78回目となった今年の広島、長崎の原爆の日。被爆者2世である2人の首長が平和式典で発した平和宣言 のメッセージは力がこもっていた。
松井一実広島市長は8月6日の平和記念式典で核抑止論を肯定した5月の先進7カ国首脳会議(G7)で、発表した「広島ビジョン」について訴えた。「世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し、私たちを厳しい現実から理想へと導くための具体的な取り組みを早急に始める必要がある」
抑止力の破綻-。米国の「核の傘」を基軸とする日本の外交安保政策を批判した表現と言ってよい。これは「ロシアが核の使用を踏みとどまっているのも、核の抑止力がそれなりに機能しているからと言える」(読売新聞8月6日付社説)といった核抑止肯定論とは対極にある。
4月に就任したばかりの鈴木史朗長崎市長も9日の平和祈念式典で、「核抑止 への依存では、核兵器のない世界を実現することはできない」と脱核抑止論を求めた。広島の湯崎英彦、長崎の大石賢吾両県知事もやはり核抑止に依存する政府に苦言を呈した。(時事通信社解説委員 山田惠資)
後退した首相あいさつ
これに対し岸田文雄首相は、核廃絶への決意を示す表現が後退した印象が残った。
昨年のあいさつではこう強調していた。「『核兵器のない世界』への機運が後退していると言われている今こそ、私は、『核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない』と、声を大にして、世界の人々に訴える」「わが国は、いかに細く、険しく、難しかろうとも、『核兵器のない世界』への道のりを歩んでいく」
しかし今年は、「広島、長崎の惨禍は、決して繰り返してはならない」としつつも、「わが国は、引き続き非核三原則を堅持しながら、唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けた努力をたゆまず続ける」と述べるにとどまった。「広島ビジョン」についても「核軍縮の進展に向けた国際社会の機運をいま一度高めることができた」と成果をうたったものの、核抑止論には踏み込まなかった。
広島の平和式典後、岸田首相と面会した被爆者団体からも、「広島ビジョン」について、「核抑止体制からの脱却の道筋が提示できていない」ことに批判の声が出た。にもかかわらず首相は、「厳しい安全保障環境の中で国民の安全を守り抜く責任と核兵器のない世界を作る責任がある」と述べ、従来の立場を繰り返した。
また、核抑止に依存する「現実」を核廃絶の「理想」に近づけるロードマップ(行程表)を示すのが政治の責任であると指摘。米国などが批准せず発効されていない包括的核実験禁止条約(CTBT)に触れて、「一 つ一つ課題を実行していくことが重要だ。現実的で実践的な取り組みを継続、強化していくことが求められている」と語った。
日本政府が核兵器禁止条約に参加しないことについて、岸田政権は「核保有国と非保有国」の橋渡し役を果たすためと説明する。しかし、岸田首相が日米首脳会談の場でこれらの問題を取り上げた形跡はない。これに関して首相側近は、「現実路線を優先せざるを得ないから」と正直に吐露する。「現実」と「理想」に距離はむしろ広がった形だ。
「体験談が抑止力」
一方で、鈴木長崎市長が平和宣言で核兵器の非人道性を訴えてきた被爆者の体験談こそが「78年間、核兵器を使わせなかった抑止力となってきた」との認識を示したことには注目したい。
鈴木市長は、被爆者の平均年齢が今年85歳に達したことを念頭に、「被爆者がいなくなる時代を迎えようとしている」と指摘。「被爆者の体験に耳を傾け、被爆の実相を知ることが核兵器のない世界への出発点だ」と述べ、「両親ともに被爆者である被爆2世だ。長崎を最後の被爆地にするため、私を含めた次の世代が被爆者の思いをしっかりと受け継ぎ、平和のバトンを未来につないでいく」と訴えた。
鈴木市長は、両親と祖父が被爆した被爆2世であることを「(4月の)市長就任から、さまざまな場面で被爆2世であることに触れてきた」と公言してきた。8月7日に放送された地元長崎放送(NBC)テレビの番組では「8月9日は私の母の誕生日でもある。母 の誕生日でありながら、母の誕生日を祝えない、そういう8月9日をずっと過ごしてきた」と率直に心境を語った。
数年たてば、被爆者の平均年齢は90歳代に達する。被爆2世である富山県被爆者協議会の小島貴雄会長(66)はこう話す。「被爆者から直接体験談を聞くことができる期間はそう長くはない。高齢になって、自身の体験を子孫に語り始める被爆者もいる。今後、『伝承者』としての被爆2世、3世の役割がより増していくということではないか」。
語り継ぐ意義
実は筆者の父も被爆2世だったこともあって、ここ数年、そんな思いを巡らせていた。1997年に他界した父からは生前、広島での被爆体験を聞いていたものの、あくまで体験者からの伝聞であるため積極的に発信してこなかった。しかし、今年6月に65歳となったのを機に、8月 8日に出演した民放ラジオ番組で、初めて父の体験談を話した。
核抑止論と「核なき世界」を同時に追求することは果たして可能なのか。そもそも、核抑止論は核保有を前提にした「平和」の維持だけに、軍拡につながりやすい。しかも、現実に日本国内でも、核抑止論に支えられた防衛力強化には根強い支持が存在する。
朝日新聞社と東京大学の谷口将紀研究室が2~4月に実施した共同調査によると、「日本の防衛力はもっと強化すべきだ」について「賛成」と答えた有権者は62%を占め、ロシアのウクライナ侵攻が始まった前年調査と同じく6割超だった。
一方で、共同通信が全国の被爆者を対象に実施した調査では、広島ビジョンについて、「どちらかといえば」を含めて「評価しない」は51.7%。これに対し、「評価する」も47.5%に上り事実上拮抗(きっこう)している。岸田政権は発足以来、「核廃絶」を唱えながら、核抑止論に軸足を置いているのはこうした世論の状況が背景にあるのだろう。
しかし、核の傘に依存する「日米同盟」の強化が一定の抑止力を約束するとしても、核廃絶とは明らかに逆行する。核抑止論を背景にした「好戦的な世論」が政府の軍拡を後押しする事態を避けるためにも、世論に被爆の被害を語り継ぐ意義はあるに違いない。核廃絶という理想に向け、伝承者としての被爆2世、3世の出番がやってきた。
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山田惠資(やまだ・けいすけ)時事通信社解説委員 1982年時事通信入社。政治部、ワシントン支局、整理部長、政治部長、仙台支社長、解説委員長を経て、2019年7月から現職。内外情勢調査会講師。