野球に心血を注ぐチェコのナイスガイたち 「佐々木朗希のお菓子」だけじゃない日本との縁も

2023年09月04日13時00分

 欧州の中央に位置する内陸国で、中世のたたずまいを残す風光明媚(めいび)なチェコ。日本人が抱くイメージとして、少なくとも1年前までは「野球」を結びつけにくかった。それが今や、一転している。今年3月、野球の国・地域別対抗戦、第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に初出場し、日本と同じ1次リーグB組に入って、初戦の中国戦で初勝利。はつらつとしたナイスガイたちのプレーは、東京ドームを埋めたファンをとりこにした。
 日本戦では、先発した佐々木朗希投手(ロッテ)から死球を受けた選手が、倒れて起き上がって一塁に全力で走るなど、見る者の心に響くシーンも。チェコは1次リーグで敗退したが、その後、ロッテと野球を通じた文化的な交流がスタート。今夏、チェコ代表監督らが再来日し、ロッテ戦で始球式を行うなど改めて存在感を示した。(時事通信社 小松泰樹)

 8月1日、千葉市のZOZOマリンスタジアム。ナイターのロッテ―日本ハム戦に先立ち、チェコ代表のユニホームを着た3人がグラウンドに登場した。パベル・ハジム監督とマルティン・ムジーク、ルカシュ・エルツォリの両選手だ。スクリーンでは、今回は来日できなかったウィリー・エスカラ選手のビデオメッセージが映し出された。その中でエスカラは、こう語った。

 「(WBC1次リーグで)チームメートとともに国を代表して他の出場国と競い合えて、東京ドームを埋め尽くすファンの前でプレーできたことは一生の思い出。これからの人生でも何度も振り返るでしょう。そして、僕が受け取ったお菓子はチームメートとシェアして、皆で楽しんだよ。最高だった! 今回、僕は日本に行くことができないけれど、(3月に)素晴らしい経験ができたお礼を言わせてください。ありがとう!」

「162キロ」の死球から

 「僕が受け取ったお菓子は…」―。何を示すのか。きっかけとなったのは3月11日、WBC1次リーグの日本―チェコ戦だ。日本の先発、佐々木朗から先制点を奪ったチェコはその後逆転され、1―3の四回1死後、エスカラが打席へ。5球目、「162キロ」が左膝を直撃した。誰もが「痛い!」となる死球だから、エスカラも一度は背中からグラウンドへ。程なく立ち上がり、一塁へと疾走した。最後は2―10で敗れたチェコに、日本のファンからも温かい拍手が送られた。

 2日後。チェコ代表チームの宿泊ホテル前に、佐々木朗の姿があった。手には、品物が詰まった袋が二つ。中身はロッテ製品のお菓子類だ。死球のおわびをしようと、佐々木朗が自ら買い集めた。バスで試合に移動するチェコの選手たちを待ち、エスカラと対面。お菓子を手渡した。2人は笑顔で握手したり、佐々木朗がその場でサインボールをプレゼントしたり。それらのシーンは、チェコ野球協会のX(旧ツイッター)でも複数の写真と映像で発信され、「Sportsmanship at its best!」などと紹介していた。

劇的に、歴史的1勝

 日本戦の前日、チェコは中国に逆転勝ちし、WBCでの初陣を飾った。六回を終えて4-1と優位に進めながら、七回に4点を失って逆転され、相手に主導権を奪われてしまう。4―5で迎えた九回。1死二、三塁でムジークが打席に。その初球、変化球を完璧に捉え、左翼ポール際に劇的な逆転3ラン。ベンチはお祭り騒ぎとなった。再び流れを引き寄せたチェコはさらに1点を加え、その裏を無失点に抑えて8―5で勝利。同国にとって歴史的な1勝を挙げた。

 ムジークは今夏に再来日した際、記者会見で逆転弾の興奮を述懐した。「反響がすごかった。帰国後というより、もう(勝利の)直後から、僕のスマートフォンにメッセージが続々。全部で500は超えたのではないかな。自分のキャリアの中でも最高の本塁打だった」

「必勝」と「根性」のはちまき

 チェコは日本戦の後、韓国に3―7、オーストラリアに3―8で敗れ、1勝3敗のB組4位。準々決勝に進めなかったものの、ひたむきな全力プレーは、すがすがしかった。チェコ国内の野球には最高峰のエクストラリーグがあるが、プロのリーグはない。代表選手はそれぞれ職業に就くなどして仕事と両立させているケースがほとんどだ。ハジム監督は神経科医でもある。

 1次リーグを終えたハジム監督は、記者会見に「必勝」のはちまきをして臨んだ。日本の観客からの温かい声援に対する感謝の意に加え、日本の優勝を願う気持ちも込めたという。結果は、同監督の願い通りとなった。再来日し、8月2日にZOZOマリン内で行われた記者会見には「根性」のはちまきで登場。「今後さらに発展、成長していくであろうチェコのチームを象徴するイメージで」と説明した同監督。日本へのリスペクトを基軸に、「ど根性」で飛躍していこうという心意気がにじむ。実際、中国戦では九回に逆転し、後述する予選でも出だしの窮地から立ち直るなど、泥臭く粘り強いのがチェコのカラーでもあるようだ。

時代を超える「カレル橋」のように

 前夜はロッテ戦の試合前に始球式に「登板」したハジム監督。ノーバウンドで捕手のミットに投げ込み、大きな拍手を受けた。「WBCを思い起こすような声援を頂き、まだ自分の中で消化しきれていないような気持ち。こうした機会をつくってくれたマリーンズに感謝している」。満足そうに、そう話した。

 ロッテ球団が大手企業などと連携して取り組みを始めたチェコとの文化交流は「マリーンズ―チェコ・ベースボール・ブリッジ・プログラム」と名付けられた。プラハの観光名所で、約600年もの間市民らに使われ続けている石造りの「カレル橋」のように、野球でつないだ縁が時代を超える懸け橋に―。そんな思いが込められている。

初出場までの長い道のり

 チェコがWBC本戦にたどり着くまでの道は、長く険しかった。WBCでは2006年の第1回大会、09年の第2回大会と日本が連覇。第3回大会(13年)から予選が始まり、招待された12カ国にチェコも名を連ねた。第2回で1勝もできなかった台湾、カナダ、パナマ、南アフリカを加えた計16チームが参加して12年9月に予選を実施。敗者復活戦のあるダブルエリミネーション方式で争われた。チェコは初戦でドイツに1―16、敗者復活1回戦でも英国に5―12と完敗し、早々に敗退した。

 チェコは第4回大会(17年)の予選にも出場。16年3月の予選で、初戦はメキシコに1―2と惜敗したが、敗者復活1回戦ではドイツに15―3で圧勝した。敗者復活2回戦でニカラグアに延長十一回6―7で屈して敗退。それでも4年前に比べ、戦いぶりに確かな成長がうかがえた。

予選は屈辱的な大敗から

 3度目の挑戦となった第5回大会の予選。22年9月、ドイツ・レーゲンスブルクでの予選A組に臨むチェコ代表チームには、不安要素もあった。同年のシーズンを前に多くのベテランが引退。チームの再構築を進めつつも、明確なビジョンを掲げられない状況だったようだ。初戦は、既に南アフリカに勝っていたスペインと対戦。この試合で7―21と屈辱的な大敗を喫した。五回に大量12点を失うなどして七回コールド負け。前途多難の船出となったが、ここから踏ん張った。

 敗者復活1回戦でフランスに7―1と快勝。先発投手のエルツォリが好投した。息を吹き返したチェコは、敗者復活2回戦でもドイツを8―4で下した。そして9月21日の第2代表決定戦。惨敗だった初戦の相手、スペインと再び顔を合わせた。スペインは前日の第1代表決定戦で英国に延長十回、9―10でサヨナラ負けしていた。

 チェコにとっては、初戦の雪辱と悲願のWBC出場を懸けた一戦。一回に1点を先制されたが、二回にムジークの2ランで逆転し、四回にも加点して3―1で勝った。こうして、苦難の末に巡ってきたチャンスを物にした。WBCの予選初参加から約10年。ようやく切符をつかみ取り、「チェコに野球あり」を国際的にアピールできる大舞台に立てることになった。

共産主義体制下、ソフトボール普及が基礎に

 かつて東西冷戦下のチェコスロバキア時代、共産主義体制の下で野球は「西側の象徴」ともみなされていた。そのため、国内に野球の長い歴史はない。青少年の育成を担う非営利団体YMCAによるスポーツ活動の継続が、やがてクラブなどの結成に結びついたようだ。1954年にソフトボールのルールや戦術などを記した大学教本が出版され、普及もスタート。その後、プラハのカレル大でソフトボールの指導が始まり、これが後に野球とソフトボールのコミュニティーが形成される基礎となった。

 60年代の後半、学校を中心に多くの野球チームが誕生し、民主化運動の「プラハの春」が起きた68年には初の定期野球大会を開催。約20年後、89年に民主革命(ビロード革命)によって共産主義体制が終結すると、チェコの野球界も大きく変化。国内大会のための新しい競技規則が作成されるなどした。93年には国内リーグ(エクストラリーグ)が設立された。

「侍チェコ」へと進化するか

 チェコ野球協会のPRマネジャーでもある投手のエルツォリは、1次リーグの韓国戦に先発して黒星が付いたが、昨秋の予選では敗者復活1回戦で力投。崖っぷちのチームに勇気と勢いをもたらし、本戦初出場に貢献した。そのエルツォリは今回のWBCの前後で、母国での野球熱が大きく変わったと実感。「国内で野球に対する関心度がすごく高まった。その意味でもWBCに感謝している。これからも、いろいろな方により興味を持ってもらえるように頑張っていきたい」と意欲を示す。

 ハジム監督は「WBCは私たちから見たら夢のような世界だった。プレッシャーにのみ込まれないように、自分たちの野球に集中した」と、改めて初出場だった3月の本戦を回顧。ボランティアとも言える環境下で、野球に打ち込んでいる源は「自分の中に情熱があるから」。シンプルなその言葉は、選手やコーチら代表チームに共通しているのだろう。2026年に予定されている次回のWBCでは、進化したチェコが「侍」のようにたくましくなって、「本家」侍ジャパンに真っ向勝負を挑むかもしれない。

 チェコは9月24日に開幕する欧州選手権の開催地。国内で野球が盛り上がりつつある今、絶好のタイミングでホーム開催を迎える。WBCで見せたハッスルプレーを国民に披露し、上位進出を狙う。

◇ ◇ ◇

 チェコ出身で世界的に知られている偉大なスポーツ選手として、以下の3人を挙げてみた。いずれも日本との縁がある。

◇「人間機関車」ザトペック
 1952年ヘルシンキ五輪の陸上男子で、エミール・ザトペックがトラックの5000メートルと1万メートル、さらにマラソンでも金メダルに輝いた。ロードを含む長距離の3種目制覇は、今日までの五輪史上で他に例がない。必死の形相でグイグイと先頭を走る姿は「人間機関車」と称された。
 ザトペックは、36年ベルリン五輪の5000、1万メートルでともに4位入賞の村社講平を尊敬。陸上強国だったフィンランド勢と渡り合った村社の力走に感銘を受けた。後年、2人は親交を深め、日本の市民ロードレース大会で一緒に走るなどした。妻のダナ・ザトペコワは陸上女子やり投げの選手で、ヘルシンキ五輪では夫婦そろって同じ日に金メダル獲得(夫は5000メートル)という「快挙」も。プロ野球阪神の名投手、村山実の力投ぶりは「ザトペック投法」とも言われた。

◇「名花」チャスラフスカ
 体操女子で「名花」とうたわれたベラ・チャスラフスカは1964年東京、68年メキシコ両五輪で個人総合連覇と種目別を合わせ計7個の金メダルを獲得した。メキシコ五輪に臨む前、民主化運動「プラハの春」に賛同し、「二千語宣言」に署名。参加すらも危ぶまれた同五輪では、ライバルのソ連勢と火花を散らした。五輪後も反体制を唱えたことから政府に監視され、長年にわたり不遇の時期を過ごしたが、信念を曲げなかった。
 89年の共産主義体制崩壊後は名誉が回復。チェコ・オリンピック委員会の会長を務めるなどした。親日家で、日本を何度も訪問。2010年秋の叙勲では、日本とチェコの友好促進に寄与したとして旭日中綬章を受けた。

◇「支配者」ハシェク
 チェコはアイスホッケーで米国やカナダ、北欧勢、ロシアと並ぶ強豪国として知られる。1998年の長野冬季五輪では、初の金メダルを獲得した。決勝の相手はロシア。「プラハの春」の後にソ連(当時)が軍事侵攻してから、20年後だった。
 優勝の原動力はゴールを死守したGKドミニク・ハシェクだ。北米アイスホッケーリーグ(NHL)で活躍していたハシェクは、ロシアの猛攻を防いで得点を許さず、チェコが1―0で勝利。決勝は長野五輪の最終日に最後の競技として行われ、会場は日本人ら多くの観客で埋まり、熱戦にくぎ付けとなった。「ドミネーター(支配者)」の異名を取ったハシェクはNHLの最優秀選手に2度、最優秀GKには6度選出された。

◇ ◇ ◇

 今夏、陸上の世界選手権(ブダペスト)女子やり投げで北口榛花(25)=JAL=が優勝した。4位で迎えた最終6投目、自身の日本記録に迫る66メートル73のビッグスローで大逆転。日本選手で今大会唯一、投てき種目では日本女子初の金メダルに輝いた。北口は2019年からチェコに練習拠点を置き、同国のセケラック・コーチに師事している。

 専門コーチ不在の時期に自らの行動力で、やり投げ王国チェコでの学びに活路を見いだした。そこから飛躍的に成長。21年に開催された東京五輪で、日本勢として57年ぶりに決勝へ。予選で左脇腹を痛めた影響から決勝は12位にとどまり、悔しさをにじませた。22年は6月に最高峰ダイヤモンドリーグ(DL)のパリ大会で日本勢初優勝。7月の世界選手権(米オレゴン州)で銅メダルを獲得し、9月のDLファイナルでも3位。今や不動の世界トップスロワーだ。

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