国家存続を賭けて、予算半減という不可能なミッションに挑んだ「オペレーションZ」。あの挫折から5年、新たな闘いが今、始まる。防衛予算倍増と財政再建――不可避かつ矛盾する2つが両立する道はあるのか? 目前の危機に立ち向かう者たちを描くリアルタイム社会派小説!
【前回まで】土岐と主税局長・我妻は、経団連に防衛費増額に伴う法人税への加算を依頼する。我妻の根回しと見返り期待で理解は得られたが、その直後、総理の重大発言が流れた。
Episode3 リヴァイアサン
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総理が重大な発言をしたにもかかわらず、草刈は、日本プレスセンタービルで、政治部デスクの児玉をじっと待っていた。
主税局長と全国紙の政治部長及び財政担当記者による懇親会に出席するためだ。
そんな堅苦しい席などに参加したくないのだが、児玉の厳命では致し方ない。何でも主税局長が重大発表をするらしい。
児玉を待つ間、総理の「防衛費増額分について、来年度は国債で賄う発言」に関するネットニュースを読み漁った。
周防ら財務官僚の多くは、「防衛費を国債で賄うのは論外」と言ってたし、草刈も彼らの説明に、納得もしていた。
それだけに、財務省にとっても、総理の発言は「裏切り行為」だろう。尤も、内閣総理大臣の忠実な僕[しもべ]である財務官僚に、総理の発言を非難することはできない。
だとすると、主税局長がどのような説明をするのかは楽しみだった。
顔見知りの記者が、上司ともどもエレベーターに吸い込まれていった。
「行くぞ」
児玉の声が耳に飛び込んできたと思ったら、彼は目の前を通り過ぎて、エレベーターホールに歩いて行った。待たせて悪かったという詫びの一言もない態度にムッとしながら、草刈は彼に続いた。
「絶好の懇親会になったな。楽しみだ」
「まさか、こんなタイミングではお会いしたくない方々とお食事をするとは、私もよほど日頃の行いが悪いようです」
プレスセンタービルにあるレストラン「アラスカ」の個室で、主税局長の我妻は、にこやかに挨拶した。露骨な嫌みなのに、彼が言うと、粋なジョークに聞こえる。
財務省切ってのハードネゴシエーターらしいが、そんな雰囲気は微塵もない。
出席者は、興味津々で我妻の話に耳を傾けている。そしてほぼ全員が、上着の胸ポケットに忍ばせたスマホやICレコーダーで、録音を始めているはずだ。
「本日は、防衛費の財源に国債を充てる是非についてと、日本の安全保障について、皆さんと意見交換する予定でした。
しかし、先ほどの総理の発言を考えると、最初の方のテーマは、できれば避けたいところで」
「いや我妻さん、今こそ、意見交換すべきでしょう。総理の発言は、大変重大ですから」
児玉の提案に、出席者の多くが同意した。
「分かりました。では、せっかくですから、忌憚なくやりますか」
あり得ない!
このタイミングで、財源確保の責任者である主税局長が、総理の判断を批判することになりかねない話題で、記者と意見交換するなど、正気の沙汰ではない。児玉の話では、席上の話は一応オフレコとなっているが、時と場合によっては、そんな「紳士協定」は、反故にされる。
それは、我妻も重々承知のはずだ。
我妻の国家財政についての考えはオーソドックスで、防衛費の財源を国債で賄うような総理は、許しがたいと思っている。少しでも、そうした発言をすれば、彼のキャリアはそこで終わるだろう。
しかし、我妻は全くリラックスした様子で、「では、まずは児玉さんからどうぞ」と言った。
「日本の将来を大きく左右する防衛費倍増の判断を、総理は先送りしてしまった、というのが一般的な理解かも知れません。だが、私に言わせれば、現総理は亡国への道をまっしぐらですな。
そもそも違法である赤字国債を乱発して、財政を悪化させているという自覚がない。その上、安全保障費については、恒常的な財源が必要なのに、緊急避難的な手ばかり打つ。
我妻局長、この際総理に財政学のイロハを学んでいただいてはどうか」
TPOという感覚が皆無の児玉らしい舌鋒だった。
「貴重なご意見をありがとうございます。ところで、児玉さんは、防衛費倍増については、どのようにお考えなのでしょうか」
それは児玉のやる気に油を注ぐ一言だった。
「防衛予算には無駄が多いのに、その精査もせずに、台湾有事という危機への懸念を利用しているとしか思えませんな」
他社の政治部長の多くが、苦笑いを浮かべている。
「ぜひ、その辺りの鋭いご指摘を、暁光新聞紙面で拝読したいですね」
「望むところです。ではお尋ねしますが、来年度は、国債で防衛費の不足部分を補うという本日の総理のご発言について、財務省主税局長としてはどのようにお考えですか」
児玉は、この場が、懇親の場であるという前提が吹き飛んでいるようだ。
「総理から直接お話を伺うまでは、コメントは控えたいと思います」
「逃げるんですか」
「いやあ、宮仕えの義務ですよ。他社の皆さんは、如何ですか。防衛費の財源として国債を充てるというのは?」
多くの記者が異を唱えた。一通り出席者から意見が出た段階で、食事も進み、アルコールも入って、場の雰囲気は和んでいった。
「ところで、防衛費増額に対する財源について、様々なアイデアが持ち上がっています。
その中で、我々が一番重要な財源確保策だと考えているのが、新たなる税の徴収です。既に、一部メディアでは、増税という言葉が躍っていますが、私の個人的な意見で申し上げると、今回の場合、増税というよりは、国土と国民の命を守るための必要経費を、国民一人ひとりにお願いすると考えております」
首都新聞の女性記者が現れた。
官房長官会見で、言いがかりに近い攻撃的質問を重ねて一躍有名記者になった有森玲[ありもりれい]だった。
「では、さっそくですが、有森さんのご意見をお聞かせ下さい」
いきなり要警戒人物に質問をぶつけるとは、我妻もやるなあ。
「誰も、防衛費を増やしてくれと頼んでいませんし、コロナ禍の大変な生活から抜け出せていないのに増税されるのって、国民への虐待じゃないんですか。それを、平和を維持するための必要経費とは、驚きました。それって、酷い欺瞞ですよね」
首都新聞の政治部長は「おい、有森、もう少し言いようがあるだろう」と諫めたが、当の本人は全く気にしていない。
「さすが有森さん、手厳しいですね。もちろん、国民の皆さんの生活が大変であるという認識はございます。それでも、隣国同士で戦争リスクが高まり、朝鮮半島から本土にミサイルが飛んできても、対処できないというのは、国家として重要な義務を果たせていません。国民の皆さんだって、ご自宅のセキュリティには心を配られているはずです」
「自衛隊をセコムと同じレベルでお話しになるのは、ちょっと違うのではないですか。それに、イージス艦はミサイルの迎撃に失敗したんですよ。そんな自衛隊に、国民の命を守れるのでしょうか」
「そう、あの迎撃失敗には、私も驚きました。しかし、あれもまた防衛費不足が招いた結果だということが、その後の調査で判明しました。来週にでも、防衛省から発表があると思います。
今の有森さんのご指摘はとても重要で、国家の防衛は民間警備会社レベルではない。もっと高度で厳重であるべきです。そして、新潟沖に、もう一隻イージス艦が配備できていたら、迎撃できた可能性は高かった。
であるならば、官邸も防衛省も国土を守るとはどういうことで、何が必要なのかを丁寧にご説明し、ご理解を得た上で、ご協力をお願いするべきではないでしょうか」
ここで初めて、我妻が最初に有森を指名した魂胆を、草刈は理解した。最も厳しく批判するであろう人物の発言内容から、自身の訴えたいことを抜き出して、利用する――。
かなりリスキーな高等戦術だったが、我妻は平然とやってのけた。
無論、有森はまだ反論したそうだったが、首都新聞の政治部長が止め、そのうえ「我妻さんのおっしゃることは、重要な視点ですね」と支持してしまった。
もっとも、この問題については、他の記者も黙っていられなかったようで、意見が噴出した。
憲法改正問題という視点からの意見、日米安全保障条約の見直し、倍額程度で本当に国土が守れるのかという意見もあった。
そんな中で、東西新聞の政治部長が面白い発言をした。
「弊社では、来週から『国を守る』という連載企画を始めます。そこで、戦後の日本の防衛について振り返ると共に、近年の東アジア情勢にも言及する予定です。その一方で、大がかりな世論調査を行い、国民の安全保障に対する意識を調べ、分析結果を掲載します。
全てはお話し出来ませんが、ロシアによるウクライナ侵攻と、米中の貿易戦争の影響で、戦争に巻き込まれないための防衛費について、国民がもっと負担するのは当然ではないかという声が、想像以上に大きくて驚いています。
それは、先ほどの我妻局長のお話と呼応すると思います」
実際、稚内[わっかない]に住む草刈の友人は、「地元では、ロシアが攻撃してきた時のための備えを考えるようになり、皆恐怖を感じている」と話していた。
また、南西諸島を取材した同僚記者によると、一刻も早い自衛隊の駐留を望む声が日増しに高まっているという。
「実は、弊社も防衛費増額のための財源確保については、消費税率アップの時のような増税批判を行わない予定です」
東西新聞政治部長の発言には、多くの社の代表が頷いてる。
消費税率アップと防衛費の財源のための増税と、それほど大きな差があるのだろうか。
やはり日本人の胸中に巣くってしまった戦争への恐怖心が、“もっと国防に力を入れよ。そのための増税なら、止むなし”というムードを煽っている気がした。
「大変、貴重なご意見をたくさん戴きました。お帰りの際に、税制調査室長より、弊省の財源確保に関する提案書をお配りします」
「ん? 何だ、これは」
声を上げたのは、共同通信の政治部長だった。
草刈も慌ててニュースアプリが伝える速報を見た。
“対馬沖で、地元漁船と台湾海軍の潜水艦が衝突し、漁船が沈没した模様” (続く)
執筆者プロフィール
真山仁
[まやま・じん] 1962(昭和37)年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004(平成16)年に企業買収の壮絶な舞台裏を描いた『ハゲタカ』で衝撃的なデビューを飾る。同作をはじめとした「ハゲタカ」シリーズはテレビドラマとしてたびたび映像化され、大きな話題を呼んだ。他の作品に『プライド』『黙示』『オペレーションZ』『それでも、陽は昇る』『プリンス』『タイムズ 「未来の分岐点」をどう生きるか』『レインメーカー』『墜落』『タングル 』など多数。
(2023年9月14日掲載)
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