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銀行の店舗削減は正しいのか 社会的責任を放棄する前にやるべきこと

2023年09月22日11時00分

作家・江上剛

 2023年7月14日付の日本経済新聞に「JPモルガン、支店再拡大」との興味深い記事が掲載された。

 趣旨は、米銀最大手のJPモルガン・チェースが支店網を再拡大するというもの。理由は、急ピッチな金利上昇で利回りの高い金融商品へ預金が流失するため、個人や中小企業とも取引接点を拡大し、「粘着性の高い預金」の重要性が再認識されたためだ。

 店舗拡大は本気の様子で、22年には114カ店を出店しており、今後は年120から130か店出店する計画だ。出店地域も18年で23州だったのをほぼ全米48州に拡大した。支店網の維持、拡大はデジタルに比べてコストがかかるが、「(顧客)利便性を第一に考えると、支店は必要だ」と責任者が語っている。

「粘着性の高い預金」再評価

 米連邦預金保険公社(FDIC)によると、全米の支店数は減少の一途をたどっていたが、変化の兆しがあるという。

 それは記憶に新しいが、シリコンバレー銀行などが、経営危機のうわさがSNSで流されると、あっという間に破綻に追い込まれた事実があるからだ。

 これは今までになかったことだ。経営危機のうわさが立つと、銀行の店舗に預金払い出しの行列ができる時代は終わったのだ。

 誰もがSNSの情報を信じ、ネットで資金を払い出してしまう。預金払い出しの客を安心させるために、店頭に現金を山と積むという古典的な手法は通じなくなったのだ。

 こうした事実を踏まえて、JPモルガン・チェースという巨大銀行も「粘着性のある預金」という表現で表される小口の預金を多数集めることにしたのだ。大口預金や、ネットで資金移動が容易な預金に頼る危険性を少しでも少なくしようというのだ。

 日本の金融機関も、このJPモルガン・チェースの危機意識を対岸の火事と傍観しているわけにはいかない。

 日本も1990年代の金融危機の際、日本長期信用銀行は大口の預金が払い出され、破綻に追い込まれてしまった。

 そこで、新生銀行として再出発する際、再建に当たった八城政基氏は、リテールにかじを切り、小口預金を多数集める戦略に切り替えた。

 コンピューターシステムもリテール重視に切り替え、都会で働く人たちに利便性の高い口座を発売し、再建を果たした(組織再生・江上剛著・PHP文庫)。

支店、20年で3割減

 JPモルガン・チェースが銀行店舗を増やす判断に傾いたのは、「粘着性のある預金」を獲得するという流動性リスク回避のためだけではないだろう。もう一つ重要なのは、社会が多様化し、それに合わせてニーズも多様化したため、ネットだけでは本当の顧客の顔が見えず、声が聞こえなくなったためではないかと推察する。支店を減らす一方では、重要な顧客ニーズの変化を見逃してしまうからだろう。そして、何よりも銀行の社会的責任を果たさなければ、何のために銀行があるのかという根本的な存在理由を問われかねないとの危機感が大きいのではないだろうか。

 それが証拠にコミュニティー・ブランチを展開し、低所得層が多く住む地域で、店舗を単なる銀行取引拠点だけではなく、コミュニティーの核となる役割も担わせているのだ。翻って日本の銀行店舗、特にメガバンクと言われる大手銀行の店舗の現状はどうなのか?

 バブル崩壊後、丸の内にずらりと看板を掲げていた大手銀行の店舗は消え、見事にファッションなどの店舗に切り替わった。丸の内の姿が大きく変貌したのは誰しもが認識しているだろう。

 駅前の一等地に銀行は店舗を構え、支店長は地域の名士であり、その支店は、まさにコミュニティー・ブランチだった。地域の人が集い、語らう場所だった。

 私は、そんな姿を庶務行員が活躍する「多加賀主水シリーズ」(祥伝社文庫)に書いているが、もはやそのような店舗の姿はノスタルジーであり、センチメンタルである。

 バブル崩壊で、銀行は地域の企業から強引な貸し剥がし、貸し渋りを行い、人々の不信感を買ってしまった。コミュニティー・ブランチの座を自ら放棄してしまったのである。そして経営合理化、効率化の名の下にどんどん店舗を削減していった。

 財務総合政策研究所のデータによると、2001年に大手銀行等の店舗数は3217だったが、21年には2372になった。実に845もの店舗を減らしたのだ。約3割もの店舗を減らしたのである。

排除されたのは…

 東洋経済が「30年間で6割減、3メガは『店舗』をどう減らしたか」(23年2月14日付)という分析記事を掲載しているが、それを見てみよう。

 店舗削減の先駆けとなった三井住友銀行は「銀行にとっての『顔』である実店舗は、キャッシュレス決済や取引のデジタル化によって来店客が減少し、存在意義が問われている」として「1000店以上を構えていたが、2022年には400店を下回り、6割も減少した」という。

 これは三菱UFJ銀行も、みずほ銀行も減少スピードに違いはあるが、同様の傾向である。特に、日銀のゼロ金利政策やコロナ禍によっても店舗減少の速度が加速したようだ。

 記事によると、三井住友銀行、三菱UFJ銀行はピーク時1000店舗以上あったものが、22年には400を割り込み、みずほ銀行はピーク時800近かった店舗が、同年にはやはり400を割り込んでいる。

 三井住友FGの太田純社長は「デジタル化が進めば、駅前の一等地に店舗がある必要はない。投資の相談に乗るだけなら、住宅街にある方が便利だ」と記事中で語っている。

 まさにその通りだとは思い、太田氏の見解に反対するつもりはない。しかし、私の個人的な感想で言えば、店舗を大幅に削減して、顧客ニーズの多様化に対応できているのだろうか。あるいは対応しようとしているのだろうか。

 私の自宅の近くにも、メガバンクの富裕層向けの店舗がある。普通の客が作業着やエプロン姿で、気楽に入店できる雰囲気ではない。投資の相談店舗とはいうものの、それは顧客のニーズというよりも富裕層を取り込みたいという銀行のニーズの方が大きいのではないだろうか。

 では排除されているのは、どういう客層だろうか。もちろん、富裕層ではない普通の家計世帯、そして地域の中小零細企業である。

 あるメガバンクは、100億円以上の売り上げのない企業とは取引をしないと宣言し、選別をしているようだ。全く愚かなことだと思う。地域の100億円以上の売り上げの企業が一体どれだけあると考えているのか。

 既存の成長した企業を相手にしているだけでは、やがて銀行は廃れるだろう。ベンチャー企業やイノベーティブな新しい産業は、いつの時代も中小零細企業から生まれてきたのだ。それを支えてきたのが銀行である。その役割を自ら放棄する経営戦略が銀行を発展させることはない。これこそ銀行の社会的責任を放棄するものだ。

「ゾンビ企業」などない

 怒りがあらぬ方向に向かったが、中小零細企業が融資相談できる店舗がなくなったのである。それを悩む中小零細企業の経営者からの声が頻繁に私の耳に入って来る。

 古い話で恐縮だが、2000年の頃、私は、みずほ銀行の高田馬場支店長をしていた。バブルで傷ついた銀行は店舗のリストラを進めていた。

 ある時、東西線に乗って葛西方面からの客が相談にやってきた。「どうしてそんな遠くから来られたのか」と尋ねると、「近くにあったメガバンクの支店が住宅ローン専門になってしまい、相談に乗ってくれないんです。東西線の途中の茅場町などにも支店がありますが、法人の大手企業専門になり、ビルの5階とかに移転してしまい、こんな作業着で支店には入れませんよ」と苦笑いした。実際、彼は作業着姿で私の前に座っていた。実直な人で、どうしてこのような中小零細企業経営者を排除するのだろうかと、そのメガバンクの姿勢を疑ったものだった。私は葛西まで彼の会社を訪問し、「遠くなりますが、高田馬場支店でよろしいですか」と断った上で、取引を開始した。

 しかし、しばらくすると、みずほ銀行も他のメガバンクも、彼がかつて取引していたメガバンクと同じように店舗統合を頻繁に行い、彼のような中小零細企業の取引を排除したのである。

 コロナ禍で政府保証が付いたゼロゼロ融資が終わった。その返済が始まってくる。今まで持ちこたえていた中小零細業が多く破綻するだろうと予測されている。実際、倒産件数は増加している。

 帝国データバンクによると、23年4月の倒産件数は610件で前年同月比25・3%の増加である。負債総額は約2089億円で前年同月の2.9倍である。

 ある人は「ゾンビ企業の淘汰(とうた)が進むことは結構なことだ」とうそぶくが、「ゾンビ企業」などあるのだろうか。どの中小零細企業も従業員を抱え、必死で事業の維持、発展に奮闘しているのだ。

 中小零細企業は、日本の雇用の7割を占めている。彼らは後継者不足、原材料の高騰などで苦しんでいる。ある経営者は「オイルショック、バブル崩壊、リーマン・ショックなどを切り抜けてきたが、今回ほど苦しいことはない」と私に嘆いた。

 ロシアのウクライナ侵攻などで分断化が進む社会で、エネルギーや原材料の高騰が尋常ではないからだ。

 マネジメントの神様ドラッカーは「ハイテクは小企業で生まれ、大企業からは生まれにくいものです」「日本の(金融)システムは100年前に、大企業に資金を提供するために組み立てられ、それがいまも変わっていません」(教養としてのドラッカー「知の巨人」の思索の軌跡・小島明著・東洋経済新報社刊)と語っている。

 厚く豊かな中小零細企業の基盤こそが日本の強みである。その基盤を維持、発展させるために銀行は責任果たすべきだと思う。ゼロゼロ融資の返済が始まった今こそ、その責任を果たすべき時だ。

メガバンク不要論、浮上する前に

 デジタル化を進めるのは、銀行の、特にメガバンクの都合である。中小零細企業の経営者たちは銀行員に対面で相談し、未来をつかみたいのである。店舗がなくなれば、それは不可能になる。

 銀行側にも問題はある。長くゼロ金利の時代が続いた。それが終わる気配がある。銀行は貸出金利を引き上げるだろう。預金金利は据え置いたままで、貸出金利を引き上げれば、メガバンクは膨大な利益を上げることができる。

 メガバンクの経営者の中には、貸出金利を引き上げる時期を今か今かと、喉を鳴らして待っている人がいると聞く。

 ところが、行員の若手も中堅も、おそらくマネジメントクラスにも金利を引き上げた経験はないだろう。

 彼らは本部の指示に忠実に従って、中小零細企業への貸出金利を引き上げるだろう。大企業は銀行離れしているから、貸出金利引き上げは難しい。そのため、しわ寄せは中小零細企業に向かう。中小零細企業の経営者たちは、後ろから原材料費の高騰で攻められ、前からはメガバンクの金利引き上げで攻められる状態。まさに「前門の虎、後門の狼(おおかみ)」状態になり、累々としかばねをさらすことになるかもしれない。

 JPモルガン・チェースのようにコミュニティー・ブランチとしての地域の多様なニーズ(住宅ローン、投資、中小零細企業支援、ビジネスマッチング、スタートアップ支援など)に応える支店こそ、今、増やすべきではないだろうか。

 メガバンクの社会的責任とは何か、を問い直さないと、「メガバンクって不要だ」ということになり、経営者たちは、自らの知恵で多様な直接金融的な調達手段を作り出すだろう。その時になって慌てても後の祭りである。メガバンクの経営基盤を支えているのは、日本国内の厚く豊かな中小零細企業であると自覚するべきだ。 

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