真山仁・連載小説 オペレーションF[フォース] 第29回

2023年09月21日14時00分

国家存続を賭けて、予算半減という不可能なミッションに挑んだ「オペレーションZ」。あの挫折から5年、新たな闘いが今、始まる。防衛予算倍増と財政再建――不可避かつ矛盾する2つが両立する道はあるのか? 目前の危機に立ち向かう者たちを描くリアルタイム社会派小説!

【前回まで】暁光新聞の草刈は、財務省主税局長と政治記者の懇親会に出席した。主要な話題は防衛費の財源確保策。その時、対馬沖で地元漁船と台湾海軍の潜水艦が衝突という一報が。

前回【第28回】はこちらから。

Episode4 カナリア

ジャーナリストは、真実でないと自ら心得ている事柄を語る。
しかも、それを喋り続けているうちに、真実になるかもしれないと願っている。
アーノルド・ベネット『タイトル』より


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 午後11時を回ったというのに、総理執務室は、異様な緊張感に包まれていた。

 そこにいる誰もが決断の責任者になりたくなかった。それどころか、許されるなら、この場に同席したくない――。

 壁際に立って控える磯部は、無性に喉が渇いていた。

 今から約2時間前に、対馬沖で延縄漁船「第三真珠丸」が、台湾軍の潜水艦と衝突、沈没し、漁船の乗組員21人の内、14人が行方不明だ。

 衝突現場は、日本の排他的経済水域(EEZ)と公海の境界線という厄介な地点だった。

 衝突した台湾海軍の潜水艦は海龍級潜水艦「海隼」で、損傷がひどく、沈没の危機にあるという。

 台湾海軍が、日本の領海まで進出してきた理由は謎だが、厄介なのはこの「事件」を奇貨として、中国海軍の艦船が集結していることだ。

 事故の対応と行方不明者の捜索を指揮している海上保安庁第七管区のヘリコプター2機搭載巡視船(PLH22)「やしま」からの情報では、既に4隻の中国海軍の艦船が、周辺で待機している。

 さらに、台湾海軍も2隻の艦船が出動している。

 にもかかわらず、海上自衛隊には出動の発令がないのだ。

「総理、もはやこれは単なる海難事故ではありません。中国から艦船が出張ってきている以上、海自が出動すべきです」

 執務室の中で、一人ハイテンションの舩井[ふない]防衛大臣が詰め寄った。

 太平洋戦争勃発の頃の官邸では、こんな緊張感が連日続いたのだろうか――、磯部はそんな想像をして、背筋が寒くなった。

 煮え切らない総理に代わって、三好官房長官が応じた。

「舩井大臣、そんなことをすれば、中国を刺激するだけです」

「官房長官、中国は我々を挑発しているんですよ。せめて、ファイティングポーズくらい取らないと。国際社会の常識でしょう」

 それは、どなたの常識ですか、と誰も問わなかった。

「米軍の反応は?」

 三好に振られて、防衛事務次官の久能慶彦[くのよしひこ]が応じた。

「現在のところ、大きな動きはございません」

「いや、久能さん、私の知るところでは、既に横須賀の第七艦隊では、非常召集がかかっているし、沖縄の嘉手納基地も、パイロット全員に禁足令が出ているそうだぞ」

「私のところには、そのような情報は参っておりません。いずれにしても、今回の事故で、米軍が介入するのは、考えにくいかと」

 嘉手納の情報は眉唾だが、横須賀では出動準備が始まっているという情報を、磯部は得ている。しかし、この事故に関連したものではない、と公式のルートでは釘を刺してきている。

 つまりは、自衛隊を刺激したくないという配慮なのに、この人はベラベラと……。大臣と事務次官の足並みが揃わないのを、総理官邸で晒すとは、政治家としてのデリカシーのかけらもないじゃないか。

「海自は、出動準備は進めているんですか」

 官房長官が現況について統合幕僚長に確認している。

「佐世保地方総監部所属の第二護衛隊群の艦船は、いつでも出動可能です」

「ここは、『みずほ』を出すべきだよ」

 また舩井大臣が横槍を入れた。

 ヘリコプター搭載護衛艦(DDH)『みずほ』は、横須賀基地所属だ。そんな遠いところから出動する意味が分からない。

「大臣、DDHは、武器が軽装備ですし、現場から遠すぎます」

「空母なんだ、F-35を載せていけばいい」

「『みずほ』に艦載可能なF-35Bは、まだ配備しておりませんので」

「舩井さん、あなたは、いったい何をやる気なんですか。単なる台湾軍潜水艦と日本の漁船との衝突事故ですぞ。政府としては、台湾軍に厳重抗議をして、彼らが責任を持って日本の行方不明者の捜索に当たってもらう要請をする以外は、海保に任せればいい」

 我慢ならないように言ったのは、繁森忠興[しげもりただおき]外務大臣だった。東アジア諸国との関係強化に積極的な彼は、次期総理候補の一人でもある保守党の大物だ。さすがの舩井も黙り込んでしまった。

「この際、我々はきちんとした共通認識を持っておくべきです。我が国と中国の関係は、ずっと良好です。戦争する原因も意思もない。したがって、日中の軍事衝突は、最優先で避けなければならない。それで、よろしいですか」

 繁森の発言に、異を唱える者はいなかった。

「繁森さんの意見に賛成だなあ。中国艦船は、無視しましょう。人命第一。だから、海保に頑張ってもらいましょう。長官、よろしく」

 総理の鶴の一声に、海上保安庁の長官が立ち上がって頭を下げた。

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 執務室を出たところで、三好官房長官から、久能に声がかかった。

「磯部君も、残ってくれないか」

 久能について行くと、「米国大使館から駐在武官が来ているそうで、君も立ち会ってくれ」と告げられた。

 駐在武官は、赤坂にある在日米国大使館内に常駐し、米国の軍事部門の活動や、駐在国の軍との調整、軍事情報の収集、大使館における軍事アドバイザーを務めている。

 磯部は、現在の武官室長のアンドリュー・バーンズ大佐との親交が深いこともあって、久能が声を掛けたのだろう。

 他には、外務省の審議官も同席するらしい。防衛省からは、次官以下、統合幕僚長と海幕長も揃っていた。

 バーンズ以外に二人の将校も待っており、一人は横須賀基地司令のティモシー・クライトン少将で、もう一人は副官兼通訳だった。

 わざわざ横須賀から基地司令が来ている意味を、磯部は重視した。

 横須賀基地は、第七艦隊の精鋭である空母ロナルド・レーガンを旗艦とする空母打撃群の拠点でもあるからだ。

 このタイミングで、クライトン少将が官邸に足を運ぶのは、「異常事態」と言えた。

「対馬沖の衝突事故について、貴国の対応を伺えませんか」

 日本語で話すバーンズの質問に応じたのは、三好だった。

「現在、台湾海軍の潜水艦と、我が国の漁船との衝突事故としての対応を行っています」

「つまり、海自は出動しないと?」

「海上保安庁の巡視船等で対応致します」

「事故現場周辺に、中国海軍の艦船が集結しているにもかかわらずですか」

 官房長官が即座に頷くと、クライトン少将が口を開いた。

「我が軍としては、横須賀に寄港中のロナルド・レーガンを対馬沖に出動させることも検討しています。これは、集団的自衛権の範疇だと我々は考えています。なので、海自もそれに応じた行動をお願いしたい」

 想定以上の無茶振りだった。磯部の隣に座っていた海幕長の顔が引き攣っている。

「待って下さい。我々は、貴国に何のお願いもしていません。また、先ほども申し上げた通り、今回は事故です。軍事行動を起こす理由がありません」

「では、中国軍が、EEZを侵犯したらどうしますか?」

「その時は、海上保安庁から警告を発します。それに従わない場合は、海自に出動命令を出しますが、貴国の支援は仰ぎません」

「フラフラ殿下」と「カミソリ寛治」は、名コンビと半ば皮肉を込めて語られるが、今日の三好は、磯部が痺れるほど見事な政治家だった。

「ジェネラル・イズミもそれでよろしいのか」

 いきなりクライトンに名指しされた統幕長は、「もちろんです、クライトン少将。ご一緒できなくて残念ですが」と返した。

 磯部としては、中国に対して強硬な態度は慎むよう、三好から米軍に釘を刺して欲しいところだったが、さすがにそれは叶わなかった。

 それが無礼なことであるのは承知しているが、クライトン少将の態度には「俺は本気だ」という意志がみなぎっている。    (続く)

執筆者プロフィール
真山仁
[まやま・じん] 1962(昭和37)年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004(平成16)年に企業買収の壮絶な舞台裏を描いた『ハゲタカ』で衝撃的なデビューを飾る。同作をはじめとした「ハゲタカ」シリーズはテレビドラマとしてたびたび映像化され、大きな話題を呼んだ。他の作品に『プライド』『黙示』『オペレーションZ』『それでも、陽は昇る』『プリンス』『タイムズ 「未来の分岐点」をどう生きるか』『レインメーカー』『墜落』『タングル 』など多数。

(2023年9月21日掲載)
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