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どこへ行く沖縄、51年目からの見方 「経済」「安保」「都会化」の視点で

2023年05月13日12時00分

 今月15日、本土復帰から51年を迎える沖縄。復帰後の県内経済は観光業がけん引役となり、観光客数は2010年代後半にピークを迎えた。活況を呈した経済は県内政治にも大きな影響を与えたが、コロナ禍で失速し、現在は回復途上にある。一方、南西諸島全体に目を向けると、宮古・八重山諸島には自衛隊拠点が整備され、地域は国の安全保障問題の最前線となった。また、県都・那覇市は本土の大都市と変わらぬ都会となり、人々の政治意識への変化が指摘されている。51年目以降の沖縄政治はどこへ向かうのか。その行方を探った。(宮古毎日新聞社那覇支社長 真栄城徳泰)

自信を深めてきた県民

 復帰後の沖縄では、米軍基地問題を中心に政府に抗議しながらも、他方ではインフラ整備などの予算獲得に向けて支援を要請するのが、半世紀に渡って続いてきた政治スタイルだった。戦後の米統治下で造られた米軍基地が多数ある以上、政治的立場とは関係なく抗議すべき時は抗議しなければならなかったし、本土に比べ遅れていたインフラ整備や、全国最低水準が続く県民所得を引き上げるためには、支援を求めたり交渉したりすることが不可欠だった。

 「経済振興のためには本土政府の言うこともある程度は聞くべきだ」。こうした考えは、県内では一定の説得力を持っている。そして、「抗議」と「要請」を同時に行うことが国と沖縄の対立を深めたかと言えば、必ずしもそうではなかった。

 「(本土の有力な)政治家とは日ごろから付き合いがあった」。1998年から2期8年、知事を務めた稲嶺恵一氏はこう語る。政府とのパイプは太かった。直接、間接的に戦争経験があり、基地を抱える沖縄の苦労に対して理解を示す政治家が多く、個人的なつながりもあったという。

 沖縄経済の底上げを図る「沖縄振興開発計画」は1972年、「本土との格差是正」と「自立的発展の基礎条件の整備」を目的に始動。その後、計画は10年おきに見直され、復帰50年を迎えた2022年には第6次計画がスタートした。観光業では、72年度に沖縄を訪れた観光客数は55万8600人に過ぎなかったが、2018年度には1000万人(うち約3割は外国人観光客)の大台を突破した。

 また、沖縄出身の著名人が本土で活躍する場面も多く見られるようになり、「沖縄ブーム」も起きた。地価も上昇を続け、県民は自信を深めたと言える。

従来スタイルから変化したように見えた翁長氏

 沖縄県民が自信を持ち始める一方、基地問題を巡っては国の方針が迷走するなど、解決への道筋が見えなくなり、本土への不信感は醸成された。

 こうした中で登場したのが、2014年の県知事選で初当選した翁長雄志氏(18年8月、任期途中で死去)だ。翁長氏は、米軍普天間飛行場(宜野湾市)を、北部の名護市辺野古の海を埋め立てて移設する計画に反対する姿勢を前面に押し出して選挙戦を展開。長く所属した自民党を離党し、保守の一部と革新系がまとまって結成した「オール沖縄」の支援を受け、圧勝した。

 「イデオロギーよりアイデンティティー」「誇りある豊かさ」といった翁長氏の言葉は、「オール沖縄」の運動とともに、県民から強い支持を得た。亡くなる直前の18年7月、翁長氏は最後となった記者会見で、「沖縄は何百年も苦労してきて、今やっと飛び立とうとしている」と語り、「『沖縄振興策もあるのだから、(その引き換えに)基地も預かればよい』という議論は容認できない」と強調した。

 国との対立を深めた翁長県政。「抗議」と「要請」といった沖縄の政治スタイルは変わったようにも見えたが、それを支えたのは、経済状況などに裏打ちされた県民の自信だった。

玉城県政、首里城復興やコロナ禍で政府と協調

 一方、翁長氏の後継者として現れた玉城デニー知事は、首里城火災やコロナ禍など環境の激変に翻弄される。辺野古反対で国を相手取り裁判闘争を続けつつ、火災で焼失した首里城再建やコロナ対応で国と協調する場面が多くなり、「抗議」と「要請」が両立するスタイルに回帰したように見える。玉城氏は、昨年9月の知事選で再選を果たしたが政府との対立姿勢が強まることはなく、今年3月には経済界とともに電気料金値上げに対する政府支援を引き出した。

 昨年10月に行われた那覇市長選では、自公推薦の知念覚氏が翁長県政以来、県内政治をリードしてきた「オール沖縄」から市政を奪還した。コロナ禍の先行きが依然見通せなかった当時、国との対決姿勢を示す陣営ではなく、「政府に対して主張すべきは主張し、交渉すべきは交渉する」と、伝統的な政治スタイルで臨む姿勢を示した知念氏が勝利する結果となった。

 日米関係など多数の著書がある琉球大学の我部政明名誉教授は、沖縄の主張の盛り上がりにはその時々の状況に応じて差があるとしつつ、「基本的に沖縄(の政治スタイル)は変わっていない」と分析する。政府については、「小泉政権以降、従来の『地方との折り合いをつける』姿勢から変化した」と、沖縄と政府が対立するようになった要因を指摘した。

「地域外交」への期待

 51年目以降で特に重視すべきなのは、安全保障環境の行方だ。政府は昨年12月に安保関連3文書を改定し、初めて反撃能力の保有を明記。沖縄県では宮古、八重山地域に自衛隊の拠点が整備され、反撃能力を持つミサイル配備も取り沙汰される。県はこれに反対する方向だが、安全保障問題で、国と県が交渉や妥協できる余地は乏しいように見える。

 稲嶺氏は、国と県の交渉について、かつてのように沖縄に理解を示す政治家が少なくなったことを踏まえ、「これまで、沖縄は『情』を中心に(国に)主張してきたところがあるが、これからは『理』を強化する必要がある」と話し、本土政治家との関係再構築の必要性も語った。

 県は、「地域外交室」を4月に設置。安全保障環境の緊張緩和を目指し、琉球王国時代に周辺諸国と交流した経験などを生かして、観光・経済・文化面の交流を図っていく方針だ。照屋義実副知事は3月下旬、東京へ出張し、着任したばかりの中国大使を表敬訪問した。玉城知事は「(周辺国と)友好関係を構築し、沖縄を『平和の緩衝地帯』にしたい」と語っており、7月の訪中を計画している。

 地域外交への期待は大きく、我部氏もエールを送る一方で、「(東アジア諸国の保守系政治家には)中国に対応するため沖縄の米軍基地は必要」との意見が強いと指摘。その上で、「(基地負担という)沖縄を犠牲にした地域の安定はおかしい」との沖縄の訴えを理解してもらう努力と合わせ、周辺国の利害についても研究していく必要があると語った。

「それぞれの視点で判断する県民」の増加

 経済や安全保障問題など外部環境が激しく変化する一方、静かに変わりつつあるものもある。県民の意識だ。那覇市やその周辺地域では、既に本土と変わらない都会的な生活スタイルが浸透し、これに伴い、人々はそれぞれの視点で政治について判断するようになっている。例えば、地域の有力者が特定の候補者を支持すれば、そこにある程度の票が集まるといった傾向は弱まった。

 ある保守系県議は、「特に那覇市などは(都会化で)地域のつながりが希薄になり、自分の意見を言いやすい環境になっている」と話す。こうした意識変化は、基地問題を対立軸としてきた従来とは異なる枠組みからの政治家を登場させる可能性がある。

 ここまで、▽経済状況▽南西諸島の安全保障▽都会化の進展-の三つの視点から沖縄の政治について見てきた。沖縄の将来を予想するには、経済、安全保障、都会化による県民意識の変化をどう総合的に捉えていくかが重要で、東アジアの結節点、沖縄が展開する地域外交の動向も密接に関連してくる。どれか一つだけでは予測を見誤る可能性が高い。

 それぞれの現状について見ると、経済面ではコロナ後の国内観光客がかなりの勢いで戻っており、県民の「自信」の回復が早く進む可能性がある。基地を巡る裁判の行方などによっては、翁長氏が主張した「誇りある豊かさ」が再び多くの支持を得ることも考えられる。

 安全保障環境では、防衛力強化を進めていくと思われる政府と、それに懸念を示す県との対立が深まる可能性が高い。今後の選挙などでは都会化で増えた「自立した県民」の支持をどういった形で取り付けるかが保革ともカギとなるのではないだろうか。

 地域外交を巡っては、経済や文化交流に加え、尖閣諸島周辺におけるわが国の領海に中国公船が侵入を繰り返す問題などを提起する関係を作ることができるかも注目点となる。

変化を続ける沖縄の行く先は

 多くの点で変化を続ける沖縄はどこへ向かうのか。稲嶺氏は「本当の意味で県民が一つにまとまれば、大きな力を発揮する。オール・オア・ナッシングではなく、ベターな選択肢で一歩でも前進することが重要だ」述べ、県民が結集する必要性を指摘する。

 我部氏は、「沖縄は周辺地域の強い影響の下にあり、自分たちの何を大事にしていくべきかを考える必要がある」と、時代の変化に沖縄が飲み込まれないための準備を始める重要性を強調した。

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