連載小説:オペレーションF[フォース] 第1回

2023年03月09日12時00分

真山仁

国家存続を賭けて、予算半減という不可能なミッションに挑んだ「オペレーションZ」。あの挫折から5年、新たな闘いが今、始まる。防衛予算倍増と財政再建――不可避かつ矛盾する2つが両立する道はあるのか? 目前の危機に立ち向かう者たちを描くリアルタイム社会派小説!

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“国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を為すことができるのかを問うて欲しい。”
J.F.ケネディ1961年大統領就任演説

 泰然自若――。

 五年前、この部屋で、その書の迫力に圧倒されたのを、周防篤志[すおうあつし]は思い出した。

 彼は、上野の不忍池の畔にある「江島屋」の離れにいた。明治に創業した老舗料亭は、あの日と同じようにしんとしている。夏の始まりを歓ぶ蝉の声すら聞こえない。

「江島屋」は、元内閣総理大臣江島隆盛[えじまたかもり]の曾祖父が開いたもので、明治の元勲から歴代総理の多くが、この一室で国家の行く末を大いに語り合ったという。

 ここに、初めて江島に招かれたのは、彼が総理大臣を辞職した直後のことだった。

 天下国家を語る男達の気を吸い続けた部屋ともなれば、そこに漂う空気もただならぬ重さで、周防は息苦しさを覚えた。だが、渋い大島紬の和服を着た江島が姿を見せると、緊張感は消え失せた。いつもよりも明るく饒舌だった江島のおかげで、周防には一生忘れられない時間となった。

 あれから、五年か……。

 長いようで、一瞬だった。

 財務省主計局から、次に任じられたのはナイジェリア大使館の一等書記官だった。

 アフリカでの勤務は、日々、焦燥と消耗の連続だった。しかも、ナイジェリアの治安の悪さは世界でもずば抜けており、日中に、道路を渡る程度の行動にも安全確保を意識しなければ、たちまち犯罪に出会うという有様だった。

 身の安全だけではない。権力者の理由なき強権発動、暴力、腐敗、そして、這い上がれない貧困という絶望――。

 激烈な格差社会の不幸を知識としては知っているつもりでも、その現実を目の当たりにした時、あまりにも救いがないことに絶句するしかなかった。

 国家の使命とは、国民の命と国益を守ることだ。だが、独裁的な政治がはびこれば、その富を享受するのは「限られた国民」だけだ。

 国全体が貧困に喘いでいるならともかく、石油が豊富に産出し、アフリカ屈指の経済大国であるにも関わらず、富の配分どころか「健康で文化的な最低限の生活を営む権利」すら国民すべてに行き渡らない。それを理不尽だの不条理だのと部外者が怒ったところで、その構図はびくとも揺るがない。

 その現実に耐えきれなかった周防は、全てを投げ出して帰国しようと、何度も考えた。思わず辞表を叩きつけたくなる衝動を抑え込んで、歯を食いしばって頑張れたのは、江島との約束があったからだ。

 ――ひと回りも二回りも逞しくなって帰国し、財政再建というミッションを完遂させます!

 あの時、この部屋で、そう宣言したのだ。尤も江島と共に臨んだ闘いには敗北したが、江島は決して諦めていない。必ず再起して、日本を守るという江島の固い意志を知った時、周防は、何があっても彼の伴走者であり続けようと決意した。

 三年の赴任勤務を終え、喜び勇んで帰国の準備を進めていた時、「篤志にも、少し骨休めをしてもらわんとな」と言ってロンドン留学を勧めたのは江島だった。

 単身赴任の上に、COVID-19の世界的な大流行で、休暇の一時帰国も叶わず、長らく家族に会えなかっただけに、このまま、また、英国で一人暮らしをして学ぶなど、周防は考えたくもなかった。

 そこで、かつて江島と共に闘った先輩、土岐悟朗に相談すると、“「OZ(オペレーションZ)」に関わった者への追放処分はまだ解けてないんだ。だから、江島さんの親心を察しろ”と返ってきた。

 ナイジェリアを、救いようのない独裁国家と非難していたのに、日本だって大差ないじゃないか――その現実に周防は打ちのめされた。

 いっそのこと、財務省を辞して江島の付き人にでもしてもらおうかと真剣に考えていると、江島から“追伸”がきた。

「ロンドンには家族帯同できるように手を回した」

 老母を含め七人家族の周防家が、物価が高いロンドンでなんて到底暮らせない。しかも、日本も英国も、新型コロナウイルス感染の猛威が落ち着いたわけでもなかった。

「生活費は気にするな。私の複数の友人が、サポートすると言っている。コロナ対策にも万全を図る」と、江島は太鼓判を押した。

 政治の本場、英国への留学は魅力的だった。しかも、EU離脱後の英国の行方と政府の取り組みを目の当たりにしながら、その地で財政や政治学を学ぶには、またとない好機でもある。結局、妻の由希子の強い後押しもあって、老人ホームで暮らす実母を除く六人で、ロンドンへ向かった。

 二年間のロンドン滞在では、人生の中でも、大きなエポックとなるほどの経験を積み、得がたい友人、師、同志と巡り会えた。

 そして、先週、五年ぶりに帰国したのだ。

 勢いよく障子が開き、薄墨の縮を粋に着こなした江島が入ってきた。

「おおっ、篤志! おかえり! 暫く見ない内に、男前に磨きがかかったな」

「いえいえ、まだまだ未熟者です。それより、総理こそお変わりなく」

「冗談を言うな。俺はもう傘寿も過ぎたぞ。なのに、しぶとく国会議員なんぞ続けているから、顰蹙ばっかり買っとるよ」

 83歳の現在でも、江島が政治家を引退しないのは、彼の政治信条である財政再建が未達だからだ。ライバルが皆引退していっても意にも介さず、今でも口を開けば、「財政再建!」を叫んでいると、財務省の同僚から聞いている。その執念は鬼気迫るものがあるという。

「家族も無事に帰国したか」

「おかげさまで、皆、元気に戻りました」

「五年ぶりの日本は、どうだね?」

 それについては自分自身もずっと考えているが、まだ答えが見つかっていない。

「コロナ禍が未だ収まらず、ウクライナ紛争は長引き、それが円安を誘発してしまった。どれ一つとっても国家的危機レベルの出来事ばかりで、日本は大丈夫だろうか、さぞや殺伐としているのではと思って戻ってきたんですが、あまりの平穏ぶりに驚いて、思考が止まってしまいました」

 本当は、平穏なわけがない。不安と不満因子は日々拡大し、国民の鬱憤は膨張し、爆発寸前のはずだ。

 なのに、社会に漂っているのは、気の抜けた無関心だ。

「うまく言えませんが、どこか人が希薄になった……そんな感じです」

「人が希薄になったって、どういう意味だ?」

「生気とか気力とか、もっと言えば魂みたいなものが蒸発してしまっている人が多くなった気がして」

「ロンドンでは、そんな印象を持たなかったのか」

「英国は、集団免疫で失敗したり、変人首相のわがまま勝手な行動など、ダメな国のイメージを持たれていますが、実際は、国民自身は自分たちの生活や社会を維持するために気合いが入っていますよ」

 それは、日本人独特の欧米コンプレックスなのかも知れないとも考えた周防は、昨夜、妻にも、帰国後の日本の印象を尋ねてみた。

 ――なんか元気ないよねえ。街で見かけるのは精魂疲れ果ててるって人ばっかり。大事な背骨を抜かれた――って感じ?

「君の細君は、どう言ってるんだ?」

「同じ意見です。抜け殻みたいに元気ないって。でも、SNSとかでは、社会に物申したい人達が、すぐ炎上騒ぎをおこしている。不安と不満が日常的になっていて、だから余計に、見たくない物は見ないで、平静を装っているのかも知れません」

「とても、“チームOZ”復活どころじゃないか……」

 久しぶりにその懐かしい名を聞いた。

 江島が総理大臣だった時、1000兆円以上の財政赤字を解消すべく、一般会計の歳出半減という「奇策」、オペレーションZをぶち上げた。そして、周防ら財務省や厚労省などの官僚が密かに選抜され、政策実行に奔走した。そのタスクフォース・チームの名が「チームOZ」だった。

「僭越ですが、総理はどう思われますか」

「篤志、その総理と呼ぶのは、よせ。もはや、一介の老害議員だ。

 で、私はもっと悲観的かな。コロナ禍対策と称して、政権は無策にカネをばらまいた。補正予算の総額が、一般会計と変わらないなんぞ、狂気の沙汰だ。しかも、財源は全て国債で賄っている。なのに、それを誰もおかしいとは思わない。

 もはや、財政問題を口にするのも憚られる」 (続く)

執筆者プロフィール
真山仁
[まやま・じん] 1962(昭和37)年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科卒業。新聞記者、フリーライターを経て、2004(平成16)年に企業買収の壮絶な舞台裏を描いた『ハゲタカ』で衝撃的なデビューを飾る。同作をはじめとした「ハゲタカ」シリーズはテレビドラマとしてたびたび映像化され、大きな話題を呼んだ。他の作品に『プライド』『黙示』『オペレーションZ』『それでも、陽は昇る』『プリンス』『タイムズ 「未来の分岐点」をどう生きるか』『レインメーカー』『墜落』『タングル 』など多数。

(2023年3月9日掲載)

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