国家存続を賭けて、予算半減という不可能なミッションに挑んだ「オペレーションZ」。あの挫折から5年、新たな闘いが今、始まる。防衛予算倍増と財政再建――不可避かつ矛盾する2つが両立する道はあるのか? 目前の危機に立ち向かう者たちを描くリアルタイム社会派小説!
【前回まで】主税局調査課の土岐は、事務次官や主税局長・我妻らと共に、保守党の防衛問題特別チームに呼び出された。梶野元総理の後継を狙う三神は、増税は認めないと息巻く。
Episode3 リヴァイアサン
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保守党本部の玄関ロビーで、土岐と我妻は枚岡らと別れた。別のミーティングがあるからだ。
岡山と枚岡が乗り込んだ次官車を見送ると、我妻と土岐は、局長車で経団連会館に向かった。
会館の1階で、我妻は「ちょっとコーヒーブレイクしますか」と言って、自販機で二人分の缶コーヒーを買うと、ベンチに腰を下ろした。
「怒り心頭に発すってところかな、土岐君。でも、大丈夫だよ。あの人たちの意見は無視すればいいから」
ブラックコーヒーを一口飲んでから、我妻が嬉しそうに言った。
「昨日、私と岡山さんが官邸に呼ばれたでしょ。そこで、総理からお許しを得たんだ」
何も決められない「フラフラ殿下」が、三神ら「過激派4人衆」を無視せよと命じたというのは、信じがたかった。
「厳密には、官房長官が仰る隣で、総理が頷いたんだがね」
「今まで、党内融合に努めてこられた総理とは思えませんが」
「地位は人をつくる、ってことだな。大迫さんも、総理就任から1年を経て、そろそろ派閥の呪縛から解き放たれたくなったんでしょ。
それに、あの方は、図々しい人がお嫌いだからね。無理が通れば道理が云々を黙認すれば、総理の威厳は失墜し、再選も難しくなるのにも気づかれたのでしょう」
それもまた、個人のエゴじゃないか。誠心誠意、国家国民に尽くそうという意識が微塵もない。
「ところで君は、省内で“ミスター正義”って呼ばれているそうじゃないか」
「そんなあだ名、初めて聞きます」
宮城からはそう呼ばれているが、省内で言われているのは耳にしたことはない。
「名誉なニックネームじゃないか。僕なんて“寝業師”だよ。酷いよね」
だが、本人は一向に酷いと思っている風には見えない。
「いずれにしても、僕らは政治家ではないけれど、国民の側に立って、国民の期待に応えるという意味で、同じでしょ。それを実現させるためには、誰とも対立せずに、最適解の結果を手に入れる。特に来年度のような難しい予算は、それに徹するべきなんだ。それが財務省が担うミッション・インポッシブルのスタンスだよ」
我妻は簡単に言うが、そんな曲芸は、“寝業師”にしかできない。
「果たして、私が適任なのか分かりませんが、努力します」
「まずは、肩の力を抜くことです。相手は敵ではないし、単なるバカでもない。国会議員は、何万人という有権者に投票された人であり、これから会う財界人だって、皆超一流の企業を経営している。そういう側面を理解すれば、少しは相手をリスペクトできるでしょう」
反論の余地はない。
「こう見えて僕なりに揺るぎない正義があるんです。でも、正義は押しつけたり、見せびらかしたりしてはならない。これは、何度も失敗した先輩からのアドバイスです」
我妻は空になったコーヒー缶をリサイクルボックスに捨てた。土岐もそれに続いた。
経団連でのミーティングは、会長と3人の副会長という顔ぶれだった。
「本日、主計局と防衛省との折衝が終わり、来年度から向こう5年間の総額は43兆円となりました」
「思ったより、増えましたな」
思ったより、か。会長の溝端公之[みぞばたきみゆき]の予想は、いくらだったのだろう。
かつて、経団連会長は、「財界総理」と呼ばれ、時に総理を動かすほどの影響力を有していた。だが、東日本大震災時の原発事故による電力会社へのバッシング、会長を多く輩出した企業の経営危機などを経て、かつての栄光は消えつつある。それでも、日本の大手企業の連合組織のトップとして一定の影響力は残していた。しかも、日本を代表する製薬会社の会長である溝端は、政府や社会に対して積極的に発言する実力派だ。
70代の彼が、年の割に若々しい体型を保っているのは、健康産業のトップとしての矜恃か。
「金額的には想定内です。しかし、問題はこれからです。どれだけ知恵を絞っても、やはり増税は避けられません。そこで、かつての復興税のような法人税への加算をお願いしたいと思っております」
「コロナ禍をようやく乗り越えたと思ったら、増税ですか。全く殺生な話ですな」
製薬会社の名物会長が、関西弁で嘆息する。
「今回の防衛費の見直しに連動して、『防衛生産基盤強化法』を制定し、防衛産業の支援を考えております。さらに、予算増の部分については、可能な限り国内企業での受注ができるような立て付けも、検討中です」
「つまり、バーターっちゅうことですかな」
我妻は答えるどころか頷きすらせず、ただにこやかな表情で黙っている。
「防衛費の問題は、我妻さんが、前々から事情説明をしてきて下さったので、我々財界としても、しっかりと応援しなければならないと考えています。ただし問題は、税率及び、中小零細企業への配慮ですな」
会長の発言を受けて、土岐が文書を差し出した。
4人が文書を手にして、熟読している。
最初に読み終わった溝端が、副会長3人に意見を求めた。
「復興税をベースに策定されたということですが、前回同様に、所得税でも徴収するのですか」
唯一の女性副会長が、我妻に尋ねた。
「そのつもりでおりますが、そこは税調との調整が必要です。復興税に加えて徴収するのか、復興税を来年度から徴収せず、安全保障税に置き換えるのかも考える必要があります。それに、来年の統一地方選挙が終わるまで所得税での増税を控えるという主張も根強くございます」
「保守党は情けない党になってしもたな。選挙に負けるから、増税はしませんってのは、単なる逃げやろ。それやったら、真剣に景気対策をやればええんです。まあ、そのあたりは、我々が関知しないところなので、ここでの議論は控えましょう。先ほどの新法によって防衛関連企業は潤うでしょう。しかし、日本の全ての企業が潤うわけではない。私はその点を懸念しています。
たとえば、私どものような製薬業界は無関係なわけで、その不平等感の対策は講じるんでしょうか」
選挙のために増税しないのを批判するが、防衛費拡大の恩恵に浴せない業界への配慮を要求するなら、結局同じ穴の貉[むじな]じゃないか。
土岐には、どちらも唾棄すべき話だが、我妻に言われた通りに、黙ってひたすらメモを取った。
「ご安心ください。可能な限り、すべての産業にプラスに働くように努めたい、という防衛大臣及び財務大臣の思いを受け取って戴ければ、幸いです。今後も感染症対策については、自衛隊にも貢献してもらわなければなりません。なので、医療分野でもしっかりとした予算がつくように交渉中です」
それはあくまでも口約束に過ぎない。だが、我妻が言うと誠意を尽くしたお願いに響く。
経団連の幹部は「期待しています」と答え、面談を終えた。
これほどスムーズに財界の理解を得られたのは、我妻が事前に財界に根回しをしていたからだ。
表の通りに出たところで、我妻がスマホの画面を土岐に見せた。
“速報 防衛費増の財源確保について、大迫総理は、来年度の増税は見送り、不足分は国債で賄うと表明” (続く)
執筆者プロフィール
真山仁
[まやま・じん] 1962(昭和37)年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004(平成16)年に企業買収の壮絶な舞台裏を描いた『ハゲタカ』で衝撃的なデビューを飾る。同作をはじめとした「ハゲタカ」シリーズはテレビドラマとしてたびたび映像化され、大きな話題を呼んだ。他の作品に『プライド』『黙示』『オペレーションZ』『それでも、陽は昇る』『プリンス』『タイムズ 「未来の分岐点」をどう生きるか』『レインメーカー』『墜落』『タングル 』など多数。
(2023年9月7日掲載)
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