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「私がラグビーに燃えた頃」⑦ 立憲民主党・重徳和彦衆院議員

2023年09月22日15時00分

東大ラグビー部で極限の経験

 立憲民主党の重徳和彦衆院議員(52)は、東大の元ラガーマン。高校からラグビーを始め、大学ではもうやめようと思っていた。ところが先輩に誘われ、ラグビー部の練習を見ているうちに、再び血が騒いで入部。タックル重視で防御から攻撃に転じる「アタックル」で、慶応大を破る金星も挙げた。(時事通信解説委員・村田純一)

柔道の強さ見込まれて

 中学時代は野球部だった重徳氏だが、レギュラーにはなれず、挫折感を味わったという。愛知県立岡崎高に入学し、何か別のスポーツをやろうと考えていた時、同じ中学出身の高2の先輩からラグビー部に誘われた。

 その先輩はラグビー部に入りそうな新入生を探し、中学時代の体育の先生に相談。先生は「重徳がいいんじゃないか。柔道(の授業)では、自分より大きな男を投げ飛ばすし、足腰が強い」と推薦していたという。重徳氏は、「柔道が強いらしいじゃないか。そういう選手が欲しいんだ」などと勧誘された。

 「野球で挫折した後、そう言われてうれしくなってね、やる気になった(笑)。ラグビーは全然知らなかったけど、男らしくて格好いいスポーツだとは思っていました」。ポジションはスクラムハーフ(SH)になった。

 岡崎高は、重徳氏が1年生の時は2回戦負けという弱小チームだったが、3年生の時に愛知県大会ベスト4まで勝ち上がった。

 「2年生の時に新しい体育の先生が来て、鬼のような練習をして、1年間で強くなった。日体大出身の体育の先生で相当しごかれたけど、部員はやめませんでした。なぜ、やめなかったか?  やっぱり先生の『愛』でしょう。当時、20代後半で、素晴らしい先生でしたね。その先生が来てチームは急成長した。高校スポーツは本当に指導者次第だと思います」

「アタックル」の東大

 重徳氏は東大に現役で合格し、再びラグビー部に入った。「高校3年間、ラグビー部はきつかった。大学に入るとラグビーはもうやりたくない、女の子のいるテニスサークルに行こうかなとも思っていた。だけど、ある先輩から『まあ、いいから。見学だけおいで』と言われ、ラグビー部の見学について行った。そしたらね、血が騒ぐんだ。血が騒いでしまった。今でも覚えている。うわあ、やっぱりすごい、俺はラグビーだよなあ、と思ってしまった」

 当時の東大は「まあまあ強い大学だった」と重徳氏は言う。入部した1989年の2年前、東大は強豪の慶応大を倒している。その2年前の85年度のシーズン、慶大は日本選手権で社会人のトヨタ自動車を破って「日本一」となった。頂点を極めた2年後の慶大から、東大は勝利を収めたのである。

 重徳氏は入部前にその話を聞き、「そんなにすごいチームなのか」と思わずにはいられなかった。

 もっとも東大ラグビー部の選手は体も小さく、ラグビーの推薦入学で全国から有名選手が集まってくるわけでもない。難しい受験を突破して入学する必要がある。

 「東大ラグビー部は、ディフェンス重視。とにかくタックルだ。東大の先輩によると、スポーツは『心・技・体』が大事と言われるけれど、東大ラグビー部は『心・体・技』の順番だと(笑)。体をぶつけて、鍛えて、というのがわがチーム。タックルで相手をつぶして、ボールを取る。僕らのタックルは『アタックル』だと言っていた」

対抗戦で慶大に勝つ

 重徳氏が大学4年生になった1992年、東大は再び慶大を破った。38対29。当時の関東大学対抗戦グループには16大学のチームがあった。対戦相手は大学によって異なり、東大は毎年9大学(明治、早稲田、慶応、筑波、青山学院、立教、成城、成蹊、一橋)と対戦していた。

 東大は88年から3年間、4勝5敗が続き、明治から青山の上位5大学に勝てなかった。そして91年は全敗した。

 翌92年、東大は立教と成城に負け、明治、早稲田には100点以上取られて敗北。一橋と成蹊には勝って、最後の試合で慶大に勝ち、3勝6敗でシーズンを終えた。「だから『慶応に勝ちました』と大喜びで先輩に報告しても、『たまたま慶応に勝ったからといって威張るんじゃねえ』と言われた」(笑)

 ラグビーのどこが面白かったかと聞くと、こんな答えが返ってきた。

 「弱いチームでタックルの練習ばかりしていた。一般的にタックルは痛いと思われるけど、テンションが極限まで上がると痛みを感じない。キレると痛くないというか、痛みすら感じない。タックルを決めればむしろ快感。骨折しても気付かないぐらい。試合が終わった後には痛み始めるけど。そういう極限の快感を経験できた。試合前にハイになって、涙が出てくるなんてことは、後にも先にもないね」


 ラグビーで何を学んだか。

 「どんな苦痛も、どんなしんどいことも、あの時のことを考えたら大したことないな、と思えること。肉体的にも精神的にも、どんなことでも耐えられる。合宿の練習では極限までやったからね」

 ラグビー・ワールドカップでの日本代表については、「前々回の大会から日本代表のパス回しが恐ろしく速くなった」と感じている。「バックスの動きは世界レベルになったと思う。ラインは浅めで、ぎりぎりのところでパスを通す。あの軽快なパス回しがここ数年の日本代表の特長。僕はバックス出身だから、バックスに期待したい」

◇ ◇ ◇

重徳和彦(しげとく・かずひこ)氏 略歴
1970年、愛知県豊田市生まれ。東大法卒後、自治省(現総務省)入省。総務省課長補佐などを経て、2012年衆院選愛知12区に日本維新の会から出馬し、初当選。維新の党、民進党などを経て立憲民主党へ。現在4期目。同党中堅・若手の政策グループ「直諫(ちょっかん)の会」の会長を務める。

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