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真山仁・連載小説 オペレーションF[フォース] 第24回

2023年08月17日12時00分

国家存続を賭けて、予算半減という不可能なミッションに挑んだ「オペレーションZ」。あの挫折から5年、新たな闘いが今、始まる。防衛予算倍増と財政再建――不可避かつ矛盾する2つが両立する道はあるのか? 目前の危機に立ち向かう者たちを描くリアルタイム社会派小説!

【前回まで】祖父の桃地を説得して防大に進み、海自の幹部候補生となった樋口梓二佐。IMFから転じて、桃地財団の理事となっていた中小路流美。二人は周防の訪問を待ち構えていた。

前回【第23回】はこちらから。

Episode3 リヴァイアサン

           

 東急田園都市線池尻大橋駅を出た磯部の眼に、派手派手しい幟の文字が飛び込んできた。

“軍拡反対!“

“憲法九条を守れ!“

“軍拡増税 許さない!“

「みなさん、我々日本人は平和を愛する国民であるという誇りを、置きざりにしていませんか」

 マイクを握りしめる女性が必死で訴えているが、誰も足を止めない。

「軍拡」という文字に磯部は違和感を覚えた。実際、防衛費を増やそうとしているのだが、今回の場合、「軍拡」とは捉えていない。

 むしろ、遅れに遅れていた安全保障の備えを少しは充実させるための防衛費増だ。言ってみれば、穴だらけの防衛力を補強するという方が的確だった。

 しかし、自衛隊の実状を知らない国民が、防衛費を増やすことは、すなわち「軍事力を拡大する」という意味だと考えるのは、間違いではない。

 にもかかわらず、磯部は、その考えを強く否定している。

 他国と戦争をするための装備を厚くするならば、「軍拡」と言えるかもしれない。あるいは、今なお燻っている核武装までいけば、認めざるを得ない。だが、今回はそうではない。

 だから、磯部たちも、「軍拡」という表現に対しての方策を考えていなかった。

 しかも、北朝鮮のミサイルが、本土に弾着しそうになってからは、対抗策を強化せよという世論の方が強くなっている。

 しかしながら、そんなムードは、些細な出来事で一変する。だから、驕ってはいけないし、国の安全と防衛力強化について、国民に正しく理解してもらう必要があった。

「自国を守るためなら、相手の国を攻撃してもいいなどという暴論を、私たちは本当に許していいのでしょうか」

 かん高い声で叫ぶ主張を聞きながら、磯部は駅の南にある防衛装備庁次世代装備研究所を目指した。

 駅から南へしばらく歩くと、自衛隊中央病院が見えてくる。その構内を抜けると、防衛装備庁次世代装備研究所に至る。防衛装備における先端技術の研究開発を行う施設だが、今日の目的は、非公式の会議に出席するためだ。

 研究所通用口で、海自の二佐が磯部を待っていた。

 海上幕僚監部の早瀬[はやせ]と名乗る二佐の案内で、会議室に通された。

 磯部を待っていたのは、4人だった。その中で唯一面識のある、友利雄介[ともりゆうすけ]一佐が、他の3人を紹介した。海上自衛隊潜水艦隊第二潜水隊群司令の秋築護[あきづきまもる]一佐、防衛装備庁長官官房海上担当装備官・谷村勲[たにむらいさお]、同プロジェクト管理総括官(海上担当)・堀内一則[ほりうちかずのり]という顔ぶれだった。

 3日前に、「防衛力整備計画策定で、どうしても聞いてほしい要望がある」と、友利から連絡を受けた。詳細を尋ねると、「潜水艦艦隊に関する構想」と返ってきた。

 それだけで、内容は予想できた。だから、参加したくなかったのだが、厄介事を避けると、必ず後悔するので、仕方なく応じたのだ。

 場を仕切っている友利は、海幕副長の補佐役を務めているが、筋金入りの潜水艦乗り[サブマリナー]でもある。

 そして、横須賀を拠点にした第二潜水隊群のトップに加え、装備庁から海自担当の幹部という顔ぶれが、潜水艦隊について議論しているのであれば、目的は一つだった。

 日本初の原潜導入――。

 原子力潜水艦は、軍事大国必須の兵器である。一部には、核弾頭ミサイル搭載のために必要だと考えられているが、最大の理由は別にある。

 原潜は動力に酸素を必要としないのだ。

 海自をはじめ多くの国が保有している潜水艦は、ディーゼル機関と電動機を併用している。海中に潜行している間は、酸素を節約するため、ディーゼルエンジンが使用できない。そこで、潜行中は電動機によって航行することになる。

 つまり、バッテリーが切れたら、浮上して充電する必要があるため、ディーゼル機関も必要なのだ。様々な改良が加えられたが、最大潜水連続時間は、1ヵ月程度だ。

 一方、核分裂には酸素が不要なため、優に2ヵ月は潜水が可能だった。

 また、電動機利用の潜水艦は、省エネが必須のため、規模や装備にも限界があるが、原潜の場合は、巨大化も可能で、装備も充実できるし、核弾頭の搭載も可能になる。

 日本でも1950年代から、原潜建造の調査は行ってきたが、長年「不要」を通してきた。「原子力の利用は、平和目的に限る」と明記されている原子力基本法や、被爆国であることなどを配慮したためだ。

 ところが、1986年に、海上自衛隊は原子力潜水艦の導入について具体的な検討に入った。ソ連の原潜開発が突出し、それに対抗すべき潜水艦の必要性を感じたからだと言われている。

「ご案内の通り、今年1月に行われた日米両国の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)の共同発表で、日本は、『国家の防衛に必要なあらゆる選択肢を検討する決意』を表明しました。台湾有事への備え、さらに海自の艦船が、インド洋にまで進出していることを考えると、今後、5年間で、原潜開発への準備を進めるべきだという意見が、日増しに大きくなっています」

 この追い風を逃してなるものか、というホンネを隠しきれないような口ぶりに、磯部はうんざりした。

 簡単に言ってくれるな。

 海自の最新艦「とうりゅう」の建造費は636億円だが、米国の標準的な原潜「バージニア」は、1000億円以上と聞いている。

「ちなみに、それは海自の公式見解ですか」

「これは海自の総意だと考えてもらって結構だ。そこで、ぜひ、内局でも真剣に検討して戴きたい。そして、来たるべき『防衛力整備計画』に織り込んで戴きたい」

 高圧的とも言える口ぶりの秋築一佐が、原潜導入派の急先鋒であるのは知っているが、さすがに不愉快だった。

「おい秋築、我々は無理を、磯部さんに聞いてもらおうとしているんだ。そういう言い方は失礼だぞ」

 秋築と友利は同期らしく、友利に窘められて、秋築は非礼を詫びた。

「秋築さん、『計画』の策定は既に最終段階に入っています。それに、原潜導入となれば、官邸案件です」

「何とか、1行でもいいんです。原潜開発への扉を開く言葉を盛り込んで戴けませんか。

 実は、今夜、有志が集まって、日本版原潜の青写真を描いてます。彼らの地道な活動に報いるためにも、お願いしたいんです」

 友利が言うと、谷村装備官が、ファイルを差し出した。

「まだ、勉強会一同の私案ですが、核ミサイルは搭載せず、アメリカよりは小型で、その分速度にこだわる、という方針を考えています。予算も700億円まで絞り込めます」

 ファイルを読むかぎりでは、既に潜水艦メーカーや原子力メーカーも巻き込んでいるようだ。だが、このような計画が実行されると、全ての基盤づくりから必要となり、予算は兆単位と聞いたことがある。

「磯部さん、日本海や東シナ海、日本の太平洋沿岸は、潜水艦銀座と言われるほど、露中米韓の潜水艦が潜航している。おまけに甚だしく領海侵犯する艦が後をたたない。我々は、時にそれを承知でも、能力的に劣るために、手をこまねいて見ているしかないんだ。

 その上、台湾有事による日米共同での作戦を展開するとなると、現有の潜水艦では、もはや無理なんだ」

 口調は抑えてはいるが、それでも秋築の声は押し強い。

「日本が原潜を有することで、原発事故以来、滞っている新規の原子炉開発への道も生まれます。実際、今回の勉強会で最も熱心なのは、原発メーカーである大亞重工です。原潜開発は、海自のエゴではなく、日本の産業振興の一助ともなる。我々はそう信じています」

 谷村装備官も畳みかけるように秋築を援護した。

 彼らが無理を押し通そうとしているわけではないのは、分かる。しかし、国産戦闘機開発ですら、防衛力整備計画では、予算をかなり抑え込んだのだ。その数倍はかかる原潜開発なんて、論外だった。

「とにかく、原潜開発について、もう少し具体的な要望を聞かせて下さい」 (続く)

執筆者プロフィール
真山仁
[まやま・じん] 1962(昭和37)年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004(平成16)年に企業買収の壮絶な舞台裏を描いた『ハゲタカ』で衝撃的なデビューを飾る。同作をはじめとした「ハゲタカ」シリーズはテレビドラマとしてたびたび映像化され、大きな話題を呼んだ。他の作品に『プライド』『黙示』『オペレーションZ』『それでも、陽は昇る』『プリンス』『タイムズ 「未来の分岐点」をどう生きるか』『レインメーカー』『墜落』『タングル 』など多数。

(2023年8月17日掲載)

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