トライは人にさせようという気持ちも必要
北九州市にある少年ラグビーのクラブチームに入って以降、高校まで猛練習に明け暮れたのは、自民党の武田良太元総務相(55)。超党派の国会議員でつくる「国会ラグビークラブ」では幹事長を務める。右耳はラグビープレーヤーの勲章でもある「ギョウザ耳」。そんな武田氏に、ラグビーに熱中した時代の思い出話を聞いた。(時事通信解説委員・村田純一)
◇少年ラグビーで豪州遠征
「私の父が早稲田大の柔道部OBで、同世代のOBが北九州市で少年ラグビーチームをつくっていて。その関係もあって、小学2年生ぐらいからラグビーを始めたんです」
福岡県内だけでなく、大分県、広島県にも遠征して、少年ラグビークラブの交流試合を行っていたという。
ポジションはずっとバックスのセンターで、背番号は12。
中学1年生の時に、クラブチームの選抜で代表に選ばれ、オーストラリアのクイーンズランド州ブリスベンに遠征したこともある。その時はスクラムハーフだった。
「写真があるよ」と、武田氏がスマホに収めてある当時の写真を見せてくれた。
「3戦して3勝。けっこう強かったね」。2週間ほどホームステイをさせてもらい、オーストラリアではラグビーの施設や環境が充実していることに驚かされたという。グラウンドは芝生で、ナイター設備もあった。「日本とはえらい違いですよ」
オーストラリアの少年と戦った印象は?
「外国人の大きさだけでなく、骨の硬さにも驚いた。細い足に見えるけれど、骨は太いんだろうね」。直接体をぶつけ合った者だけが知る感覚だ。
小中学生が中心のクラブチームだったが、練習は厳しかったという。
「合宿があって、福岡県の航空自衛隊(芦屋基地=遠賀郡芦屋町)のグラウンドを借りて、1週間ぐらいラグビー漬け。小中学生にとっては考えられないような厳しい合宿だった」
「一番苦しかったのはオーストラリア遠征前の強化合宿。スクラムハーフを初めてやるときで、『特練』があった。早稲田OBスクラムハーフ経験者がつきっきり。ダイビングパスの練習で肋骨を折ってしまってね。まだ受け身ができなかったんだ」
夏合宿では、練習中はなかなか水を飲ませてもらえないものだ。もちろん、休憩時間には水が入るが、太陽が照りつける中で延々と続く練習のつらさと、喉の渇きは、体験した者にしか分からない。
「合宿で休憩する時は、大きなポリバケツに入った水をひしゃくで飲んでいた。麦茶の時もあったけれど、たまに氷が入ったカルピスがあって、これはうまかったね」
「ボールは今のようなゴムのボールじゃなくて、セプターの皮のボール。唾と軍手でボールの皮を磨く時代だった。ジャージーも全天候型のピタッとしたものじゃなくて、綿のごつい生地。スパイクはスズキのブルーソール。雨が降ったら、ボールは水を吸って、グラウンドはドロドロのぐちゃぐちゃ。そんな状態の中で太いタイヤを押しながら、グラウンドを行ったり来たりして。タックルマシンの中身はウレタン(衝撃を吸収する素材)じゃない。砂だ。砂と布。真ん中に竹も入っていた。だから(タックルマシンにぶつかる練習で)耳がつぶれるわけだよ。実際のタックルでも、相手の膝や腰が、ガツンと来るからね。子どもの頃はきつかった」
◇14人が縁の下の力持ちになる
ラグビーを経験して何を学んだかを問うと、武田氏はこう答えた。
「やっぱりチームワークは大事だということだな。政治とラグビーの共通点は、個人プレーだけでは何も生まれないことがあるということ。トライは人にさせてやろうという気持ちがないとね。14人が縁の下の力持ちにならないと点は入らない。1人のトライを生むために、14人がいかに犠牲になるかだ」
ラグビー・ワールドカップ(W杯)で日本代表に期待することは?
「過去、日本は一つの日本のラグビースタイルを確立したけれど、そのスタイルのままで外国と試合をすると、こてんぱんに負けた。しかし30数年ぐらい前から実業団に海外の選手を入れ、大学や高校も外国人選手を入れるようになった。ニュージーランド、イングランド、フィジーなど、子どもの頃からラグビーボールに慣れ親しんだ民族のDNAを日本に入れた。それでがらっと日本のラグビーは変わったと思う」
◇日本のチームは国際規格に入ってきた
「野球の大谷翔平、バスケットの八村塁や、ラグビーの選手にも言えることだけれど、日本のスポーツ選手のフィジカルは全然昔と違っている。体も大きくなったし、力対力で対抗できるようになった。僕らのヒーローだった森重隆さん(元日本ラグビー協会会長)だって、あの小さな体でラグビーのセンターを務めたなんて、今では信じられない。そういう意味では、日本のチームは国際規格に入ってきた。あとは精神面を加味すれば、十分やっていけると思う」
「日本は(2015年W杯の)南アフリカ戦で、あとワンプレーで時間切れという中で、ゴール前、よくノックオンもしないで逆転した。他の国には真似できない精神力だ。客観的に見て、外国人は劣勢になると諦めるのが早い。最後まで諦めないというのは日本代表の大きな強みだと思う」
インタビューの終わり間際、「ラグビーの一番いいところは何だと思うか」と聞いた。
「やっぱり、死ぬほどきついことでしょう」と冗談めかして答えた武田氏。続けてこう語った。
「何か、ラグビーのチームというのは独特な雰囲気がある。バカっぽいところがあると言うのかなあ。ラグビーをやっている者にしか分からない雰囲気だ。独特なチームワークができる。何なのかねえ。体を痛めつけて、傷だらけで…。やっぱり戦闘集団なんだろうね。戦闘意欲というのが他のスポーツと違うんだろう。スポーツを超えた部分があるんじゃないかな」
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武田良太(たけだ・りょうた)氏 略歴
1968年、福岡県田川郡赤池町(現福智町)生まれ。早大院修了。衆院秘書を経て、2003年の衆院福岡11区に無所属で出馬し、初当選。以降、7期連続当選。自民党入り後、防衛副大臣、防災担当相、総務相などを歴任。党二階派の事務総長で、国会ラグビークラブでは幹事長を務める。