「スピーチっていうのはね、気の利いたことは言わない。借り物でない、自分の言葉で、全力で話せばいい」。国民的な人気を誇った田中角栄元首相の演説を題材にした音楽劇「ザ・スピーチ」が9月、東京・下北沢駅近くの小劇場で上演された。オペラと、角栄氏が親しんだとされる浪曲(浪花節)を組み合わせた異色の舞台。企画・脚本を手掛けた堀越信二さんは、角栄氏について「自分の言葉で話しているし、国民のことを考えてくれていると分かる。今、そんな政治家はいないのではないか」と語る。(時事通信政治部 川上真央)
【目次】
◇真紀子元外相に直談判
◇「ユーモア、緩急が見事」
◇「世論というものはね、選挙だ」
◇自民党本部で公演を
真紀子元外相に直談判
舞台の世界では政治、宗教などのテーマはタブー視され、あまり取り上げられることがないという。なぜ角栄氏なのか。
堀越さんによると、舞台の観客は女性や高齢者が多くを占めるという。「サラリーマンにも舞台に足を運んでもらえないか」。そんな思いを抱いていた時に堀越さんが立ち寄ったコンビニエンスストアに並んでいたのが角栄氏に関する書籍だった。「どうして昔の首相の本が置かれているのか」。店員に尋ねるとサラリーマンが購入することが多いという。興味を引かれ、本を読む中で角栄氏が浪曲の練習を通して吃音(きつおん)を克服したというエピソードを発見。浪曲を取り入れた音楽劇にできないかと構想を練った。
原作は「田中角栄 心をつかむ3分間スピーチ」(小林吉弥著・ビジネス社)。小林氏の許諾に加え、角栄氏の長女・真紀子元外相に手紙を送り、舞台化の許しを得た。田中角栄記念館(新潟県柏崎市)や永田町で取材を重ね、角栄氏の自伝なども参考に脚本を書き上げた。
「ユーモア、緩急が見事」
浪曲は、三味線を伴奏に節(ふし)とたんか(せりふ)を織り交ぜて物語を伝える芸能。歌いながら登場人物の心情を伝え、たんかで物語を進める。決まった譜面はなく、その場でしか味わえないライブ感が魅力の一つだ。
角栄氏が好んだ浪曲は、侠客(きょうかく)の争いを描いた「天保水滸伝」。この演目を現在も口演する人気浪曲師の玉川太福さん(44)=新潟市出身=が客演主演として角栄役を務めた。
角栄氏の演説について、太福さんは「必ずユーモアが入っている。間や緩急が見事で、芸人と同じように『そんな話ウソだよ』みたいなことを取り入れて聴衆を笑わせる」と分析。浪曲では立身出世伝を題材にすることがあるといい、「いつか田中角栄の浪曲をうなりたい」と語った。
「世論というものはね、選挙だ」
当時戦後最年少の54歳で首相の座に就いた角栄氏は、日中国交回復を実現した一方で、金権政治を批判されて2年5カ月で退陣。その後、ロッキード事件で逮捕された。
「世論というものはね、新聞じゃねえんだ。テレビでもねえんだ。世論というものはね、選挙だ」。音楽劇は角栄氏の演説から始まる。
演じるのは太福さんに加え、この舞台を公演するに当たって立ち上げた「劇団ポラリス」のオペラ歌手4人。この5人が代わる代わる角栄氏になりきり、時折オペラと浪曲が披露されながら、元首相の人生が再現される。
「三国峠を切り崩してしまいましょう。そうすれば日本海からの季節風は太平洋側へ抜けてしまって、越後に雪は降らねえのであります。つまり皆さん方が大雪で苦しむことはもうねえのであります」
(大蔵官僚に対し)「大臣室の扉はいつでも開けておく。遠慮はいらない。いつでも大臣室に来てくれたまえ。何でも言ってほしい。上司の許可を取る必要はねえ。できることはやる。できないことはやらない。責任は全て俺が取る」
国民を魅了した弁論に加え、どのような手法で官僚の心を引きつけたのか、相手に気持ちよくカネを受け取ってもらう角栄流の渡し方など生々しい部分も劇に落とし込んだ。2陣営からカネを受け取ると「ニッカ」、3陣営だと「サントリー」、いろんな陣営からもらいながら投票行動が不明な「オールドパー」といった、かつての政界の隠語も盛り込んだ。
自民党本部で公演を
オペラ歌手・柿迫秀さん(56)は30年以上のキャリアを持つが、政治家を演じたのは初めて。子どものころにテレビで最も見かけた政治家に角栄氏を挙げる。
特に記憶に残っているのは、角栄氏の口癖「まぁそのぉ」を芸人がだみ声でマネしていた場面。「まさか自分が演じることになるとは」。実際に演じて感じたのは、角栄氏の故郷・新潟への思いの強さ。「それが角栄の原動力の発端になったのではないか」とみる。
「ザ・スピーチ」は来年5月、新潟市でも公演される。堀越さんは「いつか角栄のスピリットが残っている自民党本部で公演したい。政治家や議員秘書にも見てもらいたい」と話した。
(2023年11月10日掲載)