ドゴーン、バゴーン。富士山の裾野に重火砲の音がとどろく。陸上自衛隊最大の実弾射撃訓練「富士総合火力演習(総火演)」だ。戦車や戦闘ヘリ、榴弾(りゅうだん)砲などがそろい踏みし、無数の砲弾が飛び交う演習の観覧には例年、申し込みが殺到。だが、新型コロナ対策で2020年に中止された現場での一般公開は、今後も再開されないことに。65回目の演習となった23年5月、記者はインターネット中継されない夜間訓練も含めて取材した。(時事通信社会部 釜本寛之)※末尾に動画あり
1961年開始、自衛隊PRの側面も
総火演は1961年、陸自の幹部学校「陸自富士学校」(静岡県小山町)や防衛大(神奈川県横須賀市)の学生らに大規模火力戦闘を見学させる目的で始まった。複数回開催された年もある。一般公開は66年からで、当時は今よりも自衛隊への風当たりが強く、公開には、活動への理解を深めてもらう意味もあった。だが、2000年代に入ると、数千人分用意される抽選席がプラチナチケット化。直近の一般公開(19年)では一般公募5000席に約14万人が申し込み、倍率は約27倍に上った。
例年8月に実施されてきた総火演は、東京五輪などを考慮し、20年から5月開催に変更。一般公開は同年以降、新型コロナ対策で中止になり、代わりにネット中継が導入された。ただ、コロナ禍が収まれば再び一般公開し、観覧席の一部を有料化して陸自の収入につなげる案が検討されていた。
一般公開、「本業に専念」で復活せず
再開への流れを変えたのは、22年末の安全保障関連3文書の改定。文書に「反撃能力」(敵基地攻撃能力)の保有が明記され、防衛省内からも「防衛力の抜本的な強化が急がれる中、多くの人手が必要な総火演の一般公開は必要なのか」「本業に専念すべきだ」といった声が上がったのだ。以前より自衛隊への理解が進んだことや、ネット中継が好評だったことも踏まえ、公開取り止めが決まった。
実際、一般公開は隊員にとって大きな負担でもあったようだ。総火演の準備は、その年の演習が終わった直後に始まり、実施の数カ月前に、一般公開用の観覧スタンドの建設や柵の設置が開始される。初期には、駐車場も重機で造成して整備したという。仮設トイレの設置やゴミ処理などを自前で行っていた時期もあったそうだ。
当日は、多数の臨時バスが用意されるが、乗り切れず、徒歩で会場に向かう観客のため、看板を持った隊員が随所に立つ。陸自によると、公開中止で5000人以上の人手を削減できたといい、ある幹部は「楽しみにしてくれる声は重々承知だが、隊員に夏休みも取らせられないほど大変だった。公開中止は残念半分、ほっとした半分」と語る。
直前まで紆余(うよ)曲折、最終シナリオは「33版」
総火演は、自衛隊の防衛構想や主要火器を紹介する「前段」と、シナリオに基づいて部隊が作戦行動する「後段」の2部構成だ。
前段の肝は「安保情勢について、最新情報を盛り込みながら、いかに分かりやすく説明するか」。視覚的に見えない電磁波を使った構想や、宇宙での取り組み、安保3文書で示された「陸自の将来像」をどう伝えればよいのか、直前まで検討が重ねられた。
後段は、ここ数年、「離島防衛」をテーマに据えている。テーマは同じでも、シナリオは細かい見直しを重ねる。今年は、開催を翌月に控えた4月に沖縄・宮古島周辺でヘリが消息を絶った事故を受けて急きょ同型ヘリの参加を見合わせるなどし、最終的に完成したシナリオは「33版目」だったという。
1カ月野営、当日は 朝4時から準備
総火演に参加する部隊は約1カ月間、テントで野営しながら訓練を重ねる。2日前に本番と同じ流れで予行演習を行い、いよいよ当日を迎える。
当日の準備は、演習開始5時間前の午前4時に始まる。演習で使用する砲弾は約40トン(金額にして8億5千万円分)。実射できる状態にするだけでも相当の時間が必要だ。弾薬保管庫前には、早朝から受領待ちの行列ができ、あちこちで、重さ数十キロある砲弾や装薬の梱包(こんぽう)を解いて丁寧に並べる隊員の姿が見られた。
裏方も忙しい。正確な射撃のため、観測用気球を上げて風や湿度などのデータを収集するほか、万一の失敗に備え、砲弾の軌道を確認する弾着観測レーダーを展開する(ちなみに気球は海に落とすため環境に優しい素材でできており、陸上に落ちたときの備えとして、安全性の説明や自衛隊の連絡先が記してあるそうだ)といった具合だ。
いよいよ本番、響くごう音
開始時刻が近づくと、会場に十数台の散水車が現れた。水をまくのは、戦車などの土ぼこりで前が見えなくなるのを防ぐため。過去に、戦車がはね飛ばした砂利が観客席に飛び込んだことがあり、スタンド前は特に念入りに整地する。
午前9時すぎ、いよいよ総火演が始まった。大型画面を使った説明を挟みつつ、戦闘ヘリなどが続々と登場、富士山麓に設置された的に砲弾を撃ち込んでいく。携帯型ミサイルの風切り音や榴弾砲の発射音もすさまじかったが、一番身震いしたのは、戦車だ。砲塔から火柱が上がる度、空気の震えを感じた。
総火演は各国の軍も視察する。最新の装備や、砲弾を複数地点から時間差を付けて発射、1カ所に同時着弾させるような技術は、そのまま「抑止力」になる。この時間差射撃では、「弾着、今」のアナウンス通りのタイミングで砲弾が爆発した。だが、演習全体では、砲弾の不発や、狙撃で的の風船を外すなどの失敗も散見され、ある陸自幹部は「自分が参加した際も、予行で全弾命中だったのに、本番で当たらず厳しく叱られた。的を外した部隊も今夜は大反省会だろう」と苦笑した。
「突撃せよー」にどよめき 非公開の夜間演習
日がすっかり落ち、月明かりだけになった会場で夜間演習を取材した。ほんのわずかな光でも、演習の邪魔になる。直前にカメラを布で覆った。夜間演習は、陸自富士学校や防衛大の学生向け。ネット中継される昼間のような詳しい説明はなく、戦闘無線の音声が流れるだけだ。
暗視装置を使った射撃演習が始まった。「えい光弾」がレーザービームのような軌跡を残して飛び交ったと思ったら、暗闇から大砲が火を噴いた。発射地点に目を向けても砲火しか見えないが、暗視スコープを通すと、人も車両もくっきりと確認できた。上空に打ち上げた、目に見えない赤外線を発する「IR照明弾」の効果だという。
続いて、通常の照明弾を用いた演習が行われた。榴弾砲で打ち上げられた照明弾は、パラシュートを開いて落下するまでの約1分間、ろうそく60万本分の明かりを発する。無線の命令に従い、戦車がつるべ打ちに火を噴いた。「突撃せよー」と声が響くと、学生らからどよめきが上がった。
取材を終えて
防衛省担当になったとき、「総火演は一度は見ておかないと」と言われた。陸自幹部に一般公開が再開される可能性を聞いたところ、「安全保障情勢が落ち着き、国の方針が変わったら」と答えた。世の中が平和で、自衛隊にPRに目を向ける余裕ができたら、ということだろうか。世界の平和を願ってやまない。
◆◆総火演のネット公開◆◆
ユーチューブの陸自公式チャンネルで配信中。ドローンを駆使してさまざまな角度から撮影しているほか、ヘリや戦闘機のパイロットが身に付けたウェアラブルカメラでの二元中継もある。2023年の総火演当日は約2万人がライブ試聴し、動画再生回数は6月末時点で50万回以上。今後の取り組みとして、「現役隊員による副音声解説」や「弾着地点を間近で映すドローン中継」などが検討されている。