<右:CT、左:がMRIの画像。右眼窩内に異物が認められる。箸の先端部分と形状が一致している。故意に刺したとして、先端だけを残すのは不可能である。よって転倒によりテコの原理で折れたものと判断した。箸(木製のもの)はCTでは白く、MRIでは黒く写る>
『画像が語る診えない真実 読影医の診断ノートから』(佐藤俊彦著、時事通信社 https://bookpub.jiji.com/book/b619087.html)は、放射線診断医がCTやMRIなどの画像を読み解く「読影」をテーマにした医療ノンフィクションの短編集です。「主治医が判断できない画像から答えを導き出す」「主治医の見立てに対して幅広い知識と読影の技術で間違いを指摘する」ことが放射線診断医の重要な役割。画像やデータを駆使し、目の前にいない患者の真実を推理し、背景にある病気やけがに至る人間ドラマを明らかにしていきます。5編を選りすぐり、週1回のペースで掲載します。今回は最終回の第5話「刺さったのか 自分で刺したのか」です。
【第1話 AYA世代の白血病 /jc/v8?id=2023Gazougakataru01】
【第2話 悪化の原因はリハビリにあり /jc/v8?id=2023Gazougakataru02】
【第3話 湯船に浮いた死体 /jc/v8?id=2023Gazougakataru03】
【第4話 美容施術は思いのほかリスキー/jc/v8?id=2023Gazougakataru04】
割り箸が右目を直撃
楽しい海外旅行も最終日となったその日、20代の男性D氏は、宿泊先のホテルの部屋で荷造りに追われていた。
気楽な一人旅ではあったが、家族や友人へのお土産が増えたため、うまく詰めないとスーツケースに入りきらない。海辺で活躍したシートを床に広げ、ほぼすべての荷物をそこに並べてみた。
空腹を感じていたので、荷造りを途中でストップし、とりあえずカップ麺で簡単な食事を摂ることにした。
部屋に用意されていたポットで湯を沸かし、カップ麺に注ぎ、箸も一緒に持って移動しようとしたとき、敷いていたシートに足が滑り、前向きに転倒した。
倒れ込もうとしているシートの上には、大量の荷物が並んでいる。そこには服だけではなく、ぶつかったら痛そうな固いものもある。さらに、自分は熱湯を注いだカップ麺を持っている。そうした危機的状況にあって、瞬時に身をかばおうとしたD氏は、両肘を床についた。
そのとき、右手に持っていた箸を自分の右眼窩の下部に刺してしまった。その箸は中ほどで折れ、約半分は床に転がり、残りの半分は刺さったままだった。
幸いにも、視神経や眼球を動かす重要な筋肉を傷つけなかったために、結果的にD氏になんら障害は残らなかったが、その瞬間はテコの原理で箸に押された眼球が飛び出たはずだ。飛び出ても筋肉でつながっているから切れなかっただけで、D氏がどれほど動揺したか想像に難くない。
なんとかフロントに連絡を取って、現地の病院に救急搬送され、応急処置が施された。刺さった部分の箸はそこで抜かれたが、どうもすっきりしない。もっと細いはずの箸の先端部分が見つからないのだ。
実際には、18ミリほどの先端部分が体内に残っていたのだが、場所が良かったために特段の問題は起きず、D氏はそのまま帰国した。
自作自演を疑われる
D氏は帰国してすぐに病院に駆け込み、そこでCTやMRIの撮影を行っている。なにかが眼窩にあるようだが、それが箸の先端部分であるかどうかは、そこでは判断がつかなかったようだ。
D氏の視力は守られたとはいえ、現地で医者にかかっているし、怪我を負ったのは事実である。出発前に加入していた海外旅行保険で保険金が支払われて当然のケースであり、D氏もそれを請求した。証拠として、病院で撮影した画像も添付している。
ところが、保険会社から異論が唱えられた。保険会社は、提出されたCT画像の陰影に気泡状のものが写っていることから、D氏が自分で麻酔を打ち、自らの目に箸を刺したという自作自演を疑ったのだ。
最近は、自分で自分を傷つけ、海外で被害に遭ったと嘘の申告をする過激な保険金詐欺が増えているらしい。保険会社は警戒を強めており、D氏にもそうした疑いがかけられたわけである。
この事故は密室内で発生しており、目撃者はいない。どちらも主張を曲げず、最終的に裁判に持ち込まれた。そこで、この事故が偶然のものか故意によるものかを鑑定する依頼が私のところに来たのだ。
私に与えられた主な材料は、CTとMRIの画像と、箸に関する資料だった。
体内に残った動かぬ証拠
一膳の箸の、1本はそのままホテルの部屋に落ちており、長さは225ミリであった。これが、この箸の全長である。
もう1本について、同じく部屋に落ちていた折れた部分は90ミリであった。となれば、あと135ミリ残っていないと計算が合わない。しかし、現地の病院に保管されているものは117ミリで、あと18ミリ足りない。
ここで、CT画像をよく見てみると、右眼窩下壁の外直筋と下直筋に接したスペースに、わずかに「異物」を示唆するものが写っている。そして、その異物らしきものは直径三ミリ、長さ18ミリほどである。
加えてMRIの画像をチェックすると、その異物らしきものの素材がわかってきた。MR Iでは、木のような繊維性組織は黒く写る。
つまり、D氏の右眼窩に残っている物質は、大きさからも素材からも、行方不明になっている箸の先端部分と考えて矛盾がない。
では、箸の先端部分を眼窩に残すような刺し方を、D氏は自作自演できただろうか。私の鑑定では、NOである。
この事故については、「転倒して肘をついたときに床にぶつかった箸が、眼窩骨という骨を支点にしてテコの原理で眼球を外側に押し出し、眼窩骨膜や強膜外隙などに沿って視神経近くの眼球後壁に刺さった」と考えるのが合理的であり、故意に眼窩と眼球の接する部位に箸を滑り込ませるというのは無理がある。
刺さったものは抜いてはいけない
この裁判ではD氏の主張が認められ、保険会社の訴えを退けることができたが、もし箸が折れていなかったらどうだろうか。
刺さったが折れずに抜けたとしても、大変に危険な事故であったことは間違いない。刺しどころによっては失明したかも知れない。それでも、保険会社から自作自演を疑われたときに、物的証拠がないために事故だと証明するのはなかなか難しい。
だから、どこになにが刺さったとしても、抜かずに病院に行くことをすすめる。そして、その状況を画像に残しておくことが大事だ。
これは、受傷原因を保持して保険会社に勝利するためでもあるが、なによりあなたの命のためだ。
たとえば、刺さった包丁を抜けば、そのときに周囲の血管を切ってしまう。よりダメージが大きくなるので、刺さったそのままで受診することが救命に直結する。
また、医師が正しく状況を把握するためにも、「現状保持」は必要だ。包丁が刺さったままなら、それがどこまで達しているか一目でわかるが、抜いてしまうと過小評価されるおそれがある。
不幸な事件をなくせ
過去において、「杏林大学割り箸死事件」と呼ばれる不幸な案件があった。
1997年7月の土曜日、母親と兄と一緒に盆踊りに来ていた四歳の男児が、綿菓子の割り箸を咥えた状態でうつ伏せに転倒した。割り箸が喉に刺さるも、男児は自力でそれを引き抜いた。
事故直後、男児には軽度の意識障害があったものの、救急車が到着したときには意識鮮明であった。
搬送された杏林大学医学部付属病院では、救急救命医や耳鼻咽喉科医の診断を受けたが、喉の裂傷は小さく出血も止まっていたため、抗生物質などを投与され帰された。
しかし、実は割り箸は脳幹部まで達しており、男児はその後、容態が急変し、再び同病院に搬送されるも死亡した。
司法解剖が行われ、そのとき初めて頭蓋内に7.6センチもの割り箸片が残っていることが確認されたのだ。
このときの病院の対応については、すでに司法判断が下っている。刑事裁判でも民事裁判でも、病院が責任を問われることはなかった。
しかし、たとえ裁判結果が逆であろうと、失われた命は帰らない。
事故直後、もし、男児が割り箸を抜かなければ、診察した医師は、それがかなり奥まで入っていると理解したことだろう。喉の裂傷に留まらず、脳を損傷している可能性についても、もっと慎重に検討したのではないかと思う。
もっとも、男児がとっさに自ら割り箸を抜いたのは、幼いながらに精一杯、自分の体を守ろうとした結果だとも言える。「どうしたら良かったのか」について、正しい答えを出すのは難しい。
ただ、一つ言えるのは、外から見た判断だけに頼ってはならないということだ。画像を通して見える世界もあるから、医療現場はそうした最新技術を、もっともっと活用していくべきだろう。
(注釈)本稿で取り上げた事例や画像は全て実際のものですが、プライバシー保護のため、個人が特定されるような属性や背景などは、一部改変しています。
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佐藤俊彦(さとう・としひこ)1960年福島県出身。85年福島県立医科大学卒業、同大学放射線科入局。日本医科大学付属第一病院、獨協医科大学病院、鷲谷病院での勤務を経て、97年に宇都宮セントラルクリニックを開院。最新の医療機器やAIをいち早く取り入れ、「画像診断」によるがんの超早期発見に注力。2003年には、栃木県内で初めてPET装置を導入すると同時に、県内初の会員制のメディカルクラブを立ち上げた。23年春には東京世田谷でも同様の画像診断センターをオープンし、メディカルクラブの会員の顧問医として総合的な健康管理を進める。健康寿命100年を目指して医師が監修するヘルスケア商品を製造販売する株式会社BodyVoice顧問。高齢化社会における相続トラブル回避のための、認知症の早期診断や画像鑑定による医療・交通事故などの死因究明や後遺障害認定評価をサポートするメディカルリサーチ株式会社の顧問も兼任。著書に『ステージ4でもあきらめない最新がん治療』( 幻冬舎)など多数。