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さよなら神宮第二球場 アマ野球とゴルフ練習場…外苑で60年放った独特の存在感

2023年10月03日11時00分

 明治神宮野球場や国立競技場などのスポーツ施設が集中している東京都内の明治神宮外苑で、独特の存在感があった明治神宮第二球場が今秋、その姿を完全に消す。神宮外苑の再開発計画に伴い、解体工事が進んでいる。東京六大学野球や東都大学野球の会場でプロ野球ヤクルトの本拠地でもある神宮球場に隣接して、約60年もの間、文字通り「第二」という補完的な役割を果たしてきた。(時事通信社 小松泰樹)

清宮の高校第1号も

 神宮第二球場が完成したのは1961年4月。26年に神宮球場が開場した当時に造られた相撲場の跡地だった。相撲場では、国技館が米国に接収されていた戦後間もない頃、晴天興行の本場所が行われたこともある。神宮球場だけでは消化し切れなくなったアマチュア野球の受け皿となるべく誕生した神宮第二球場。63年に増改築され、高校野球では春秋の都大会や夏の地方大会、大学野球でも東都2部リーグの舞台になった。

 プロ野球日本ハムの清宮幸太郎選手は高校(早稲田実)時代、通算111本塁打をマーク。入学早々の2015年4月18日、神宮第二球場で高校初アーチをかけた。17年4月15日には80号と81号も。1年生の時から注目を集めたスラッガーは球場に詰めかけた大勢のファンを沸かせた。

1972年からゴルフ練習場併設

 神宮第二球場で異彩を放っていたのは、ゴルフ練習場の併設だ。1972年に営業を開始。プロゴルフ界で「ジャンボ」こと尾崎将司が台頭してきた時期と重なる。ゴルフの人気や注目度が徐々に高まり、大衆的なスポーツになりつつあった折、都心で心置きなく練習できるスポットとなった。

 ゴルフ練習場は一塁側内野スタンドの奥に設置された。グラウンドレベルを含め4階建ての構造で、ショットの打席がずらり。試合がない時はゴルフ愛好者が集まり、「打ちっ放し」に早変わりした。主に左翼から中堅方向へと無数のゴルフボールが飛んでいった。その先にそびえ立っていたのは、安全対策用の高さ48メートルもの巨大なネット。三塁側から右中間あたりまで、球場を覆うように張り巡らされていた。

小倉全由さん「縁の深い球場」

 両翼91メートル、中堅116メートルという狭いサイズ。それゆえ本塁打が出やすく、野球ファンにとっては「空中戦」を楽しめる一面もあった。試合をする高校球児らも、一発攻勢あり、一発に泣くこともありと、一喜一憂する球場だったようだ。

 高校野球で全国有数の名門校、日大三の監督としてチームを夏の甲子園2度制覇などに導き、今年3月末に勇退した小倉全由さん(66)は、神宮第二球場への思い入れが強い。関東一の監督時代は選抜大会準優勝などの実績があり、その後母校の日大三を長年にわたり率いた小倉さん。「春、夏、秋と使わせていただき、自分にとってはすごく縁の深い球場でした」。同球場最後の公式戦となった2019年11月3日の秋季東京都大会準々決勝、帝京-日大三でも指揮を執った。

 隣の神宮球場(両翼97.5メートル、中堅120メートル)に比べかなり狭かったことから、小倉さんは「神宮第二で行う試合では野球が変わるという意識がありました。端的に言えば打ち合い。打者中心となる球場でした」と振り返る。自身が試合前のシートノックで体感したのは「神宮だと外野深くにノックする場合、力を入れないと飛びません。それに対して神宮第二では、楽に打てましたね」。その感覚は、試合で打席に立つ打者にも共通する部分があった。

強打の日大三、原型の一翼にも

 小倉さんは、ある程度の広さがある球場では、ともすれば力みが生じやすくなると指摘。「右打者の場合、『飛ばさなければ』と左肩が開き気味になってしまうこともあります。神宮第二では、まずは球をしっかりと捉えることを重視。力むことなく、良いスイング、正しいスイングに徹する。そうすることによってホームランにもなり、選手に自信が芽生え、打撃の向上につながったと思います」。打席で外野後方に見える巨大ネットも、打者の視覚的には「遠くへ飛ばそう」でなく「あそこに突き刺そう」というイメージになったそうだ。

 強化合宿での1人一日1000スイング以上などで培われた伝統的な強打を、甲子園でも存分に発揮してきた日大三。強力打線の原型づくりで、神宮第二球場が一翼を担ったのかもしれない。

ラストを飾った名将対決

 高校野球などの熱戦を半世紀以上も支えてきた神宮第二のラストゲームは、偶然にも名将同士の戦いとなった。翌春のセンバツ出場への道筋となる秋の都大会準々決勝。その対戦カードにシナリオは描けない。8強まで勝ち上がらなければ、そこで戦えないからだ。結果、実現したのが帝京-日大三の対決。帝京の指揮官は、甲子園で春1度、夏2度の優勝などを誇る前田三夫監督だ。21年夏を最後に勇退した前田さんはかつて、8歳下の小倉さんにとって分厚い壁だった。

 「私が(関東一で)高校野球の監督になった頃、前田監督は大きな目標でした。とにかく帝京さんは強くて、あの(ユニホームの)縦じまを見るだけで気後れしていました。1985年夏の東東京大会決勝でようやく勝てて、初めて甲子園に出ることができました。前田さんをお相手に神宮第二最後の試合ができたことは、本当に縁を感じます」。小倉さんは感慨深げに、そう述懐する。結果は帝京が2―1で勝利。歴史を締めくくるのにふさわしい好ゲームとなった。

 神宮第二球場が野球場としてのピリオドを打った後も営業を続けていたゴルフ練習場は、2022年12月31日限りで閉鎖した。神宮第二の跡地には秩父宮ラグビー場が、同ラグビー場が現在ある場所には神宮球場がそれぞれ移設し、建て替えられる計画となっている。

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