【第3話】湯船に浮いた死体

2023年09月01日11時00分

 <いずれもCTの画像。上の画像で水平に写っているのは水だが、胃液でもこの程度は存在することがあり、大量の水を飲んだ所見とはいえない。小腸にはほとんど水はないようであり、気管内にも水を含んだ所見を認めない。下の画像では胸骨に金属があり、切除術後の所見を認める。冠動脈の著明な石灰化を認め、三枝病変の存在が疑われる>

 『画像が語る診えない真実 読影医の診断ノートから』(佐藤俊彦著、時事通信社 https://bookpub.jiji.com/book/b619087.html)は、放射線診断医がCTやMRIなどの画像を読み解く「読影」をテーマにした医療ノンフィクションの短編集です。「主治医が判断できない画像から答えを導き出す」「主治医の見立てに対して幅広い知識と読影の技術で間違いを指摘する」ことが放射線診断医の重要な役割。画像やデータを駆使し、目の前にいない患者の真実を推理し、背景にある病気やけがに至る人間ドラマを明らかにしていきます。5編を選りすぐり、週1回のペースで掲載します。今回は第3話「湯船に浮いた死体」です。

 【第1話 AYA世代の白血病      /jc/v8?id=2023Gazougakataru01

 【第2話 悪化の原因はリハビリにあり  /jc/v8?id=2023Gazougakataru02

 【第4話 美容施術は思いのほかリスキー /jc/v8?id=2023Gazougakataru04

 【第5話 刺さったのか 自分で刺したのか   /jc/v8?id=2023Gazougakataru05

大人が風呂で溺死?

 夫婦で温泉旅行に行けば、男湯と女湯に分かれて入ることになる。女性は時間をかけて肌の手入れをしたりするから、たいてい男性よりも長風呂だ。一緒に部屋を出て大浴場へ向かえば、夫が妻より先に部屋に戻っていることが多いだろう。

 ところが、その日のC夫妻はそうではなかった。妻が部屋に戻ってみると夫の姿が見えない。それでも、空いている時間帯だからのんびり過ごしているのだろうと、気にもとめなかった。

 そのうち、部屋の電話が鳴って、夫の異変を知らされた。大浴場の湯船に浮かんでいるところを、後から来た客が発見したのだという。C氏はすぐに病院に搬送されたが、死亡が確認された。

 C氏の死亡は「外因死」として扱われた。外因死とは、病気が原因ではない死亡のことだ。自殺、他殺、事故、自然災害、中毒など病気以外のあらゆる死亡を含み、とくに事故や他殺などの外傷による死亡を指すことが多い。いずれにしても、警察署への届け出が義務づけられている。

 C氏の場合も警察が呼ばれ、その段階では「溺死」と判断された。とはいえ、荒れた海や川ではない。足が届かない深さがあるわけでもない。どうして溺死に至ったのかという疑問が残る。

 さらに、現場に駆けつけた救急隊員が蘇生処置を行ったときに、溺死にしては吐水があまりなかったという証言があり、私のところへ鑑定依頼が来た。

 C氏の死後、何枚かのCT画像が撮影されており、そこから正しい原因を探って欲しいというのだ。

溺死ではないと思える数々の痕跡

 まず、溺死では大量の水を飲むので、死体の胃や肺、気管には水が溜まっているはずだ。ところが、そうした特徴が見られない。

 胃の画像の黒い部分はガスで、水平に写っているのが水である。胃液だけでもこのくらいの水が溜まることはよくあり、大量の水を飲み込んだとはとても思えない。むしろガスがたくさん溜まっている印象を受ける。

 人工呼吸で空気が送り込まれると胃にも入るから、それでガスが溜まり、飲んだ水が押し出されてしまったのかと考えることもできる。その場合、押し出された水が口から吐き出されるか、あるいは腸に送られるかするはずだ。しかし、救急隊員は「吐水は少なかった」と述べているし、腸の画像にも水が取り込まれている様子はない。

 また、肺や気管にも水は溜まっていない。

 この段階で、溺死というのは相当に疑わしくなってきた。

次々と読み取れる病死の可能性

 一方で、胸部のCT画像から、いくつかの大きなヒントを得ることができる。まず、冠動脈の石灰化がひどく進行している。

 冠動脈には、右冠動脈と左冠動脈があり、左冠動脈は左前下行枝、左回旋枝に分かれる。この、右冠動脈、左前下行枝、左回旋枝の三つのうち、どれか一つでも詰まってしまえば、周囲の心筋に酸素が届かず壊死してしまう。その結果、「焼け火箸で胸をかき回されるような」「心臓を掴み潰されるような」などと表現される心筋梗塞の発作に襲われる。苦しいだけでなく、命に直結する状態だ。

 だから、詰まってしまう前に発見し、狭窄の度合いによって障害されている血管にステントを留置するなどの予防処置をとることが重要になる。

 C氏の画像は、右冠動脈、左前下行枝、左回旋枝すべてに硬化が見られる「三枝病変」の存在を示している。三枝病変は、冠動脈硬化症が末期まで進行したもので、C氏の状態はすでにかなり深刻なものだったと言える。

 それを証拠づける画像もあった。C氏の胸骨には正中切開の跡であろう胸骨を固定するためのワイヤーが写っていた。明らかに、胸を開いて手術した痕跡である。

 おそらくC氏の冠動脈は、バイパス手術後しばらく経過しており、すでにステント設置などカテーテル下での処置では追いつかぬほど、悪化した状態であったと予想される。

入浴時の病死は多い

 私も含め、日本人は温泉好きだ。しかし、入浴時の死亡率は思いのほか高い。高齢者に限って見ると、入浴時の死亡数は、交通事故の二倍である。その多くが、脳卒中や心筋梗塞など虚血性疾患の発作を起こしたり、急激な血圧の変動で意識が混濁し湯船から出られずに溺死するというものだ。

 C氏はもともと、心臓に爆弾を抱えていた。そこへ持ってきて、脱衣所で温度変化に晒されたり、熱い湯に浸かったりすれば、血圧も激しく変動する。ただでさえ狭窄していた冠動脈に、血栓が詰まってもなんら不思議ではない。

 C氏の場合、まず心筋梗塞の発作を起こして死に至り、その後、湯船に浮いてしまったのだと思われる。すでに呼吸はしていないのだから、水を飲み込むことはなかったというのが医学的に合理性が高い。

 一方、もしなにか変調を来して体の自由がきかず、湯の中で起き上がれずもがいていたとするなら、水を飲んでしまった形跡が残るはずだ。そうした場合、直接の死因としては溺死となることもあるだろう。

 病死が先か、溺死が先か。亡くなってしまったという事実を前にして、それはどちらでもたいした問題ではないと思うかも知れない。しかし、保険金の支払いなどが絡んでくるから、おろそかにはできないのだ。

死亡時画像診断という新しい流れ

 C氏は、湯船に浮いている状態で発見された。その死体だけを見ても、病死か溺死かの区別はつかない。だからこそ、警察は溺死と判断したのだ。

 しかし、画像は表面には出てこないものを教えてくれる。

 死体を見ても明確な評価ができない外因死の場合、病理解剖が行われる。以前は、病理解剖は絶対と考えられていたが、今は意識が変わっている。

 解剖することは、ご遺体にメスを入れるということなので、組織は挫滅してしまう。 つまり貴重な証拠を失ってしまうこともある。解剖の前に死亡時画像診断で情報を保全することが死因究明の精度を高めるといえる。

 たとえば、死因につながる腹水の貯留があったとしても、解剖で大きくお腹を切ってしまうとそれは流れ出てしまう。ほかの体液とも混ざってしまうし、その量について正確な把握は難しい。

 そこで、今は解剖の前に死体の画像を撮影しておくことが多い。前もって画像を見てポイントを予習しておけば、そこを丁寧に残しながら切っていくことができる。

それによって、その人の死の原因により迫っていくことが可能になるのだ。

 (注釈)本稿で取り上げた事例や画像は全て実際のものですが、プライバシー保護のため、個人が特定されるような属性や背景などは、一部改変しています。

 ◇ ◇ ◇

 佐藤俊彦(さとう・としひこ)1960年福島県出身。85年福島県立医科大学卒業、同大学放射線科入局。日本医科大学付属第一病院、獨協医科大学病院、鷲谷病院での勤務を経て、97年に宇都宮セントラルクリニックを開院。最新の医療機器やAIをいち早く取り入れ、「画像診断」によるがんの超早期発見に注力。2003年には、栃木県内で初めてPET装置を導入すると同時に、県内初の会員制のメディカルクラブを立ち上げた。23年春には東京世田谷でも同様の画像診断センターをオープンし、メディカルクラブの会員の顧問医として総合的な健康管理を進める。健康寿命100年を目指して医師が監修するヘルスケア商品を製造販売する株式会社BodyVoice顧問。高齢化社会における相続トラブル回避のための、認知症の早期診断や画像鑑定による医療・交通事故などの死因究明や後遺障害認定評価をサポートするメディカルリサーチ株式会社の顧問も兼任。著書に『ステージ4でもあきらめない最新がん治療』( 幻冬舎)など多数。

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