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真山仁・連載小説 オペレーションF[フォース] 第12回

2023年05月25日12時00分

国家存続を賭けて、予算半減という不可能なミッションに挑んだ「オペレーションZ」。あの挫折から5年、新たな闘いが今、始まる。防衛予算倍増と財政再建――不可避かつ矛盾する2つが両立する道はあるのか? 目前の危機に立ち向かう者たちを描くリアルタイム社会派小説!

【前回まで】現場レベルの折衝でも、防衛省側は施設整備もミサイル防衛も全て必要不可欠だと譲らない。限られた予算の中で現実的な優先順位を求める周防たちとの溝は深かった。

Episode2 傘屋の小僧

           9

 半年ぶりに草刈摂子[くさかりせつこ]は、大手町にある暁光新聞本社に出社した。産休と育休明け初日だった。

 大理石の太い柱が並ぶ玄関フロアに入ると、産休前より古びたように感じた。

 活気がないからか。それとも、いよいよ社が傾き始めた影が、社屋にも及んでいるのだろうか。

 昭和から一度も入れ替えてないような旧式のエレベーターに乗り込む。昔はもっと照明が明るかった気がするのだが、今日は薄暗く感じた。

 5階で降りたところで、同期の記者と出くわした。

「おっ、草刈。久しぶり」

「ご無沙汰。相変わらず大活躍ね」

 クロスボーダー部という調査報道を行う花形部署に所属する彼は、同期の中では指折りの優秀な記者だ。つい先日も自衛隊機の墜落事故でスクープを飛ばしていた。

「そのつもり。育休明け? これから両立するの?」

「何もかも予定通りにいかない大変な面と、今まで考えたこともない視点から、物事を見るようになったプラス面が混在しているから、それを仕事に生かしたいと思ってる」

「さすが東大のエリートは言うことが違うね」

「それって嫌み?」

「いえ、妬み」

 新聞記者になってから、エリートだなんて感じたことはない。それどころか、頭でっかちで、行動力に乏しいことが嫌だった。

 記者は、考えるより動け! 

 伝説の社会部記者の下でしごかれた時期があるが、何度そう叱られたか。

 5階には、暁光新聞社の心臓部である編集局が集まっている。草刈が産休に入るまで所属していた政治部は、編集局長室に最も近いところに陣取っている。

 午後の早い時間帯は、デスクとアルバイト以外、ほとんど人がいない。皆、取材に出払っているのだ。

 局にいた何人かの顔見知りの記者に復職の挨拶をしながら、最後に草刈は政治部デスクの児玉均[こだまひとし]に挨拶した。

 児玉はこちらを見ただけで、何も言わず仕事の手も止めなかった。

 政治部きっての切れ者である児玉が、草刈は苦手だった。政治部にいながら、政治家も官僚も嫌悪していて、彼らの粗探しのために執念を燃やす。

 しかも、誰にでも横柄な態度で毒を吐く。

 政治部より社会部にいけばいいのに、と周囲に言われても、本人は一向に意に介しない。

 人使いの酷さも最悪だが、本人が会社に住んでいると揶揄されるほどのワーカホリックなので、相手を慮るような脳の回路はないらしい。

 休職中に、どこかに異動になっていないかと期待したが、デスクに昇格してさらに暴君振りに磨きが掛かったらしい。

 手近にあった回転椅子に腰を下ろし、草刈はひたすら仕事する児玉を眺めていた。

 育休が明けると、まずは元の所属部署に戻される。その後、育児の実情を部長と相談して、場合によっては時短勤務が可能な部署に異動することもある。

 草刈はそのつもりだった。

 数日前に、政治部長に復帰を告げたら、「デスクの児玉君と話をしてほしい」と返ってきた。

 それは、「最悪」の事態を予感させた。すなわち、児玉が使いたいように草刈を配属する可能性だった。もちろん、草刈の都合など完全無視だ。

「おまえ、防衛費増額問題は、しっかりフォローしているか」

 いきなり児玉が言った。

「最低限は」

 産休に入るまでは、防衛省担当だった。

「確か、磯部と親しかったな」

「官房会計課の磯部征治部員ですか。親しいというほどではありませんが、取材にはよく応じて戴きました」

「ゼミの先輩だろ」

「被っていませんが、大田ゼミの先輩です」

「じゃあ、周防も知ってるな?」

「財務省の周防さんなら」

「今回は政治部遊軍として防衛費増額問題を担当してもらう。既に財政研究会と防衛記者会の追加登録は済んでいる」

「あの、できれば半年ぐらいは時短で、とお願いしていたんですが」

「それは自分でやりくりしろ。俺が欲しいのはおまえの時間じゃなく、他社が書かない原稿だ」

 令和とは思えぬ横暴さだな。

「夜回りとか、無理ですよ」

「結構。原稿が書けるなら、夜回りしなくてもいい」

 それが無理なのを知っていて、言っている。

「防衛費増額問題の担当は、私の他にどなたが?」

「財政研の井深と防衛記者会の宮崎、そして、俺だ」

「児玉さんもですか」

「そうだ。俺がキャップを務める。だから君は、好きなように動けばいい」

「申し訳ないのですが、私には荷が勝ちすぎです」

「いや、おまえにぴったりだろ」

「政治部長と相談したいのですが?」

「構わないよ。やるだけ無駄だけどな。君のことについては、政治部長から一任されている」

 視界の片隅で、政治部長の茨木[いばらき]の姿を捕えた。

 草刈はすぐに茨木を呼び止めた。

「部長、色々ご迷惑をおかけしました。今日から、復帰致します」

「やあ、お帰り。無理せず、頑張って」

 児玉とは正反対の温かい言葉が沁みた。

「それで、ご相談したいことがあるのですが」

「仕事のことは、児玉君と詰めてくれたらいいと、前に伝えたよね」

「はい。児玉さんとお話しました。その上で改めてご相談があります」

「そうか。じゃあ、聞きましょうか」

 茨木は、上着と鞄を所定の場所に置くと、来客用の応接セットに座った。

「復帰後の仕事についてなんですが、フルタイムで仕事できるほど、体力が回復しているわけではありません。そのような現状で、防衛費増額問題の担当は、難しいかと」

「児玉君の話では、君は彼の補佐として在宅勤務で対応してもらうと聞いていますよ。それに仕事内容だって、君にぴったりでしょ」

 嘘つきめ!

 草刈は渋々、先ほど児玉から聞いたことを説明した。

「あまり深刻に考えなくていいのではないかな。君はできる範囲で頑張ってもらって、あとは児玉君や取材チームが動く。そういうことです」

 そんな仕事を児玉が許すとでも思っているのだろうか。

「僕が、草刈君に防衛費増額の取材班に入って欲しいと思ったのは、君が母になったからなんだよ。まあ、最近の風潮で言えば、親になったからといえばいいのだろうかね。安全保障だの防衛費増額だのという話は、読者に遠い話だ。だが、今回は、国民の命が脅かされた時に国家が責任を果たせるかという視点が重要だと、僕は思っている。だとすると、新たな命を授かった君のような記者が、取材班にいてほしい。そして、子どもの命を守る安全保障とは何かという記事を期待しているんだ」

 そこまで言われているのに、我を通すほど草刈は図太くなかった。結局、茨木に陥落した。   (続く)

執筆者プロフィール
真山仁
[まやま・じん] 1962(昭和37)年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004(平成16)年に企業買収の壮絶な舞台裏を描いた『ハゲタカ』で衝撃的なデビューを飾る。同作をはじめとした「ハゲタカ」シリーズはテレビドラマとしてたびたび映像化され、大きな話題を呼んだ。他の作品に『プライド』『黙示』『オペレーションZ』『それでも、陽は昇る』『プリンス』『タイムズ 「未来の分岐点」をどう生きるか』『レインメーカー』『墜落』『タングル 』など多数。

(2023年5月25日掲載)

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