荒巻と会ったのは、草刈が山形支局勤務の頃だから、12年前だ。入社3年目で、衆院選挙に山形選挙区から出馬する際の抱負を取材したのが縁だった。どういうわけか、草刈を気に入ってくれて、山形でも、年に数回、さらに東京本社に戻ってきてからも、年に1度は会っている。
そういう気安さがあって、草刈は自身の問題意識をまっすぐに、荒巻にぶつけてみたのだが、即座に“ぜひ、私もお話ししたい”という返信があったのだ。
ハイヤーの車中で検索してみると、ネットは大沸騰中だった。
多くが政権の弱腰を詰っている。中国の横暴に、「一発お見舞いしてやれ」と怒り、「腑抜けの政権は、世界に笑われる。強いニッポン復活待望!」と勇ましいコメントが続く。
新潟に北朝鮮のミサイルが着弾寸前という事態が発生して以来、日本社会には、「勇ましい発言」ばかりが増えている。平和主義者は、「意気地がない」と徹底的に非難されたせいか、SNSでは、ほとんど発言を見かけなくなった。
そして、昨日の中国軍の“蛮行”で、国民はさらにヒートアップしている。
早く冷静な言葉を、発しなければ!
焦りばかりが募る中、ある女優の発言を見つけた。
“みなさん、少し冷静になりましょう。昨日、起きたのは事故であり、中国が日本を攻撃したわけではありません。
戦争からは、何も生まれません。
それより、私は今こそ、中国と対話する時だと思います“
綾部望美[あやべのぞみ]――。団塊世代のマドンナとして一世を風靡した女優で、衆議院議員を一期務めたこともある。女優としての仕事は引退しているが、ずっと核兵器廃絶のための活動を続けていることで知られている。
どこか偽善者に見えて、今まで余り信用していなかったのだが、取材してみようと思った。
文化部の記者に、綾部の連絡先を教えて欲しいとメールを送る。
官邸前をハイヤーが通過した時、デモ隊が取り囲んでいるのが見えた。
「何ですか、あれ?」
運転手に尋ねると「総理辞めろって、叫んでいるみたいですな」と答えた。
「まったく、物騒な世の中だ。臆病な総理で、いいじゃないですかねえ」
来月で定年退職だという運転手の発想も面白かった。
「世の中、勇ましい総理がお好みみたいだけど、松中さんは、そうじゃないの?」
「変に自己主張が強い人や、人気取りのために勇ましいことを言う奴なんて、信用できませんよ。私は、何もできないんなら、臆病が一番だと思いますけどね」
ハイヤーが砂防会館の車寄せに滑り込んだ。
真っ白だが豊かな髪の荒巻は、年齢より若く見える。
そして、防衛族のドンとは思えないほど優しい目をしている。それが人柄を表しているのかは分からないが、政治家の取材が苦手な草刈が、緊張しない理由も、その目にあった。
「絶好のタイミングでの取材をありがとう」
「いえ、もっと早くお邪魔すべきでした」
「でも、昨日の出来事が起きる前と後だと、発言が変わっていたと思うから、今日がグッドタイミングだよ」
草刈が尋ねたいと打診したのは、昨夜の事故及びその後の政府の対応についての見解、そして、日頃から「軍備は平和維持のためであって、武力行使のためではない」と言う荒巻が、なぜ、すぐにでも戦争回避を訴えないのか――だった。
まずは、衝突事故について尋ねた。
「メディアもあまり話題にしていないが、そもそもなぜ、あんな場所に台湾の潜水艦がいたのか、という点が重要だね」
台湾政府からは、「公海上での訓練を行っていた」という説明はあったが、内容は明かされていない。無論、荒巻もそれは知っているだろう。
「あんな場所で、いったい何の訓練をしていたのか。原因究明は行うべきだが、その前に、政府としては、台湾に厳重抗議すべきだね。日本の漁船は、浮上した潜水艦と衝突しているのだからね」
大迫政権は今朝の会見で、抗議の意思を明言しているが、今のところ実行していないようだ。
「次に、中国軍の動きだが、驚天動地としかいいようがない。人道的、国際法的には、海自は中国軍に警告を発するべきだったろうね。だが、やれるのは、そこまでだ。防衛出動なんて、とんでもない」
そこまでは、荒巻の従来の主張に沿ったものだった。
「ところで、今朝の『東西新聞』を読んだかね?」
「オンラインの美濃部さんの記事ですよね」
「私も、彼とまったく同意見だ。偶然、台湾の潜水艦が粗相をした。そこで、中国はちょっと介入してみた。日米安全保障条約が、実践されるのかどうかを、試したわけだ」
「そして、両国は、ものの見事に、足並みの悪さを露呈した?」
「草刈さん、そんな生やさしい言葉じゃ足りない。日米安保なんて画餅で、全く機能していないのを、世界に曝け出してしまったんだ」
「なぜ、そんなことになってしまったんでしょうか」
「少なくとも我が国は、有事とは何か、それに備えるとはどういうことかが、まったく分かっていなかった。
アメリカも驚愕したろう。原潜を出張らせたのに、日本は海保だけ。怒り心頭に発したろうな」
「先ほど、先生は、防衛出動などとんでもないとおっしゃいましたが」
「国境警戒でもなんでもいい。とにかく、アメリカと連携を図るための行動は、必須でしょう。だが、防衛大臣の頭には、防衛出動か否かしかなく、官邸に至っては、完全に思考停止していた。
残念ながら、日本は自国を守る気がない――」
では、どうすればいいのだろう。
「先生は、総理と防衛大臣に安全保障の何たるかをしっかり学べ、とおっしゃりたいんですか」
「違うよ。そんなことは、無理だ。これはね、文化の問題だ。ああいう事態が起きて、最低限の対応ができない――。
それが日本の安全保障の文化なんだと理解した。
だからね、私はこれから官邸に行って、総理に、あの判断でいいと言う。そして、即刻舩井の首を切って、世界に『日本は、どんな事態が起きても、武力行使しない』と宣言するように説得する」
防衛族の重鎮が、戦争回避のアドバイスを総理に進言するのは、有意義だと思う。
だが、その理由が、あまりにも無能すぎる。
草刈は、この状況をどう解釈して良いのか、呆然とした。
忙しないノックと同時にドアが開き、秘書が荒巻にメモを渡した。
それを見た荒巻が、あわててテレビのリモコンを手にした。
画面では、NHKニュースが特報を伝えている。
“保守党の都倉響子・総務会長が、先ほど、北京市の中南海で、中国の華希宝[ホアシーパオ首相と共同で記者会見を行い、昨夜、中国側が拿捕した台湾軍の潜水艦を、台湾に引き渡すことで合意したと、発表しました” (続く)
執筆者プロフィール
真山仁
[まやま・じん] 1962(昭和37)年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004(平成16)年に企業買収の壮絶な舞台裏を描いた『ハゲタカ』で衝撃的なデビューを飾る。同作をはじめとした「ハゲタカ」シリーズはテレビドラマとしてたびたび映像化され、大きな話題を呼んだ。他の作品に『プライド』『黙示』『オペレーションZ』『それでも、陽は昇る』『プリンス』『タイムズ 「未来の分岐点」をどう生きるか』『レインメーカー』『墜落』『タングル 』など多数。
(2023年11月16日掲載)
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