真山仁・連載小説 オペレーションF[フォース] 第30回

2023年09月28日09時00分

国家存続を賭けて、予算半減という不可能なミッションに挑んだ「オペレーションZ」。あの挫折から5年、新たな闘いが今、始まる。防衛予算倍増と財政再建――不可避かつ矛盾する2つが両立する道はあるのか? 目前の危機に立ち向かう者たちを描くリアルタイム社会派小説!

【前回まで】対馬沖で起きた地元漁船と台湾海軍潜水艦の衝突事故。防衛大臣の舩井は護衛艦「みずほ」の出動を主張した。官邸に現れた米軍の基地司令も自衛隊の軍事行動を要求する。

前回【第29回】はこちらから。

Episode4 カナリア

           2(承前)

 結局、物別れの状態で話し合いは終った。部屋から引き上げる上官を見送っていた磯部に、バーンズが声をかけてきた。

「セージ、それにしても、もう少し、別の対応の仕方があったんじゃないのかな?」

 親日派であるし、中国との関係も、平和維持を基本姿勢にしているバーンズとは思えない発言だった。

「そうかな? 私としては、官邸まで基地司令が乗り込んでくること自体に、違和感があったけど」

 アメリカ留学時代からの友人でもあるバーンズは、磯部にとって、気を遣わずに話せる相手である。

 無論、バーンズの所属が、国防情報局(DIA)であるのも知っている。

「私が言いたいのも、まさにそこだよ。わざわざ基地司令が官邸まで足を運んだのに、木で鼻を括ったような対応は、失礼だろう?」

「官房長官に加え、防衛事務次官と外務省の審議官が対応したんだよ。十分に礼は尽くしている」

 外交とは、常に対等であるべきだ。

 今回は、在日米国海軍のトップが来訪したと言っても、作戦指揮権を持たない少将なのだから、れっきとした格上が対応したのだ。

「舩井大臣からは、何も聞いていないのか」

 話が見えなくなった。

「何もって? どういうことだ?」

「そうか、だからか。実は、クライトン司令と舩井さんは、先月、非公式で会っているんだ」

 初めて聞く。

 大臣官房に所属している磯部は、大臣のスケジュールは、すべて把握している。先月に、そんな重要な会合があった記憶はない。

「内密で会ったらしい。で、その席上、中国軍が国境侵犯した暁には、自衛隊はアメリカの先兵として空母『みずほ』以下を派遣するとおっしゃったらしいぞ」

 総理執務室で、唐突に大臣が護衛艦の出動を主張した理由を理解した。

「それも初めて聞く話だよ。それに、『みずほ』が空母ではなく護衛艦なのは、アンディだって分かっているだろう。しかも、艦載機となるF-35Bは、我が国は発注しているだけで、現実にはまだ1機も保有していない。いわば丸腰の「みずほ」が出動しても何の役にも立たない」

「『みずほ』の出動はともかく、ここで海自が出張ってくれれば、中国海軍に対して良い牽制になったと思わないか」

「思わないね。そんなことをしたら、中国を本気にさせるだけだ。いいかアンディ、日中関係は、悪化していない。両国が戦争で衝突するだろうなどと本気で考えている国民は、皆無だ」

 この程度のことは、バーンズはすべて承知していると思った。

「そうか……。どうやら我々は、貴国を見誤っているようだ。総理は操りやすく、防衛大臣は愚かだ。だから、何でも言うことを聞いてくれると――」

 国際社会の中にあって、日本という国は、ホンネが読みにくい国だ、と言われている。

 例えば、内閣総理大臣は絶大な権限を有しているが、総理だけでは、何も決定できない。また、安全保障についても、防衛大臣にほとんど権限はない――。

 だが、それを外国政府が理解するのは至難の業のようだ。

 バーンズほど明晰な分析力と日本への知見を有していても、こんな勘違いをするのだ。

「セージ、これは我々の勘違いでした、では済まないんだ。知っての通り、作戦指揮権はホノルルのインド太平洋軍司令官が有している。つまり、クライトン司令は、独断で官邸を訪問したわけじゃないんだ」

 ようやくバーンズの抗議の意味を理解した。

「つまり、ホノルルの司令官が、海自に出動せよと命じている――。そう言いたいのか」

「実際には、記録には残らないサジェスチョンだがね。だが、司令官としては、防衛大臣の内諾を得ていると理解していたんだ」

           3

 午前零時を過ぎても、会見は始まらなかった。痺れを切らして帰る者も増えてきた中、草刈はひたすらネットニュースをチェックして待った。

 夕飯の用意をしてくれた母と、息子を風呂に入れてくれた夫に、何度も詫びのメッセージを送りながらも、仕事を切り上げられない己に呆れていた。

 今、中国の動き次第では、まさかの交戦が起きる可能性が高まっている。

 草刈の隣に座る論説委員、美濃部徳彦[みのべとくひこ]は「米軍の動きが慌ただしいようだけど、市ヶ谷は、ちょっとやそっとでは動かないから、安心しなさい」と余裕だ。安全保障のエキスパートが言うのだから、少しは安心できる。

「草刈さん、これヤバイ!」

 暁光新聞の防衛省担当の宮崎が、ニュース動画を見せてきた。

 5分ほど前に、NHKが放送したものらしい。

 その動画は、官邸で記者団の前に現れた舩井防衛大臣が、コメントする様子が撮られていた。長時間の協議だったにもかかわらず、疲れた様子もない。

 “一触即発という事態に、防衛省としてしかるべき対応を取りたいと考えています。総理には、護衛艦「みずほ」をはじめとする海自の実力部隊を派遣してはどうかと進言しました”

 マジか!

 これは重大発言だった。

「総理の返事は?」と問われた舩井は、「それは、総理に聞いてください」とだけ言い残して、官邸を去っている。

 会見場がざわついている。皆、このネットニュースを見て驚愕している。

 広報課長が壇上に現れて、会見の開始が遅れると発表した。

「課長、官邸での囲みで、大臣は海自の出動発言をしているけど、これは事実ですか」

 たまりかねた記者から声が上がる。

「それにつきましても、大臣会見でご自身の口から説明致します」

 課長はそれだけは返したが、あとの質問は受け付けなかった。

 草刈の携帯が鳴った。児玉からだ。

 “おまえ、そんな会見なんて出なくていい。磯部を探してウラを取れ”

「ウラって、何のウラですか」

 “決まってるだろ。佐世保や横須賀の動きだ”

「あの、嶋川[しまかわ]さんは?」

 先輩の嶋川なら、自衛隊担当で、陸海空の幹部にネタ元を持っている。

 “横須賀で米軍含めて情報を集めている。おまえは磯部だ”

 磯部さんなんて、捕まるわけないし、捕まえる自信もないんだけど。

「お待たせしました。只今より、大臣会見を行います」

 司会の挨拶と共に現れた舩井大臣は、先ほどの囲み取材とは違って、やけに機嫌が悪そうだ。

 とりあえず、大臣の話だけは聞いておくか。

「官邸で、対馬沖の衝突事故の対応について総理と協議しておりました。

 結論から申し上げると、今回の事件、失礼、事故については、海上保安庁で対処することになりました。以上です」

 話が変わっている! 会場のあちこちで「マジかよ」という声が上がった。

「大臣は、護衛艦『みずほ』など海自の精鋭部隊を派遣するとおっしゃっていませんでしたか」

「私がそう進言したのは、事実です。だが、それは黙殺されました」

 舩井は露骨に苛ついていた。

 これは、暴言を吐くぞ。

「みなさん、我が職を賭して申し上げたい。

 まさに、今、中国海軍の艦船4隻が、我が国のEEZに集結しているんですぞ。なのに海自が対応しないというのは、由々しきことです。

 米軍ですら、空母ロナルド・レーガンを対馬沖に出動させるというのに、なぜ、我々自衛隊は引っこんでいろと言われるのか。そんなことで、国民の命を守れるのでしょうか。

 これについては、明日、改めて大迫総理を説得するつもりです」

 大臣官房長の辻岡が血相を変えて飛び出してきて、大臣に何か話しかけている。

 その間にも記者から質問が飛んでくる。

「つまり、大臣の進言を、総理が拒絶したということですか」

「厳密にはそうではありません。総理は、いつもの通り何も決めようとせず、代わりに……」

 そこで辻岡がマイクを手で押さえた。すぐに数人の職員が大臣を囲み、強引に壇上から降ろした。

「大変失礼しました。只今の大臣発言は、大臣としてではなく、舩井個人のものだとご理解ください」

 辻岡の額が汗で光っている。とんでもない展開になった。

「でも、海自は出動しないんでしょう。ならば、大臣の提案が拒絶されたのは間違いないのでは?」

「拒絶されたという表現は、穏当ではございませんが、事故の収束については、海上保安庁が行うことが決定されたのは、事実でございます」

「米軍が、ロナルド・レーガンを対馬沖に出動させるというのは、事実ですか」

「把握致しておりません」

「それは、知らないということですか、それとも発表できないのですか」

「そのような報告を、米国海軍から受けていない、という意味です」

「中国海軍がEEZを侵犯しても、海自は出動しないんですか」

 記者たちの質問はどんどん鋭くなるが、辻岡は努めて穏便な態度で応じている。ただし、目は血走っている。

「現在、事故現場海域に、中国海軍の艦船が停泊しているのは事実ですが、いずれも公海上です。従いまして、現状ではEEZ侵犯の対応については、申し上げられません」

「辻岡さん、それって国民の知る権利の侵害じゃないんですか」

「そのように取られてしまったのであれば、私の不徳の致すところです。深くお詫び申し上げます」

 辻岡は、そこで切り上げた。

 怒りが収まらない記者に対応するため、今度は広報課長が壇上に上がる。

 それを潮に、草刈は会見場を後にした。

 そして、磯部の携帯電話を鳴らした。

 磯部は、3コールで出た。 (続く)

執筆者プロフィール
真山仁
[まやま・じん] 1962(昭和37)年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004(平成16)年に企業買収の壮絶な舞台裏を描いた『ハゲタカ』で衝撃的なデビューを飾る。同作をはじめとした「ハゲタカ」シリーズはテレビドラマとしてたびたび映像化され、大きな話題を呼んだ。他の作品に『プライド』『黙示』『オペレーションZ』『それでも、陽は昇る』『プリンス』『タイムズ 「未来の分岐点」をどう生きるか』『レインメーカー』『墜落』『タングル 』など多数。
(2023年9月28日掲載)
前回【第29回】へ
次回【第31回】へ
【真山仁『オペレーションF[フォース]』バックナンバー(※第3回までは会員登録不要)】

真山仁・連載小説 バックナンバー

新着

会員限定



ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ