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「私がラグビーに燃えた頃」⑤ 武見敬三参院議員

2023年09月11日10時00分

 ラグビーの世界一を争うワールドカップ(W杯)が9月8日、フランスで開幕した。引き続き、かつてラガーマンだった政治家に、泥まみれになって楕円(だえん)球を追っていた頃の思い出や、ラグビーの面白さ、日本代表への期待を語ってもらった。(時事通信解説委員・村田純一)

筋金入りの慶応ラガーマン

 慶応義塾で小学校から大学までラグビーを続けた筋金入りのラガーマンが、自民党の参院議員・武見敬三氏(71)だ。高校時代はスクラムハーフとして全国大会出場、大学ではフォワードの左フランカーに転向し、3年からレギュラーとなったその活躍ぶりは華々しい。政治家になってからは日本へのW杯誘致を目指し、国会議員でつくる「国会ラグビークラブ」創設にも奔走。政治家同士の国際試合では予期せぬアクシデントにも遭った。

 「ラグビーを始めたのは小学5年から。慶応義塾幼稚舎にラグビー部があって、私はクラスの中でも運動がよくできる方で、学校で元気のいい子は皆ラグビー部に入っていた。それで自分もやってみようと思った」

高校時代は花園の全国大会にも出場

 中学3年の時には関東の中学リーグ戦で優勝。高校1年と3年の時に大阪・花園ラグビー場で行われる全国大会に出場した。高3の時は準決勝まで勝ち上がったが、9―6で長崎県の諫早農業高に敗れた。

 高校時代、最も思い出に残るシーンの拡大写真が、参院議員会館の事務所内に張ってあった。

 「花園での1回戦、大阪の浪商高校との試合。私が抜けて独走態勢に入った。ところが、ゴール直前に後ろから襟をつかまれて倒された。しかし、ボールは味方が拾ってくれ、トライして逆転勝ち。この試合で負けていたら、準決勝までは行けなかった」

 写真はちょうど、後ろから敵が追いつき、まさに襟をつかんでいるところだ。

 もう一枚の写真は味方のナンバー8を武見氏がフォローしている場面。右側に写っているのは、元慶応大ラグビー部監督の故上田昭夫氏だ。武見氏の一つ下で、武見氏がスクラムハーフ、上田氏がスタンドオフでコンビを組んでいたという。

 当時、慶応高は武見氏が1年生の時に全国大会に16回連続出場を果たしていたという強豪高。2年の時に連続出場は途絶えたものの、3年になってまた花園に出場した。

 慶応大に入ると、フォワードの左フランカーに代わった。フランカーの重要なスキルはタックルだ。スクラムサイドや、バックスラインで内側に切れ込んで来る敵を一発で止める必要がある。武見氏はそのディフェンス力を買われ、3年からレギュラー選手の座をつかんだ。

 「慶応はとにかくスクラムの練習をめちゃくちゃやらせる。徹底的にタックルを仕込む。とにかく、スクラムサイドを守るのが私の役割。敵のバックスラインにボールが回った時、ボールを持った相手が内側に入ってきたら、倒すのが私の役割。だいたい第2センターぐらいまでは、内側に来たら私がタックルしていたよ」

 元日本ラグビー協会会長の―森重隆氏(福岡高―明治大―新日鉄釜石)は同期のライバルであり親友だ。

 「森重隆君との最初の出会いは高校1年生で、花園の全国大会1回戦で福岡高と対戦し、慶応高が負けた時。その後、高3の時に出場した長崎国体で、秋田工業高との試合前にトイレに行ったら森君もトイレにいて、そこで話をして仲良くなった」

 森氏ともう一人の福岡高ウイングの選手が明大入試のため上京した際、武見氏は東京の自宅に2人を泊める仲になっていた。



W杯誘致に駆け回る

 武見氏は日本でのラグビーW杯誘致に向け、元首相の森喜朗氏とともに駆け回った。国会議員によるラグビーチームづくりにも動いたが、最初は15人そろわなかったので、官僚らのラグビー経験者にも手伝ってもらったそうだ。

 2003年、国会議員チームをつくって初めての海外遠征で英国入りし、海外の国会議員チームとラグビーのエキシビションマッチに出場した。相手は南アフリカチーム。武見氏は「1回やりたかった」というスタンドオフのポジションについた。

 ところが、キックオフ5分後に左足のアキレス腱を切ってしまった。

 「運動していなかったからね。その頃はまだ体は(同年代の人より)動いた方だ。だけど、筋力やアキレス腱は、昔の感覚で体を動かそうとしても、それを許容しなかった。担架で運ばれ、救急車で野戦病院みたいなところに連れていかれた。その後はしばし車いすだった」

 W杯日本大会は2019年に実現した。そこに至るまでの武見氏の貢献や功績は決して小さくないだろう。



魅力は激しさと知力の一体化

 改めて、ラグビーの面白さを尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 「激しさと、知力が一体化しているところだな。知力がないと絶対に勝てないし、激しさがなくては勝てない。慶応大の試合中は僕ら冷静だった。周りはワーワーキャーキャー言っていたけど、実際、秩父宮や国立でゲームをしている時、僕らは冷静でね。不思議な経験だった。格闘技でもあるけど、野蛮な強さだけでは試合に勝てない」

 W杯での日本代表への期待は?

 「『頑張れ』としか言いようがない。ベスト8まで行けば上出来じゃないか。予選で当たるチームも皆強いからね。アルゼンチン、イングランドは本当に強い。けっこうハードルは高い。前回も、勝ち上がるたびに国民の関心が高まるのは手に取るように分かった。今回のバスケットボールのW杯もそうだ。結局、勝たなければだめ。国民の皆さんが勝つことに酔いしれる。勇気をもらい、気持ちの上で一体化して元気になる。少子高齢化で日本は元気がないとみられているが、日本はむしろ、成熟した別の意味での新しい活力を身につけることを目指している。国威発揚と言うと古過ぎるかもしれないけれど、そういう国づくりのためにも、ラグビーやスポーツでの頑張りは大変大事なことだと思う」

◇ ◇ ◇

武見敬三(たけみ・けいぞう)氏 略歴
1951年、東京都生まれ。慶応義塾大学院修了。ニュースキャスター、東海大教授を経て、95年参院選で初当選し、現在5期目。厚生労働副大臣、参院自民党政審会長などを歴任。父は元日本医師会会長の武見太郎氏。自民党麻生派に所属する。9月13日、厚生労働相に就任。

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