「革命のバトン」をつなぐ次世代の象徴
2月8日、朝鮮人民軍創建75周年記念閲兵式(軍事パレード)が開催された。2021年1月の朝鮮労働党第8回大会で策定された「国防科学発展及び兵器システム開発5カ年計画」を着実に進めていることを内外に示した形だが、最大の注目点は「尊敬するお嬢さま」の登壇であった。
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昨年11月に初めて登場した際は「愛するお嬢さま」との表現であったが、その直後に「尊貴であられるお嬢さま」という表現も見られた。前者は金正恩国務委員長の視点、後者は他者の視点ということになり、今回はさらにランクアップしたということだ。
公式メディアで「尊敬する」という修飾語は、後継者として登場したころの金正恩氏や2018年に夫人外交を展開した李雪主(リ・ソルジュ)氏、金日成時代には金聖愛(キム・ソンエ)夫人らに対して限定的に使用されてきた。ほかに、金正恩氏自身が中国の習近平氏への祝電などで「尊敬する」を用いることはあるが、妹の金与正・党副部長には用いられていない。
最高指導者の一存で大きな方針転換がありうる体制である。「尊敬するお嬢さま」と呼ばれる彼女はまだ10歳前後と見られているため、後継者だと確定的に言える段階にはないが、北朝鮮の言い方を借りれば、「革命のバトン」をつなぐ次世代の象徴として打ち出していることは間違いない。しかし、三代世襲を現実のものとしてから既に10年以上がたっており、「白頭の血統」を強調するのはいまさら感がある。
閲兵式では、レッドカーペットやひな壇の中心にいたり、欧州の王室を彷彿(ほうふつ)させるような装飾が施された椅子を使っていたりと注目すべき点が多々あった。その椅子は、母親の李雪主夫人が座ったものより立派であることも確認できる。前日に開催された「記念宴会」では、「尊敬するお嬢さま」が宴席の中心に座り、両親が彼女をはさんで着席していた。意図的に彼女の存在をアピールしたことは疑いようがない。
今後は彼女がいかなる場面で、どの程度の頻度で登場するか、敬称に変化はあるか、さらには称揚する歌などが流布されるかなどを見極めていく必要がある。金正恩氏の場合は、9歳の誕生日を記念して「パルコルム(足取り)」という歌が作られていたが、その歌が社会全体に流布されるのは、彼が後継者として定まった後の2009年からであった。
親が子供を連れて歩いたりするのは当然のことであるにしても、問題はなぜそれを表舞台に大々的に出してきたかという点だ。金正恩氏の家族構成は公式に明らかにされていない。仮に複数の子供がいるとすれば、なぜ「尊敬するお嬢さま」だけが登場したのか。もし彼女を後継者として内々に決めているのであれば、男性優位の儒教文化が根強い北朝鮮社会において、時間をかけてその存在を絶対化させようとの意図が働いている可能性も考えられるが、あくまでも仮説に過ぎない。
未確認情報が独り歩きする危うさ
閲兵式ではエリート小学校の「革命学院」の子供たちが行進している場面で、彼女が大きく映し出されていた。その「革命学院」には昨年10月、「愛するお嬢さま」が初登場する直前に金正恩氏が連続で視察に訪れていた。いまから思えば一定程度の準備がなされたうえでデビューに至ったものと考えられる。
その前月には、建国74周年記念行事で歌った女児が金正恩氏の娘なのではないかとの外国報道も見られた。女児が歌う場面の後に金正恩氏が笑顔で拍手を送る様子が映されたテレビ映像などが根拠とされたが、このときの女児は昨年11月以来登場するようになった「お嬢さま」とは明らかに別人物である。あるいは、そうした臆測を打ち消す狙いもあって11月のお披露目につながったのかもしれない。
「お嬢さま」の名前を、いまのところ北朝鮮メディアは報じていない。韓国の情報機関である国家情報院は、金正恩氏に長男、長女、次女の3人の子供がいると分析しているが、それすら未確認情報の域を出ていない。
そもそも最高指導者のファミリーについて話題にすること自体がタブー視されているなかで、一般の人々が金正恩氏に何人の子供がいるかなど知る由もない。何よりも重要なことは、北朝鮮の人々が彼女を極めて特別な人物と見ているという点だろう。
わが国における報道ぶりで筆者が懸念しているのは、昨年11月から登場するようになった女児が、「第2子」の「ジュエ」だという未確認情報が独り歩きしていることである。第1子が男児であると確言するならば、なぜその子の名前すらうわさレベルでも流れてこないのか、その男児を本命として秘匿するために第2子の娘を表舞台に出してきたとするならば、なぜ第3子も一緒に公表しないのか、など疑問点が多すぎる。

2013年2月28日、北朝鮮・平壌でバスケットボールの試合を観戦する金正恩第1書記(手前左)と米プロバスケットボール協会(NBA)の元スター選手デニス・ロッドマン氏(朝鮮中央通信提供)【AFP=時事】
「ジュエ(主愛)」という名は、2013年9月に金正恩氏から直接「ジュエ」という名の女児を紹介されたという元NBA選手デニス・ロッドマン氏の証言に依拠したものだが、朝鮮語を解さない彼が聞き間違えた可能性も含め、保留すべき点は保留すべきではないか。発信力旺盛な韓国メディアの影響を受けすぎてはいけない。公式に登場する以前の金正恩氏の名を、発音の異なる「正雲」と呼んでいたことや、「三男(正恩氏)が後継者になるのは難しい」などと言われたことも教訓にすべきであろう。
公式メディアが明示しない限り、北朝鮮の人士にインタビューをしても的を射た回答を得ることはできない。
例えば、金正日国防委員長の後継者問題がクローズアップされている渦中の2009年9月10日、共同通信が行ったインタビューで、金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長が「革命の伝統を継承する問題は重要だが、これと後継者問題は関係なく、現時点では論議されていない」と述べたと報じた。しかし、今となっては、当時から後継作業が進んでいることが明らかになっている。2008年9月9日の建国60周年閲兵式に金正日国防委員長が急病で欠席した際にも、金永南氏の言葉として、健康状態について「問題ない」と話したことが報じられた。
平壌から発せられるプロパガンダを読み解くことは北朝鮮分析の基本であるが、特に後継者問題のような機微なテーマにおいて、それをそのままうのみにするのが危険であることは言うまでもない。いまはまだ断定を避けつつ、あらゆる可能性を考慮に入れてブレインストーミングすべき段階である。
【筆者紹介】
礒﨑 敦仁(いそざき・あつひと)
慶應義塾大学教授(北朝鮮政治)
1975年生まれ。慶應義塾大学商学部中退。韓国・ソウル大学大学院博士課程に留学。在中国日本国大使館専門調査員(北朝鮮担当)、外務省第三国際情報官室専門分析員、警察大学校専門講師、米国・ジョージワシントン大学客員研究員、ウッドロウ・ウィルソンセンター客員研究員を歴任。著書に「北朝鮮と観光」、共著に「新版北朝鮮入門」など。
(2023年2月13日掲載)
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