米メジャーリーグのポストシーズン枠をめぐる争いが加熱してきた。トレードで野手陣、投手陣ともに補強したエンゼルスも奮闘を続けている。しかし、エンゼルスは大谷翔平をトレードすべきだったという非難の声も根強い。今や野球界の「顔」となった大谷の去就は、米国でもメディアやファンの最大の関心事である。米新聞社でスポーツ記者の経験があり、メジャーリーグ情報を扱うYouTubeチャンネル「Sho-Time Talk」を運営する日本人ジャーナリストが、エンゼルスが大谷をトレードしなかった理由、今後の大谷の去就について解説する。(志村朋哉 在米ジャーナリスト)
話題を独占
前回のコラムで詳しく解説したが、大谷はアメリカでも名実ともに「世界最高の野球選手」としての地位を確立した。他スポーツに例えれば、サッカーのリオネル・メッシやバスケットボールのレブロン・ジェームズのような存在である。
今季の成績を見ても、打撃では強打者がそろうメジャーで文句なしのナンバーワン、投手としても上位10位に入るという異次元の活躍ぶりである。世界最強打者とエースの活躍を一人でこなしているのだ。(こちらも詳しい説明は前回のコラムを読んでいただきたい。)
MLB.comのマイク・ペトリエロ記者は、『大谷の2023年は野球史上最高のシーズンになるか?』という見出しの記事で、次のように書いている。(8月4日配信、米国時間、以下同様)
「ほとんどのメジャーリーグ選手が、この(今季の大谷)のようなシーズンを一度でも送るためにどんなことでもするだろう。彼はそれを3シーズン連続で、しかも誰もーベーブ・ルースでさえもーやったことのないやり方で達成しようとしている。これが史上最高のシーズンではないと主張するのは、そうであると主張するよりも、はるかに難しいだろう。それだけで十分な証拠だ。判決:健康でいられれば、史上最高のシーズンになるだろう」
そんな大谷の去就は、開幕前から米野球メディアの話題を独占し続けてきた。特に8月1日のトレード期限が近づくにつれて報道は過熱した。
『エンゼルスが大谷をトレードすべき理由』『エンゼルスは大谷トレードを検討中』『エンゼルスも乗り気になるかもしれないトレード提案』など、ビュー数をとれることもあってか、あらゆるスポーツ記者やコラムニストがこんな見出しでうわさや予想を記事にした。私もスポーツ好きの友人たちに会うたびに、「大谷はトレードされるのか?」と聞かれるほどだった。
そもそも、これだけ注目されたのは、「エンゼルスは大谷をトレードすべきだ」という意見が強かったからだ。
大谷は今シーズンを無事に終えれば、メジャーリーグでの在籍期間が6年となり、初めて他球団と契約できるようになる。いわゆるフリーエージェント(FA)権の取得だ。現地専門家の多くは、大谷がエンゼルスを離れると予想している。エンゼルスという球団やファンは好きだが、「それ以上に勝ちたいという気持ちの方が強い」と21年9月に発言したからだ。
大谷が他球団と契約した場合、エンゼルスはほぼ見返りなしで手放すことになる。
14年以来、ポストシーズンに進めていないエンゼルスは、今季もアメリカン・リーグ最後の1枠に入れるか微妙なところだ。それならば、即戦力が欲しい上位チームに大谷をトレードし、見返りに有望な若手選手を獲得して将来勝てるチームをつくった方が良い、と考える人は多かった。メジャーでは、ポストシーズン進出の望みがなくなったチームが、トレードを利用して再建するのは当たり前の戦略だ。
「やはり心配なのは、大谷がFA権を得てチームを去ってしまうことです」とオレンジ郡在住で40年以上、エンゼルスを応援しているジョーイ・ハーニーさんは言う。「既にチームと契約延長の話がまとまっていることを願っています。もし彼が去ってしまったら、見返りは何もありません。それは球団として大きなミスです」
「 翔平のことは大好きですが、それ以上にエンゼルスというチームを愛しています。彼をトレードしないことが最良の判断だったのか、それとも有望な若手選手を手に入れる方が良かったのか、それは時間が教えてくれることでしょう」
大谷残留が最優先
7月終盤には、他球団がエンゼルスにトレードを打診しているとのうわさが飛び交った。しかし、同26日には、エンゼルスが大谷をトレードしないことを決めたとスポーツ・イラストレーテッド誌が報じた。
しかも、数時間後、トレード市場で目玉の一人だったルーカス・ジオリト投手とレイナルド・ロペス投手を2人の若手有望株と引き換えにホワイトソックスから獲得したとエンゼルスが発表した。さらに4日後には、ロッキーズからC.J.クロン一塁手とランダル・グリチック外野手も獲得した。
本気でポストシーズン進出を狙うのだという覚悟をエンゼルスが示したのだ。
エンゼルスが大谷をトレードしなかった最大の理由は、何としても大谷を来季以降もチームに引き留めたいからだろう。
何度も言うが、大谷は名実ともに野球界のトップスターである。しかも、アスリートとしてピークを迎える29歳。これから数年間、勝てるチームをつくることだけを考えても、大谷以上の選手はいない。たとえ他球団から若手選手を獲得しても、彼らがメジャーで活躍してくれる保証はないが、大谷は毎年のようにMVP級の活躍が期待できるのだ。
加えて、大谷はビジネス面でも恩恵をもたらしてくれる。
今やエンゼル・スタジアムは、ロサンゼルスを訪れる日本人にとって人気観光スポットであり、現地在住の日本人にとっても集まりの場と化している。大谷が登板する日や、大谷グッズが無料配布される日には、球場に長蛇の列ができる。球場内はヤクルトやバンダイナムコ、コニカミノルタなど日系企業の広告であふれている。
グッズショップでも大谷関連の商品は飛ぶように売れる。ユニフォームの売り上げでは、ロナルド・アクーニャ・ジュニアに次いでメジャー全体で2位だ。
「(エンゼルスは)大谷でビジネスをしていて、オーナーから首脳陣からダグアウトに至るまで、それが変わることは誰も望んでいない」とニューヨーク・タイムズ紙のスコット・ミラー記者はつづる。(8月8日配信)
エンゼルスのアーティ・モレノ・オーナーとしては、野球界最大のスターを自ら手放したという「汚点」は残したくなかったに違いない。トレードしないと早々に決断し、即戦力を補強したことで、「本気で勝つつもり」だと大谷に行動で示した。「大谷を引き止めるために全力を尽くした」とファンへのアピールにもなった。
いったん大谷をトレードして、オフシーズンに再び契約するというシナリオもあったが、ひとたび手放してしまったら、契約するのはより難しくなるだろう。
「今季、ポストシーズン進出を諦めて大谷をトレードしてしまったら、本気で優勝を狙っているとは大谷に信じてもらえなくなります」とエンゼルスの地元紙オレンジ・カウンティ・レジスターで番記者を務めるジェフ・フレッチャーは語る。
それに、今のところエンゼルス以外の球団は大谷にとって未知の環境だが、トレードで他球団の雰囲気などを経験してしまえば、エンゼルスにとっては「勝手がわかっている」という有利な交渉材料を失うことになる。
「(大谷は)トレードしたいと思うような選手ではない。彼は特別なんだ」とエンゼルスのペリー・ミナシアンGMは述べた。
崖っぷちのエンゼルス
しかし、積極的補強も虚しく、エンゼルスのポストシーズン進出は厳しい状況だ。
8月8日終了時点で、57勝58敗、ア・リーグ西地区4位。ワイルドカード枠争いでは7ゲーム差をつけられている。皮肉なことに、大谷をトレードしないと決めた後には、今季最悪の7連敗を喫した。
野球データサイトFangraphsの算出では、7月27日には22.7%あったポストシーズン進出の可能性も1.8%まで下がってしまった。
シーズン全体で見れば、エンゼルスは得点数でメジャー30球団中6位と、攻撃力では申し分ない。ただし、失点数では23位と投手陣が苦しんでいる。
開幕前は五分五分と見られていたが、やはり度重なるけがの影響は出てきているだろう。現在は主砲のマイク・トラウト外野手とアンソニー・レンドン三塁手、期待の若手であるローガン・オホッピ捕手とサム・バックマン投手などを含め、メジャー最多の18選手が故障者リスト入りしている。
「今年こそはいける」と期待するたびにけがに見舞われるエンゼルスに、ファンの間では「呪われているのでは?」との声も上がっている。
残りのスケジュールを見ても、オリオールズ(ア・リーグ最高勝率)、レイズ(ア・リーグ勝率2位)、レンジャーズ(ア・リーグ勝率3位)、フィリーズ(ナ・リーグ勝率3位タイ、順位は8月8日時点)など、強敵との対戦が残っている。
スポーツメディアに『エンゼルスは大谷をトレードすべきだった』といった見出しが並ぶのも無理はない。
来季はどこでプレーするのか?
となると、日米のファンが気になるのは、大谷が来季どのチームでプレーするかだ。
こればかりは誰にも分からない。記者に聞かれても、シーズン中は先のことは考えない、「このチームでプレーオフに行きたい、そこで勝ちたいという気持ちは変わらない」とだけ大谷は答える。
それを前提とした上で、現地専門家の予想をまとめてみよう。
多くの人が有力な移籍先候補として挙げるのが、ドジャース、マリナーズ、ジャイアンツ、パドレス、メッツなど、戦力と潤沢な資金に恵まれた球団だ。大谷との契約は、北米プロスポーツの史上最高額を塗り替える総額5億ドル(約720億円)以上になると言われている。
気候が良くて日本に近い西海岸が有力と見られている。ファンやメディアも東海岸に比べて穏やかで寛容だ。
スポーツメディアThe Athleticが現役選手に行った匿名アンケートで、「大谷翔平は来季、どのチームでプレーしているか」という質問に対して、57.2%が「ドジャース」と回答している。(6月20日配信)
ドジャースは大谷争奪戦に備えて資金や戦力を調整していると言われている。ドジャースは、エンゼルスと同じ気候、地理的な条件に加え、戦力や人気面で大きく上回る。ナショナル・リーグが指名打者制を導入したことで、二刀流のやりやすさも変わらなくなった。
メジャーリーグとしても、ロサンゼルスというニューヨークに次ぐ大都市のど真ん中に居を構え、世間の注目が集まりやすいドジャースであれば、大谷というスーパースターを売り出しやすいだろう。
しかし、多くの記者がエンゼルスを候補として除外する中、最も近くで大谷を見てきた人々は、残留の可能性は十分にあると指摘する。
地元紙のフレッチャー記者は、大谷がエンゼルスに残る可能性は30%くらいだと予想する。勝手がわかっていて「居心地が良い」というのが理由だ。
調整にとてつもない労力と時間を要する二刀流を続ける大谷は、ルーティンを大事にする。エンゼルスは、そんな大谷が野球だけに集中できるよう可能な限りの環境を整えてきた。
メジャーでは先発投手5人を中4日で回すのが定番な中、大谷の負担を減らすため6人制を導入。メディア対応も、大谷だけは登板日に限定している。
他球団で、同じような条件で二刀流をやらせてもらえる保証はない。ロッカールームの雰囲気も入ってみなければ分からない。メディアやファンの圧力が強いニューヨークやボストンの球団だと、これまでと同じような取材規制を敷くのは難しくなるかもしれない。
慣れたエンゼルスであれば、そうしたリスクはない。大谷自身、エンゼルスという球団もファンも「大好き」だと語っている。
「勝ちたい」とは言っているが、それが全てだとも言っていない。「居心地の良さ」といった他の条件とのバランスも考慮するだろう。ちなみに、前述の選手へのアンケートでも、11.4%で2位に選ばれたのはエンゼルスだった。
カギになるのは、大谷が、「このチームなら、たとえ今季は無理でも来年以降もポストシーズンを狙える」と感じられるかどうかだろう。
エンゼルスのモレノ・オーナーは、若手を放出してまで今季にかける大ばくちを打った。オッズは悪いが、大谷の契約最終年にふさわしいドラマチックな展開だ。
「ここぞという時に何かやってくる」と我々に感じさせてくれる魅力が大谷にはある。二刀流の存続がかかっていた2021年やワールド・ベースボール・クラシックで証明してくれたように。
そんな大谷は、エンゼルスファンに映画のような大逆転劇を見せてくれるのだろうか。
志村朋哉 米カリフォルニア州を拠点に、英語と日本語の両方で記事を書くジャーナリスト。米新聞社の記者として5000人以上のアメリカ人にインタビューをしてきた経験とスキルをもとに、アメリカ人でも知らない「本当のアメリカ」を伝える。地方紙オレンジ・カウンティ・レジスターとデイリープレスで10年間働き、米報道賞も受賞した。大谷翔平のメジャーリーグ移籍後は、米メディアで唯一の大谷番記者も務めていた。メジャーリーグ情報を扱うYouTubeチャンネル「Sho-Time Talk」も運営している。著書『ルポ 大谷翔平』(朝日新書)