真山仁

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国家存続を賭けて、予算半減という不可能なミッションに挑んだ「オペレーションZ」。あの挫折から5年、新たな闘いが今、始まる。防衛予算倍増と財政再建――不可避かつ矛盾する2つが両立する道はあるのか? 目前の危機に立ち向かう者たちを描くリアルタイム社会派小説!
自国の平和は自国で――秘密裡にもたらされた米国からの一方的な通告。自主防衛を迫られた防衛省は、課長補佐の磯部に「Xミッション検討会議」立ち上げを命じる。
真山仁『オペレーションF[フォース]』バックナンバー(※第3回までは全文公開)
Episode1 防人の覚悟
2(承前)
人選も磯部に一任され、総勢八人の入省15年目以上の中堅幹部が集められた。
大臣官房から二人、予算策定を担当する防衛計画課の課長補佐、自衛隊を統括する統合幕僚監部、陸海空幕僚監部から二佐クラスを各1名ずつ。そして、防衛装備庁装備政策部の課長という顔ぶれだった。
市ヶ谷の厚生棟の一室に集い、毎週土曜日の午後から深夜まで、それぞれの立場から問題点を挙げ、日本の自主防衛について熱い議論を交した。
四月に入り、「自主防衛の定義策定と具体的な補強点」のフェイズに進んだ。
「そもそも、自国を守る覚悟を持たない自衛官など存在しない。だが、改めて自国を守るという哲学を共有するのは大変有意義だと思う。
その場合、アメリからの通告がどうあろうと、日米安全保障条約に則った防衛なのか、あるいは、米軍は存在しないとして国防を考えるべきなのか。それによって覚悟は変わる」
会議が始まるなり、統合幕僚監部から出席している井端敏介[いばたとしゆき]二佐が発言した。
磯部と同じ39歳の井端だが、上層部からの期待を一身に集めている出世頭だ。
「ここではもはやアメリカは存在しないという前提で考えたいと思います」
議論が散漫にならぬよう、磯部は明言した。
「なるほど……。だとすれば、我々は根本的な発想の転換が必要になる。それは、防衛費の増額などという単純な話ではないですね。自衛隊のあり方自体を根幹から見直す必要がある。それに現状の防衛力では、アメリカの言うような自力防衛など到底無理です」
「それはそうと、日本の仮想敵は、本当に中国なんでしょうか」
発言したのは、制服組のメンバー中唯一の女性である海上幕僚監部の樋口梓[ひぐちあずさ]二佐だった。防衛大学を首席で卒業し、ミサイル艇の艇長を務めた後、海幕入りしているエリート幹部だ。
容姿端麗の女性幹部とあって、メディアにもよく取り上げられるが、見た目の華やかさからは考えられないほど、戦略術では「策士」と言われている。
「XM」会議でも、井端vs樋口が恒例行事となっていて、毎回白熱の論戦が繰り広げられる。
「質問の意図が見えない」
「自主防衛の戦略を立てる上で、仮想敵の設定は必須ではありませんか。メディアなどは、中国が仮想敵だとしがちですが、果たしてそれで充分でしょうか。ロシアのウクライナ侵攻以来、北海道民などは本気で、ロシアが海を越えて攻めてくると怯えています。また、実際に我が国に攻撃を仕掛けているのは北朝鮮です。なのに、中国だけを仮想敵国というのは、私には不可解なのです」
日本の防衛を最も広範囲に行っているのが、海上自衛隊だ。領海のみならず、排他的経済水域[EEZ]、さらには公海上まで出張って、日本の安全を守っている。
彼らからすれば一触即発の事態が起きやすいのは対中国船籍だが、現実に脅威を与えてくるのは別の国である。
「アメリカが、中国を仮想敵だと考えた戦略を立てているんだ。同盟国である我が国も当然、それに倣うだろう」
「突然、今後、おまえの国は守らないと突き放した国に、忠義を尽くすんですか」
「だが、現在の環太平洋での最大の軍事案件は、台湾有事なのだから、我々の仮想敵国は中国だ」
「中国を敵だと決めたのは、アメリカでしょう? 日本と中国に『不和』があるんでしょうか。アメリカが我が国に、勝手にやれというのであれば、日本と中国が手を組むという選択肢があるのではないでしょうか」
戦争は、突然起きるものではない。両国間の関係が緊張し、外交努力では解決されない「不和」の状態に至り、やがて軍事的な衝突の可能性を高め、最終的に戦争に至ると、考えられている。
「日中間の『不和』より重要なのは、中国が、日本をアメリカの同盟国と見なしている点だ。したがって、我が国が中国を仮想敵にするのは、当然だ」
「お言葉を返すようですが、中国の敵は、アメリカ一国。日本なんて眼中にないでしょう」
「お二人の激論に水を差して申し訳ないのですが、空自から言わせてもらうと、連日、領空侵犯すれすれを続けている中国空軍を見ていると、日本が眼中にないというのには、大いに異論があるんですけど」
航空幕僚監部の中森貫一[なかもりかんいち]三佐が、苦笑いしながら介入した。
「あれも、我が国への威嚇というよりは、米空軍への挑発が目的でしょう?」
日本は戦後、公式には「仮想敵国」を設定したことがない。とはいえ、仮想敵国を設定しない防衛などあり得ないので、省内では、ロシア、中国、北朝鮮を設定している。勿論、”極秘事項”である。
そんな中で、自主防衛を迫られることになり、上層部は仮想敵国の設定を求めてきたのだ。
この議論は、朝までかかっても収束しないだろう━━そう考えて、磯部が介入した。
「官房長は、台湾有事を想定した日本の安全保障のあり方を求めておられます。ですから今回は暫定で中国を仮想敵に想定して、検討しましょう」
「磯部さん、話を進めたいお気持ちは分かりますが、本気で中国を仮想敵にすると、日本の防衛体制は、絶望的に劣勢ですよ」
樋口が食い下がった。
既に、防衛装備庁が作成した米中の戦力対比が行われ、数的な比較では、中国がほぼ全ての領域で、アメリカを凌駕している。
中国の軍事力がアメリカを上回ったとは言えないが、少なくとも日本は既に敵ではない。
日米安全保障条約に依存し過ぎた日本が、遂にそのツケを払わされる時が来たのだ。
「先月、各所属のスリム化を検討した際、陸自の隊員数が多すぎるから、半減を考えるべきだという意見が支持されました。しかし、充分な沿岸防衛を目指すなら、現員の14万人でも足りません」
「既に中国は、陸軍を縮小し、海と空の充実に舵を切っているんです。ならば、沿岸部防衛は現状でも充分では」
陸自一佐の田原貢[たはらみつぐ]はそう訴えたが、井端は突き放した。陸自出身にもかかわらず、井端は陸自の隊員削減に積極的だ。
田原としては、後輩の井端の態度が気に食わなかったらしい。田原は露骨に不快を示した。XMの人選は、「二佐で」と依頼したのに、陸自だけは「一佐」が参加した。海自や空自よりも常に上位でありたいという陸自の文化の表れなので、磯部は異を挟まなかった。「制服組」は、田原に敬意を払うのがしきたりだが、井端は気にしない。
戦略を担うのは統合幕僚監部のみで、相手が上官であっても、主張は譲ってはならないという暗黙の了解があるからだ。
磯部は、田原の怒りが爆発するかと思ったが、井端が「上官の田原さんには大変失礼な発言ではありますが、ご容赦下さい」と詫びて、ことは収まった。
中国と日本に「不和」はあるのだろうか――、磯部は改めて考えてしまった。
米中関係は、明らかに現在「不和」の状態にある。半導体や通信、さらにはAI、量子コンピューターなどの開発競争が熾烈で、それが報復関税の発端となり、貿易摩擦が激化、両国間の緊張が膨らんでいる。
しかし、日中間で緊張感が高まるような要素は、ほぼない。あるとすれば、中国戦闘機の領空侵犯の恐れや尖閣諸島をはじめとする領海での中国籍船舶の行動で、それは米中間の「不和」と比べると、「甘噛み」程度でしかない。
それを突き詰めれば、日本の次期中期防も自主防衛も、仮想敵を設定するより、外敵から自国を守るための備えに焦点を絞った方がよくないのだろうか……。
「僭越ながら、発言してもよろしいでしょうか!」
樋口の背後の壁際でずっとメモを取っていた一尉、新沼正[にいぬまただし]だった。海自では将来有望の若手をエリート幹部の副官として行動を共にするという文化があり、本来は参加者は一名のみだが、例外として参加を認めた。
そのため発言権はなかったものの、新沼の切羽詰まった声に、磯部は発言を認めた。
「自分たちの世代では、中国は敵という考え方が減ってきた印象があります。自分にも中国人の友人がおりますし、中には、中国人女性と交際している者もおります。逆にアメリカ人の友達がいる者など、自分の周囲にはおりません。なのに、なぜアメリカにすり寄り、中国人を敵だと決めつけるのか、どうしても理解できません」
田原は露骨に舌打ちをして、新沼の上官である樋口を睨んでいる。
「新沼、もうそれぐらいでいいわ。何をド素人みたいな発言をと、お怒りの方もいらっしゃると思います。でも、彼のような声も大切にすべきではないでしょうか」
樋口は部下を咎めるつもりはないようだ。
「個人的には友好関係であっても、国家同士では対立関係にあることなど、よくあることです。それが国際政治では?新沼の意見を無視するつもりはないが、個人の主観を元に、国際政治を議論するのは幼稚でしょう」
井端の意見に、多くの出席者が頷いた。
だが、磯部は中国と日本に「不和」はあるのか、がますます気になった。
「磯部さん、これ、観て下さい」
夏木がそう言いながら、ノートパソコンを、磯部の方に向けた。梶野直臣元総理が、物議を醸す発言をしたという。
夏木は大型モニターにも接続した。
民放のニュースの画面がモニターに映し出され、北海道で講演した梶野元総理の発言が流れた。
“我が国もいよいよ自主防衛する国家として生まれ変わらなければなりません。我が党は来年度予算で、防衛費を現在の2倍、5年後には5倍に引き上げるよう、政府に強く働きかけます。
強いニッポンのためにタブーをつくってはなりません。核武装をするくらいの覚悟を持とうではありませんか!” (続く)

真山仁氏【時事通信社】
執筆者プロフィール
真山仁
[まやま・じん] 1962(昭和37)年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004(平成16)年に企業買収の壮絶な舞台裏を描いた『ハゲタカ』で衝撃的なデビューを飾る。同作をはじめとした「ハゲタカ」シリーズはテレビドラマとしてたびたび映像化され、大きな話題を呼んだ。他の作品に『プライド』『黙示』『オペレーションZ』『それでも、陽は昇る』『プリンス』『タイムズ 「未来の分岐点」をどう生きるか』『レインメーカー』『墜落』『タングル 』など多数。
(2023年3月30日掲載)