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「不自由展」での経験を糧に◆世界演劇祭の芸術監督、相馬千秋さんに聞く【news深掘り】

2023年07月07日18時30分

 2023年の「世界演劇祭( THEATER DER WELT)」のプログラムディレクター(芸術監督)を日本のアートプロデューサーが務めている。大役を担う上で、 従軍慰安婦を象徴する少女像や昭和天皇の肖像を燃やす映像などで物議を醸した「表現の不自由展・その後」での経験が生きたという。国際的に知名度の高い演劇祭で、非西欧出身者で初の芸術監督となった相馬千秋さんに、演劇祭の舞台裏や日独の検閲の違いなどを聞いた。(時事通信ベルリン支局 山本拓也)

 【news深掘り】

ドイツにおける「表現の不自由」

 ―演劇祭では「世界の複数性」を強調しています。

 
そもそも「世界演劇祭」という名称は、西欧の外から来た私たちのような人間にとっては、すごく違和感があります。「世界」という言葉は、西洋、あるいは男性のように、どこか一つの中心から全体像を把握するような概念だと思います。

 採用はされませんでしたが、主催者側には、名称に使われている「Welt(ドイツ語で『世界』の意)」を複数形の「Welten」にしたいという話をしました。私としては、視点はたくさんあり、いろんな世界が、それぞれが閉じた形ではなく、すべてグラデーションになっていると考えています。物事を男性と女性、人間と動物、南と北のように二元的にとらえてしまいがちですが、そうではなく、重なり合っているような世界観を示したいと考えました。

 ー運営面で日独に違いはありますか。

 
これまで、「フェスティバル/トーキョー」や「あいちトリエンナーレ」、「シアターコモンズ」など、いろいろな芸術祭にかかわってきました。いつもやっていることをドイツでも、という形ですが、働き方や組織の在り方はちょっと違いました。

 表現の自由に関しては、日本とは全く違う部分で引っ掛かります。「反ユダヤ主義」にちょっとでも触れる、嫌疑が掛かりうるものは、すべて排除されます。アーティストが意図していなくても、「炎上すると問題になるから事前に全部チェックしましょう」という流れです。

 ー「世界の複数性」を、どのように示していますか。

 
例えば、人間ではない視点。開幕で演じられる市原佐都子さん作・演出の「バッコスの信女ーホルスタインの雌」にはコーラス隊が出てきますが、全員「ホルスタインの雌の霊魂」という設定です。人間中心、あるいは父権社会の中で、排除されたり、周縁化されたりしてきた、声を発せられなかった者たちを表しています。

 シンガポール出身のホー・ツーニェンさんの「百鬼夜行」に出てくるのは「妖怪」です。妖怪の中には、日本人の自然に対する畏怖の念が織り込まれていますが、妖怪が大行進するアニメの中に、かつての世界大戦以降、見えなくなってしまった、というよりは、自分たちで見えなくしたスパイや旧日本軍の存在を混ぜています。

コンセプトは「インキュべーショニズム(ふ化主義)」

 ー「インキュベーショニズム」というコンセプトを掲げています。

 
インキュベーションという言葉は、卵のふ化やウイルスの潜伏などの意味で使われます。新型コロナでは、全地球が、パンデミック(世界的大流行)がいつ終わるのか分からない状態を経験しました。今までは、「きのうがあったらきょうがある、きょうがあれば、あすがある」と思われてきました。ですが、どうやらそれは、生産性とか、進歩などと言われるような価値観での考え方にすぎなかった。コロナ禍で「何もなかったら、時間はただ繰り返されていくだけなんだ」ということを思い知ったわけです。

 この「宙づりの時間」を、単に非生産的で、つまらない時間だととらえるのではなく、どのようにクリエーティブにとらえ直すかを考えました。イギリスの詩人ジョン・キーツは、「不確定性の中で生きる時、人はある種のクリエーティビティーを発揮する」ということを「ネガティブ・ケイパビリティ」と呼びましたが、これに近い考え方です。

 宙づりの時間を示す上で、演劇祭では、夢の中にいるような体験や瞑想(めいそう)的な体験、接触・触覚的な体験を扱っています。ウズベキスタン出身のイスマイロヴァさんの作品は、最初から最後まで30分くらい女性が寝ているだけですが、そこには神話的な物語があり、幽体離脱したような、夢を見ているような状態に誘われていきます。百瀬文さんの「鍼を打つ」では、お客さんに実際に鍼(はり)を打ってもらいます。血の巡りが変わり、体が劇場みたいな状態になります。

 ーコロナ後の世界で、インキュべーショニズムはどのような意味を持ちますか。

 
不確定性の中でどう生きるか、という問題は重要なテーマであり続けると思います。ただ、堅固なものを信じたい人には、なかなか理解しがたい。「世界を複数にするべきだ」という話をした時、一部から「世界は一つだよ。複数になるということは、分断を認めることになるよ」という声を聞きました。わたしは「全部を統合できる」と考えることに問題があると思いますが、考え方が違う。自分たちがつくってきたルールを、それ以外の人が変えることに拒絶があるのだと思います。

アートにしかできないこと

 ー「表現の不自由展・その後」は物議を醸しました。

 
天皇制と慰安婦というテーマがこんなにもアンタッチャブルなんだとびっくりしました。いろんなことが活性化、可視化され、「よくこんなにパンドラの箱が開いたな」と思いました。仕事は3倍以上に増えましたが、とても鍛えられました。あの経験があったから、今があります。(ドイツでも)「その国、その地域における固有のボーダーというものがある」ということを理解できました。

 ー価値観の不一致や相いれなさも、「世界の複数性」の一部。

 
そう思います。(「不自由展」に対して)抗議の電話をかける人たちは、どういう人たちなのかと考えた時、彼らもまた、日本国民であり、社会の一員であり、わたしと完全に切り離されたものではありません。外部ではなくて、社会の中に常にあります。

 自分と異なるものを排除することなしに、どうやって世界の複数性を語れるのか、ということに、すごく興味があります。敵と味方に分けるのは簡単です。それはまさに政治ですね。でも、わたしたちは分けられない。友でもあるし、敵でもあるというようなグレーの状態にとどまり続けるのが、いまアートが取るべき態度ではないかと思います。

 現実にウクライナで人が亡くなっている時に、そんなあいまいなことでいいのか、という批判もあります。それは、東日本大震災の時に「アートには何もできない」と言われたことに通じていますが、具体的な目の前の問題を解決することであれば、アート以外でもできます。アートにしかできないことは、より複雑化して提示するということ。今の映画界には、あえて加害の側を描くといった流れがありますね。単純に被害者の側から正義を語るのではなく、そこで語られてこなかった物語をすくい上げていく。それがアートの力だと思います。

相馬千秋(そうま・ちあき) 1975年生まれ、盛岡市出身。アートプロデューサー。演劇や現代芸術などの選定、企画を専門とし、現在は東京芸大大学院美術研究科准教授、NPO法人芸術公社代表理事を務める。

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