ロン・チャップマン監督
ジョン・レノンを巻き込んだ奇跡のフェス
1960年代の終盤といえば、大規模な野外音楽フェスティバルが次々と開催された時代。ベトナム戦争の泥沼化など混沌とした社会情勢を背景に、「愛と平和」を求める若者が音楽という絆によって結び付いた。中でも69年8月の「ウッドストック・フェスティバル」は米ニューヨーク州の農場に3日間で40万人以上の聴衆が集まったことで名高いが、その1カ月後、小ぶりながら「歴史的」と呼ぶにふさわしいコンサートがカナダで開かれている。イベントの名は「トロント・ロックンロール・リバイバル 1969」。ジョン・レノンをも巻き込んだ開催までの経緯は、まるで奇跡の綱渡り。当時の記録映像と関係者の証言をもとに、痛快なエピソードと秘話に満ちたステージの実像が描き出された。(時事ドットコム編集部 冨田政裕)
『クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル トラヴェリン・バンド』(米)【今月の映画】
事の発端は1969年、トロントに事務所を構える22歳の音楽プロデューサー、ジョン・ブラウワーが立てた企画。50年代中盤にロックンロールの黄金時代を築いたチャック・ベリーやリトル・リチャードらレジェンドを一堂に集め、「ロックンロールの復活」をうたうというものだ。
ところが期待は外れ、チケットはさっぱり売れない。若者が好む音楽は60年代に入って以降、公民権運動や反戦運動にも影響されながら著しくアート性を高めており、荒々しいサウンドを響かせたロック草創期のスターは「過去の人」になりつつあった。ブラウワーは興行を成功させるには新しい時代のスターが必要と気づき、懸命の奔走を始める。
「ハートに火をつけて」や「ハロー、アイ・ラブ・ユー」の大ヒットで人気絶頂だったドアーズの出演を取り付けたものの、まだまだ足りない。ブラウワーは一発大逆転を狙い、なんと面識のないジョン・レノンに電話をかけて出演を依頼する。奇跡に奇跡を重ねたような展開の末、世界最大のスターをトロントまで引っ張り出すことに成功するのだが、その過程が破格に面白い。
次々と押し寄せる難題を右往左往しながら乗り越えるブラウワー。関係者のインタビューと当時の映像や音声、さらに簡易アニメーションをテンポよくつなぎ合わせた構成は巧みで、スリリングな展開に思わず引き込まれる。
ステージ映像も充実。チャック・ベリーやリトル・リチャード、ジーン・ヴィンセントらレジェンドたちのパフォーマンスと素顔を生き生きと映し出している。そして何と言っても特筆すべきは、「トロント・ロックンロール・リバイバル 1969」はプラスティック・オノ・バンドが初めてライブ演奏をした舞台となったことだろう。
ビートルズは当時、ほとんど活動実態がなくなっていた。レノンが歌う場所に飢えていたことは、結果的にカナダに向かう最大の要因となる。しかし、トロントのステージで妻のオノ・ヨーコとともに披露したパフォーマンスに対する聴衆の反応は複雑なものだった。
当日の様子を知るミュージシャンや関係者が語る言葉によって、ヨーコの苦悩やレノンの思いが浮き彫りになる。このステージでレノンはある行動を取るが、それはウッドストック・フェスティバルでジミ・ヘンドリックスが演奏した米国国歌に匹敵するパフォーマンスだったと言えるのかもしれない。
記録映像の撮影者は、若き日のボブ・ディランを追った『ドント・ルック・バック』(1967年)など音楽ドキュメンタリーを数多く手掛けたD・A・ペネベイカー(2019年死去)。トロントのコンサートの模様は『スウィート・トロント』という映像作品にまとめて1971年に発表されているが、今回はステージ外の映像がふんだんに盛り込まれている。
レノンのカナダ行きにエリック・クラプトンが果たした役割や、ドアーズのジム・モリソンが起こした有名な事件に関する証言などエピソードも随所に。ロックを愛した男たちの素顔とエネルギーがスクリーンにあふれ、時代の歯車がビートルズの手を離れてカチリと動く瞬間が見える。
※10月6日からヒューマントラストシネマ渋谷、角川シネマ有楽町などで全国順次公開
(2023年9月30日掲載)