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大島洋平、関係者も驚く2000安打達成 礎を築いた「アップデート」の力

2023年09月11日11時30分

 本拠地バンテリンドームナゴヤのファンに、大記録の瞬間を目に焼き付けてもらった。プロ野球中日の大島洋平外野手(37)が8月26日のDeNA戦で通算2000安打を達成。歴代9位のスピード記録となる1787試合目で到達した。地元愛知の享栄高から駒大、日本生命を経てプロ入りして14年目。大学、社会人を経由した選手では古田敦也、宮本慎也、和田一浩に次ぐ4人目となり、その中で最も速く大台に乗せた。長く活躍し続けられる理由を、2014年シーズン終了後から専属トレーナーを務めている土田和楙(かずしげ)さんや恩師らに聞いた。(時事通信名古屋支社編集部 浅野光青)

 土田さんは、駒大野球部で大島と同期でもある。学生時代のチームメートついて「野球に対して淡々と継続できる力は、今も優れている。しかも、同じことをただ繰り返すのではない。新しいことも取り入れる能力とか、現状を理解しながら(前に)進んでいくのはすごいなと思う」と感心する。

「だまされて」ウエートトレーニング開始

 タッグを組んですぐ、大島は土田さんに「ウエートトレーニングをしたくない」と要望した。当時を、こう振り返る。「あまり好きじゃなくて、やってこなかった。どちらかというと、バットを振って走って、自分の体重で腕立て伏せをやり、腹筋、背筋(の強化)とか、野球に関連するものしかやってこなかったので、ちょっと抵抗があった。もともと体もめちゃくちゃ硬くて、ウエートでさらに硬くなるイメージがあったからやりたくなかった」

 既にレギュラーの座をつかんでいたが、1年間パフォーマンスを維持できないという悩みがあった。それを解消する方法として土田さんからウエートを勧められた。「だまされたと思ってやってみた。だまされましたけど」。冗談交じりで述懐する。

パワーアップに精を出す

 土田さんは大島を、「食材が良くない」と表現する。身体能力に優れているわけではないという意味だ。パワーや柔軟性がプロとしては足りず、最初は自身の体重と同じ70キロの重さでスクワットができなかった。そのため、家につくったトレーニング室などでパワーアップに精を出す。股関節の可動域を広げる練習にも励み、今では180キロの重さを楽々と担ぐ。

 大阪府貝塚市にある日本生命のスポーツ施設で行うオフの自主トレーニング。10歳以上も年の離れた後輩がうめき声を上げながらスクワットに取り組む中、大島はそれより数十キロも重いバーベルを涼しい顔で挙げる。土田さんは「2人でいる時はめちゃくちゃきつい顔をしている」と笑うが、「彼はつらい顔を見せたくない、見せる必要がないと以前言ったことがある。プロでやっていくには、それくらいの精神力が必要だというポリシーがあるのかもしれない」とも話す。

新たな試みにも抵抗なく

 ウエートトレーニングを始める直前の14年。大島は球団タイ記録の186安打をマークしている。そのタイミングで新たな試みをするのは恐怖心を覚えてもおかしくないが、大島は否定する。「全然恐怖はなかった。毎年毎年、同じことをやっている時はない。新しいことをやるのは嫌いじゃないし、むしろ興味があるというか、やってみようと思う。だから抵抗はなかった」

 他のアスリートもサポートする土田さんは、こう話す。「調子が良かった時のトレーニングを維持しようとする選手は、まあまあいる。維持することのメリットもあるが、(コンピューターのプログラムなどに例えて)大島の場合は現状を把握して常にアップデートする。バグ(誤作動)があったら修正して、の繰り返し」

箱根駅伝の青学大監督に共感

 30代後半になっても、大島の挑戦は続く。苦手なクイックモーションへの対応力を磨くなどの目的で、近年は感覚機能を主に鍛えている。例えば、半円形のバランスボールに片方の足で立ち、浮かせた足で複数の信号の中から点滅したものを押す。一見、野球とは関係ないようなメニューにも地道に取り組む。シーズン中の試合のない日もトレーニングを欠かさない。完全な休日は年に10日ほどだという。

 ベテランの根底にあるのは危機感だ。土田さんは、大島がふと口にした言葉を覚えている。4年前、マッサージをしている時。大学駅伝の強豪校、青学大の原晋監督がテレビのインタビューで箱根駅伝の総合5連覇を逃したことについて「維持しようと思ったら落ちるだけ」との話をしていた。それを見ていた大島が、こうつぶやいたという。「すげえ分かる」。土田さんは「向上しようと思ってやっと維持できる、という感覚が本人にもあるみたい。それが積み重なって、2000安打まできたのかもしれない」と語る。

スカウト、コーチらの期待度を超越

 大島の2000安打達成について、アマチュア時代などに関わっていた関係者の多くが驚きを持って受け止めている。担当スカウトだった米村明さん(現スカウト部シニアディレクター)は守備と走塁に注目していたという。「広いバンテリンドームを駆け巡る選手が欲しかった。スーパーサブには絶対になれるという自信はあったが、大学~社会人のプロ最短で2000本にいくとは思っていなかった」

 若手の頃に指導した元中日打撃コーチで、今は沖縄県の社会人チーム・エナジックの監督を務める石嶺和彦さんも「いやいや、正直(2000安打に届くとは)思わなかった」と笑う。享栄高の元監督で現在総監督の柴垣旭延さんは「社会人では一流になるだろうという見方はしていたけど、まさか、あそこまでになるとは。想像をはるかに超えている」と語る。

徹底してバットを振った努力の結果

 176センチ、75キロ。プロ野球選手として恵まれた体格とは言えず、プロ入り当初は、もう少しきゃしゃでもあった。アマ時代からバットコントロールには定評があり、東都大学リーグと社会人の日本選手権では首位打者になっている。一方で力強さや体力は物足りなかった。

 トレーニングの一環として取り組んだのが、徹底したバットの振り込みだった。2年目の春季キャンプには、1カ月で1日しか休まずに打撃練習に明け暮れた。石嶺さんが証言する。「とにかくバットを振ることに力を入れて、(早出練習する)自己申告で常に名前を書いて練習をしていた。だいぶ、打撃投手をしましたから。振るにしても本当に抜くことなく、一本一本を目いっぱい振るタイプ。2000安打は努力の結果」

試合に出て、打つ「大島プロ」

 大島は今季まで12年連続でシーズン規定打席に到達している。けがが少ないとも思われがちだが、実際はそうではない。「いっぱい骨が折れていますよ」と土田さん。さかのぼれば、大学生の頃は鼻を骨折しながら試合に出たことも。ドラフト直前には右手首を骨折し、その際に入れたボルトは今も埋まったままだ。プロになっても右足の腓骨(ひこつ)やあばら骨を骨折。昨年4月には、右膝付近に死球を受けて全治3カ月と診断された。足の神経がまひし、思うように動かせない箇所もあった。手術が必要なレベルだったが、3週間で復帰し、終盤は三冠王に輝いた村上宗隆(ヤクルト)と首位打者を争いを演じた。

 大島はさらりと言う。「試合に出るのが当たり前ぐらいの感じに思っている。出る出ないは監督が決めるが、自分では試合に出ると思って、ベストな状態に上げていくのが普通みたいな感じ」。チームが低迷していても当たり前のように安打を打ち続ける。ファンから「大島プロ」と呼ばれるゆえんが、そこにある。

「45歳までレギュラー」を目標に

 45歳までレギュラーとして活躍することが目標だ。だから、2000安打の偉業も通過点と位置付けている。「2500本とか、3000本とか体が動ける限りは目指したい。とにかく、1本でも多くヒットを打ちたい」。中日一筋の選手としては、立浪和義(現監督)の2480安打(プロ野球歴代8位)が最多。選手生命を脅かすほどのアキレスけん痛から「酒マッサージ」で復帰したことでも知られる谷沢健一は2062安打。大学、社会人経由の選手で最多は宮本慎也の2133安打だ。目標に向かう過程には、名選手たちの通算記録がある。

 大記録達成から半月。大島の勢いは衰えず、12年連続でシーズン120安打をクリア。「もう2000本を気にしなくてよくなったので、普通に野球をやれています」。平然とした顔で、そう言う。たゆまずバットを振り続け、安打を打ち続ける。

 大島 洋平(おおしま・ようへい) 名古屋市出身の37歳。愛知・享栄高、駒大から日本生命を経てドラフト5位で2010年に中日入団。12年に盗塁王、14年は球団タイ記録の186安打をマークした。打率3割台を6度記録し、最多安打2度。ベストナイン1度、ゴールデングラブ賞9度。176センチ、75キロ。左投げ左打ちの外野手。軟式野球に励む中学2年生の長男と一緒にプロの舞台でプレーすることを夢見ている。

2000安打スピード到達上位

①川上 哲治(巨 人)1646試合
②ラミレス(DeNA)1695試合
③長嶋 茂雄(巨 人)1708試合
④張本  勲(東 映)1733試合
⑤小笠原道大(巨 人)1736試合
⑥松井稼頭央(楽 天)1742試合
⑦若松  勉(ヤクルト)1757試合
⑧坂本 勇人(巨 人)1783試合
⑨大島 洋平(中 日)1787試合
⑩福本  豊(阪 急)1790試合
(所属は達成時)

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