会員限定記事会員限定記事

陸上金メダル候補がパリ五輪を考えられない現実 ウクライナのマフチフ「一日ずつしか生きられない」

2023年07月13日11時00分

 ウクライナ東部の故郷ドニプロから西へ約2100キロ。ベルギー北東部の静かな田舎町にある陸上競技場で、彼女は練習していた。陸上女子走り高跳びで世界選手権2大会連続銀メダルのヤロスラワ・マフチフ(21)=ウクライナ=。「自然がたくさんあって、いい場所なの。施設も充実している」。母国の仲間やコーチと共に笑顔を見せながら汗を流す様子を見た時、どこかほっとした。だが、すぐに現実に引き戻された。
 「競技場は自分らしく、楽しく笑顔でいられる場所。でも…もちろん家族と電話をしたり、ウクライナで起きたニュースを見たりする時は硬い表情になる」。一瞬にして笑顔は消え、深刻な顔つきに変わった。心の中に常に大きな不安を抱いていることが感じ取れた。開幕まで1年余りとなったパリ五輪の金メダル候補は、どんな思いを抱えて競技しているのか。ロシアによるウクライナ侵攻開始から7月8日で500日となるのを前に、胸中を聞いた。(時事通信ロンドン特派員 青木貴紀)

悽惨な状況伝えるために

 ―ロシアの侵攻が続いている。どんな心境で過ごしているか。
 自国で戦争が起きている時に競技をするのはもちろん複雑。私には1年以上の経験があり、今に始まったことじゃない。でも、つい最近も民家が砲撃され、避難している人が銃撃されたニュースを読んだ。恐ろしい。私たちは精神的に強い国民であり、独立と自由を愛し、戦い続ける。いつかはロシアが全てを償う日が来ると信じている。そして多くの命が戻ってこないことを忘れない。

 ―家族は今もウクライナで暮らしているのか。
 家族はみんなウクライナのドニプロにいる。姉は以前は私と一緒にドイツやスペインにいたけど、夫や故郷が恋しくなり、5月ごろに戻った。先日も両親の家から徒歩10分の病院が砲撃された。家族とは毎日連絡を取り合っている。

 ―昨年2月24日に侵攻が始まった時の状況は。
 ドニプロの自宅にいた。未明に爆発音で目を覚ました。午前4時半か5時ごろだったと思う。戦争が始まったと思った。取り乱したまま父に「大丈夫?」と電話をかけた。車で20分ほど離れたコーチの自宅に避難した。その1、2カ月前は私たちを含めて多くの人が本当に戦争が起こるとは思っていなかった。

 ―侵攻が始まった直後の昨年3月に行われた世界室内選手権で、2メートル02をマークして優勝した。
 車で3日間かけて、開催地のベオグラードへ移動した。3日ほど室内施設で練習させてもらえた。私にとっては特別な大会で、どうしても金メダルを取りたかった。金メダルを取ればもっと注目されて、記者の方にこの凄惨(せいさん)な状況を伝えられる機会を持てると思ったから。

家族や友人と離れ離れ

 ―侵攻により多くの困難に直面している。
 最もつらいのは家族や友人とずっと離れていること。私にとっては長い期間だ。1、2カ月の合宿であれば、ウクライナの自宅に戻って回復する期間があるけど、今はそれがない。シーズンオフの冬には2週間ほど帰りたいと思っている。

 ―国際オリンピック委員会(IOC)は3月、ロシアとベラルーシの選手の国際大会復帰を、「中立」の立場などの条件付きで認めるよう国際競技団体などに勧告した。
 ひどい決定。彼らはテロリストの国にいて、多くが戦争を支持している。柔道の世界選手権では多くの選手がロシア軍と関わりがあったのに出場した。それにより、ウクライナ選手団は不参加となった。もっと話し合うべきだ。私たちは全てのスポーツで戦い続けるべきだと思う。

 ―ウクライナ政府はロシア勢が参加する国際大会に自国選手を出場させない方針を示している。
 本当にいろんな選択肢があると思う。私たちの強さを示すために競技する一方で、どうやって「殺人者」と競うのかという側面もある。ロシアの攻撃によってウクライナの選手は自国で練習する場を失った。多くの施設が破壊され、非常に困難な状況にある。

青と黄色のメークをして

 ―世界選手権では2大会連続で銀メダルを獲得している。今年8月の世界選手権での目標は。
 もちろんいい結果を出したい。父には銀メダルばかり取っていないで、金メダルをと言われた。うまくいくことを願っている。

 ―来年にはパリ五輪が控えている。
 今は五輪のことは考えていない。私たちは一日ずつしか生きられないし、明日何が起こるか分からない。東京五輪から3年しか時間がない。もちろん東京大会(の銅メダル)よりも良い結果を見せたい。あと1年成長して、良い形を探さなければならない。

 ―競技を通じて母国にどんな姿を届けたいか。
 ポジティブなことだけ。私はウクライナ代表。母国の人々に幸せな時間を与えたい。ウクライナ出身であることをアピールするために、国旗と同じ青と黄色のメークをして大会に臨んでいる。

 ―どのように気持ちをコントロールして練習や大会に臨んでいるのか。
 コーチは心理学に精通している。11歳ごろから一緒に取り組んでいて、私も精神的に強くなった。陸上は私の情熱であり仕事だから、やめることはできない。疲弊する時もあるけど、ウクライナの全ての人が国を守るために活動をしている。トラックでジャンプする時は、競技のことだけに集中している。

 ―今、一番伝えたい思いは。
 一刻も早く戦争が終わることを願っている。当初、戦争は1、2カ月で終わるだろうと思っていたのに…。でも、ウクライナの人々はみんな夢や希望を持っている。各国の支援にとても感謝している。終戦はウクライナだけでなく、世界の人々にとって大きな夢だと思う。

◆スポーツストーリーズ 記事一覧

話題のニュース

会員限定



ページの先頭へ
時事通信の商品・サービス ラインナップ