歌舞伎座の東側の通りに面した雑居ビルの2階にある木挽(こびき)堂書店は全国でも珍しい歌舞伎専門の古書店だ。7坪ほどの縦に細長い店内には、研究書や役者の芸談集、江戸時代からの筋書(すじがき=公演プログラム)、錦絵、ブロマイドなどがうずたかく積み上げられ、もはや通路はあってないようなもの。奥には、額装した押隈(おしぐま=歌舞伎俳優の隈取りを絹布や紙に当てて写しとったもの)や掛け軸などもあり、歌舞伎座の幕あいには芝居談義にお客が訪れる。漫画少年だった店主の小林順一さん(56)は、スーパー歌舞伎を生んだ三代目市川猿之助(現市川猿翁)の舞台を見て歌舞伎に魅了された。ファンとも研究者とも違う温かい目線で歌舞伎の行方を見守り続ける。
ユニークな歌舞伎専門古書店
東京・神保町の東京古書会館で毎週金曜日に催される古書市「明治古典会」の会場には、近代文学の初版本や作家の肉筆原稿、浮世絵などが出品され、目利きの古書店主が集まる。小林さんに同行させてもらうと、歌舞伎の世界が違う角度から見えてきた。
この日、小林さんの目に留まったのは、古いアルバムが何冊も入った三つの段ボール箱。アルバムを開くと、十一代目市川團十郎、十七代目中村勘三郎、八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)、六代目中村歌右衛門ら往年の名優の舞台写真などがきれいに貼られて整理されていた。「かなり大事にしていたんですね。ただのコレクターじゃなく、資料的に残していたのかもしれませんね」。名前も顔も分からない元の持ち主の歌舞伎遍歴がアルバムから垣間見える。
小林さんは会場を回って、めぼしい品に札を入れて開札を待つ。落札品は店で売るほか、博物館や図書館などにも販売する。「新発見のものだと博物館が買ってくれる。そういうものが年に何回か出ます」。ただ、最近は各施設側の予算削減のあおりで売りにくくなっているという。演劇関係の本を扱う古書店は全国にあるものの、歌舞伎に特化した店となると数えるほどだ。「マーケットが小さいんですよ。たまに手を出す人が現れても、しばらくすると、売れないのか、手を引いちゃう」
その背景には世の中の読書離れや通販サイトの広がりの影響もある。「アマゾンになかったから、うちの店を見つけたという人もいます。(中村)勘三郎が亡くなった時、若いお客さんが来て本棚を見て、アマゾンで1万円で買った同じ本に500円と値段が付いていると、がっくりしていました」
歌舞伎との出合い
小学生の時から手塚治虫、水島新司、藤子不二雄らの作品を愛読していた小林さんが歌舞伎に出合ったのは、高校を卒業したばかりの1985年4月。三代目猿之助が明治座で通し上演していた『義経千本桜』の招待券が手に入り、『すし屋』から『川連法眼館(かわつらほうげんやかた)』までの物語の後半を見た。
『川連法眼館』は、義経が静御前に託した鼓を追ってきた狐(狐忠信)が活躍するファンタジー。猿之助は幕切れに宙乗りを取り入れた演出で人気を集めた。「初めて見る人間にも面白かった。(狐忠信が)今ここで消えたと思ったら、こっちから出てくる。『このおじさん、体が動くな』と思いました」
同じ月の歌舞伎座では十二代目市川團十郎の襲名披露が行われていたが、「歌舞伎座の存在を知らなかった」と苦笑する小林さん。翌年、スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』の初演を新橋演舞場に見に行った時も、すぐ近くの歌舞伎座に気付かないまま劇場へ。「3階席でしたが、すごい熱気で、何かすごいことが起こっていると感じました」
サラリーマンから古書店の主に
木挽堂書店は、かつて銀座3丁目にあった「奥村書店」を引き継ぐ形で2007年に開業した。
大学時代は映画サークルで活動し、歌舞伎好きの仲間と劇場にも足を運んだ小林さんは、東京で歌舞伎を見続けるために転勤のない銀座の印刷会社に就職。その通勤の道すがら見つけたのが、歌舞伎や新派などの本を扱う古書店として全国に知られていた奥村書店だった。専門誌『演劇界』のバックナンバーや、三代目猿之助の当たり役の一つである舞踊劇『黒塚』の押隈をボーナス払いで買ったりするうちに店主と顔なじみになった。
店主が後継者を探していることを新聞記事で知った小林さんは、「私でどうですか」と手を挙げる。古書店は漫画本を探し歩いた少年時代からの憧れだったのだ。「小さい頃の夢がかなうかもしれない」。会社を辞め、思い切って転職。古書市での仕入れや値付けを学び、奥村書店の閉店を機に独立した。
役者たちの素顔にも触れる
奥村書店時代から店には歌舞伎俳優も訪れ、出演する芝居に関する本や先輩役者の芸談書を買っていった。衣装の担当者や俳優の付き人が「〇〇が載っている『演芸画報』(かつて刊行されていた歌舞伎雑誌)はありませんか」と探しに来ると、先々予定されている演目が分かることもあったという。
市川團十郎白猿も新之助を名乗っていた時代によく来店したそうだ。雑誌の写真をただ眺めて、「失礼します」と言って帰ったこともあれば、演劇評論家の戸板康二がさん代々の團十郎と同家の芸について記した『歌舞伎十八番』を買って行ったこともあった。
21歳の新之助が『勧進帳』の弁慶を初めて勤めた時に重圧から初日を前に家出をしたことが、テレビのドキュメンタリー番組で放送されたことがあった。ファンは驚いたが、小林さんは「分からないではない」と思ったという。破天荒なイメージとは裏腹に、「彼は、本当は繊細でおとなしい子だと思っていたから」。2004年に市川海老蔵を襲名してからは付き人と来るようになった。「一歩外に出ると、『海老蔵』でいないといけない。一人になることがないんだなと思いました」
『演劇界』の休刊と『劇評』の創刊
2022年1月、専門誌『演劇界』が休刊することが発表され、歌舞伎ファンや関係者に衝撃が走った。同誌は、1907年創刊の『演芸画報』を引き継ぎ43年に創刊され、長年にわたって舞台写真や劇評などで歌舞伎公演を記録してきたからだ。
松本幸四郎さんも休刊を惜しむ一人だ。「古典を勤める時、復活狂言をする時に頼りにしていました。今年3月の『花の御所始末(はなのごしょしまつ)』(歌舞伎座)や4月の『絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)』(明治座)は、過去の『演劇界』がなければできませんでした。時には役者さんの挿し絵を楽しんだり、趣味に驚いたり。『演劇界』と共に歌舞伎は生き続けてきました」として復刊を待ち望んでいる。
同誌の編集長だった大木夏子さんは「今の歌舞伎をまとまった形で後世に伝える役割があった。一人の歌舞伎ファンとして、10年後、20年後のファンと共有したい」として復刊への道を模索している。
一方、木挽堂書店の小林さんは歌舞伎公演の記録を文字の形で残していくため、知り合いの評論家らに呼び掛けて、『劇評』という名の小冊子を昨年4月に創刊した。発行部数は500部。創刊号の巻頭には、「あくまで次の新たな『演劇界』ができるまでの『つなぎ』」と書いたが、同じ舞台について複数の評者の原稿を並べるなど内容も充実させてきた。「『いつまでやるんですか』と聞かれますが、『知りません』としか言えません」とほほ笑む小林さん。古書店経営と編集作業の「二足のわらじ」はしばらく続きそうだ。
(時事通信編集委員 中村正子、カメラ・入江明廣 2023年7月29日掲載)
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