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プーチン氏に逮捕状、ICC裁判官が語った「日本がすべきこと」◆専門家との対談を取材【時事ドットコム取材班】

2023年09月05日10時00分

 ロシアのウクライナ侵攻に伴う戦争犯罪を巡り、プーチン大統領に逮捕状を出した国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子裁判官が、ロシア当局から指名手配されたと報じられました。当日、赤根裁判官は一時帰国中で、以前から交流のある国際刑事法の専門家、フィリップ・オステン慶応大教授と対談していました。プーチン氏を逮捕することは可能なのか、日本がすべきことは何かー。同席取材した記者が内容を詳報します。(時事ドットコム編集部 太田宇律) 【時事コム取材班】

 インタビュー記事はこちら➡「訴追の積み重ねが重要」 国際刑事裁判所の赤根智子裁判官―プーチン氏に逮捕状、ロシアが指名手配

 ーICCでの仕事について。

 
(赤根裁判官、以下、赤根氏)私は、いわゆる起訴までを担当する「第2予審部」に所属しています。予審部は、証拠を基にその容疑者を公判に送るべきか判断するところですが、私は一部の事件で公判も担当しています。18人いるICC裁判官のうち、現在、アジア出身者は私と韓国出身の2人だけで、「ICCは世界の法律家たちの考えに基づいた裁判所だ」と思ってもらえるよう、アジア人としての考え方を反映することを心掛けています。

 ーICCは、ウクライナ占領地域からロシアへの子ども連れ去りを巡り、プーチン氏の逮捕状を発付しました。

 
赤根氏)今年(2023年)2月にICC検察官から逮捕状請求を受け、第2予審部では、記録や証拠を吟味し、逮捕の根拠や必要性があるかを検討した上で、3月に逮捕状を出しました。ただ、現在進行中の事件で、ロシア側に連れ去られた多くの被害者がいることや、今後の検察局による証拠収集の障害になりうることなどを踏まえると、それ以上のことは申し上げられません。

(オステン教授、以下、オステン氏):ICCが国連安保理常任理事国の現職の国家元首に逮捕状を出したのは初めてで、国際刑事法の歴史の中でも非常に重要な出来事でした。少なくとも、戦争犯罪の一種について、プーチン氏の個人としての刑事責任を問える証拠が、既に一定程度固まっていることが推察されます。これにより、日本も含め現在ICCに加盟する123の国・地域には、プーチン氏が自国領域に入ってきた場合は逮捕し、ICC側に引き渡す義務が生じました。大きなインパクトがあったと言えます。

 ープーチン氏は逮捕状発付の公表以来、外遊を制限されているようです。

 (
オステン氏)プーチン氏の最近の動向に鑑みれば、移動の自由を抑止する効果が既に出ていると言えますね。

(赤根氏)ICCはそうした「副次的効果」や政治的思惑を理由に逮捕状を出すわけではありません。どんな事件でも、容疑者の逮捕・訴追につなげることを想定しています。また、ICCはあくまで中立公正な裁判所です。もし、ウクライナ側がロシア側に対して行った戦争犯罪で容疑者の逮捕状請求があったとすれば、同じように、証拠や逮捕の必要性を吟味する。ICCは「ロシア人の犯罪」ではなく、戦争犯罪そのものに注目しているのです。

(オステン氏)プーチン氏のような現職の元首や、外相など、一定の公的地位を持った人物に、他国は裁判権を行使できないという「特権免除」の問題があります。ただ、ICCのような国際裁判所による訴追の場合は、いかなる免除も認められるべきではないとする考え方もあり、私も同様の見解です。

 ー逮捕状発付を受け、プーチン政権はICCへのミサイル攻撃を示唆するなど反発を強めています。

 (
赤根氏)そうした報道は私たちも聞いています。今後の手続きに支障があってはならないと思います。

 ープーチン氏を逮捕することは可能なのでしょうか。

 (
オステン氏)ロシア憲法には「自国民の不引き渡し」に関する規定があり、ロシア側が引き渡しに応じることはないでしょう。プーチン氏がICC加盟国を訪れることがない限り、身柄を拘束することは事実上困難です。ただ、将来、クーデターや政権交代でプーチン氏が権力の座を追われれば、経済制裁の解除と引き換えに身柄の引き渡しが実現するといったことも十分あり得ると考えています。

(赤根氏)ICCが逮捕状を出してもなかなか身柄を確保できない背景には、引き渡し義務を負う加盟国がまだ123カ国・地域しかないということもあると感じています。特に、アジアの加盟国はまだまだ少ない。こうした機会に、各国に加盟を働き掛ける必要があると感じています。

 ー逮捕状が効力を発揮するには、各国の協力が不可欠だと。

 (
赤根氏)その通りです。ICCが存在するだけで、独裁者たちが訴追を恐れ、戦争犯罪を起こさないようになるわけではない。戦争犯罪や人道に対する犯罪などを抑止するには、加盟国などの協力を得て、逮捕と訴追を着実に積み重ねることが重要だと思います。

(オステン氏)ICCには「補完性の原則」というものがあり、戦争犯罪や人道に対する犯罪などの訴追・処罰は本来、加盟各国が主役となって行うべきものです。ウクライナの事態についてはフランスやドイツなどが捜査していますが、それは戦争犯罪などを裁けるよう国内法が整備されているから。そうではない日本は、ICCに協力するため検察官を派遣できても、自ら捜査や訴追を行うことは困難です。ICC最大の分担金拠出国として多大な貢献をしていますが、現状では間接的な「後方支援」しかできないでいます。

(赤根氏)ICCは、各国の裁判所の上に位置する上級裁判所ではありません。あまりに大きすぎて各国の裁判所が扱えないような事件を裁く「最後のとりで」と言われますが、各国による捜査・訴追などの協力がなければ、そもそも「とりで」として成り立たないんです。

 ー日本の国内法には戦争犯罪や人道に対する犯罪の概念がなく、戦争犯罪などを捜査した実績もありません。集団殺害犯罪を禁じた「ジェノサイド条約」にも未加入です。

 (
赤根氏)ウクライナ侵攻以来、世界情勢の変化の様子を見て、深い疑問を持つようになりました。「日本では戦争犯罪やジェノサイドのような事件は起きないのだから、裁く法律がなくてもいい」とか、「関わらなくていい」という姿勢のままで、本当にいいのでしょうか。仮にそうした事件が起きてから慌てて立法したとしても、「事後法」になり、その事態には使えず対処できません。今の状態では近隣諸国でそうした事件が起きても捜査、訴追への協力ができないこともあり、万が一のとき、国際社会からの助けが得られない事態になりはしないかと危惧しています。

(オステン氏)ウクライナにおける重大犯罪については、ICCの対応ばかりが注目されがちですが、むしろ、各国がどう「国際包囲網」を敷くかが重要だと考えています。しかし、日本の法制度には、人道に対する犯罪やジェノサイドに特化した規定がなく、適切な訴追ができません。日本がこうした「国際包囲網」に積極的に参画していくには、これらの重大犯罪の国内法化が喫緊の課題といえます。

 ジェノサイド条約には北朝鮮や中国も含め、世界のほとんどの国が加入していますが、日本は依然として加入していません。その理由の一つに、加入の条件として「ジェノサイド罪の国内法化」が義務付けられていることがあります。この点、日本政府は何十年も前から「国内法の整備には慎重な検討を要する」というスタンスを取り続けています。

(赤根氏)私が大学で法律を勉強していた頃は、国際刑事法という分野がまだありませんでした。もし戦争犯罪やジェノサイドなどを裁く法律が日本にもできれば、法曹を目指す学生や、裁判官、検察官、警察官などもきっとその法律について勉強するでしょう。そうすれば、海外のできごとをもっと「自分ごと」として受け止められるようになりますし、最終的には日本の国益にかなうことだと思います。

(オステン氏)まさにその通りです。例えば、シリアの内戦やミャンマーで民間人虐殺のような人道に対する犯罪に関わった外国人が、観光客や難民を装って来日しても、今の日本の刑法では処罰できません。プーチン氏のようにICCから逮捕状が出ていれば引き渡しもできますが、ICCや外国からの引き渡し請求もなかった場合、不処罰のまま放置されてしまう恐れがあります。重大犯罪の容疑者らにとって、日本が事実上の「セーフヘイブン」(安全地帯)になりかねないため、こうした抜け穴を埋めることも極めて重要です。

ー法改正には、国民の理解や機運の高まりが不可欠ですね。

 (
赤根氏)難しい問題ですね。水際対策が不十分で、人道に対する犯罪を犯した人物が国内に入ってきてしまっても、国内法が整備されていないために処罰することができず、それで国際的に非難を浴びたらどうするのか、という問い掛けはしておきたいと思います。日本はこれまで、海外へのさまざまな支援や国際協力をして世界における役割を果たしてきているからこそ、内外から評価されているのです。

 国際社会の一員として、「わが国にもこういう法律があり、戦争犯罪などを犯した人物はわれわれがしっかり処罰します」という姿勢を示すことが重要だと思います。戦争犯罪などの重大犯罪は既に世界中で発生していて、近い将来、日本の周辺国で起きることも十分あり得ます。起きてから立法したのでは遅いのです。

(オステン氏)ウクライナ情勢を受け、日本でも国際刑事司法に対する認識が大きな転機を迎えました。今なら、なぜ法改正が必要なのか、国民の理解も得やすいと思います。国際的な「法の支配」の貫徹に貢献するため、日本が一歩を踏み出すべきときではないでしょうか。

赤根 智子氏(あかね・ともこ) 1956年、愛知県生まれ。東京大法学部卒業後、82年検事任官。函館地検検事正、法務総合研究所所長、最高検察庁検事などを歴任した。2018年、日本人で3人目となる国際刑事裁判所(ICC)裁判官に就任。日本でいう起訴までの段階を担当する「予審部門」に所属し、公判事件も一部担当している。任期は9年。

フィリップ・オステン氏(Philipp Osten) 慶応大法学部教授(国際刑事法) 1973年、ドイツ・ボン生まれ。父が外交官で、中学時代から多くの時期を日本で過ごす。ベルリン・フンボルト大法学部卒、慶応大大学院法学研究科博士課程修了。法学博士(フンボルト大)。2003年慶応大法学部専任講師。04年、日本の大学で初の国際刑事法ゼミを開設し、12年から現職。国際刑事裁判所や東京裁判などに関する著作多数。 

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