「息子は小2まで特別支援学級に在籍しましたが、いつも午前中に『大変だから迎えにきてほしい』と先生から電話が来るので、学校の近くのカフェで待機していました。電話がかかると慌ててお店を飛び出す様子を見ていた店長から、ある日そっと割引カードを渡されたほどです」
複数の発達障害=注意欠陥・多動性障害(ADHD)、アスペルガー症候群(ASD)傾向、学習障害(LD)=の特性がある西川幹之佑さんの母・裕子さんは、子育ての思い出をこう振り返る。かつては泣きくれたこともあった裕子さんだが、今は笑顔で、口調も明るい。
周囲から「できないことだらけ」と問題児扱いされていた息子の幹之佑さんは現在、大学3年生。1人暮らしを始め、生まれて初めて友人もできて、授業も面白く、「人生で一番充実した時間を過ごせている」という。
そんな西川さん親子が、自分たちの体験をつづった著書『発達障がいのわが子が笑顔で自律する育て方 特性とともにしあわせになる55のヒント』(時事通信社)を出版した。二人は本書を通じて、同じような境遇にある親子へ「周りと比べず、独りで悩まないでほしい」「当事者を定型にはめようとするのではなく、環境を変えよう」というメッセージを込めたと話す。母の裕子さんに、子育てで心掛けたことを詳しく聞いた。
安心できる場にするために、学校とはケンカしない
―本の中で印象的だったのは、「発達障害の特性のある子どもを育てる一番のポイントは、学校や先生とはケンカをしないこと」と断言されていることです。この意図をもう少しお聞かせください。
わが家と他のご家庭の子育てで一番違う点は、とにかく学校からの連絡が多いことです。正直に言えば、時には呼び出された上に息子を問題児だと非難され、憤りを覚えたこともあります。でも、私は感情的な言動は極力控え、学校や先生とは良い関係でいようと心掛けていました。
なぜなら、親である私の最上位目標は「子どもの成長」であり、そのためには幹之佑が一日で一番長く過ごす学校を、安心・安全の場にする必要があるからです。親が学校や先生と対立していては、息子が安心して学ぶ場所にはなり得ません。むしろ、親は子どもの後方支援にまわり、学校や先生と何でも心置きなく相談し合える関係を築く必要があると思います。
ですから、私は幹之佑が問題を起こして呼び出されても、学校や先生とより深く対話ができるチャンスと、ポジティブに捉えていました。また、息子の前では学校や先生を悪く言わないようにと、夫とあらかじめ約束していました。
―しかし、保護者として学校に要望しているのに、なかなか改善されないこともあったと思います。怒鳴り込みたくなることはありませんでしたか。
そんな時は「大きな声」ではなく、「小さな声」を繰り返す方が伝わる気がします。発達障害の子どもとその保護者は、常にできないことの壁にぶつかっていて、たくさんの悩みや苦しみを抱えています。それを、一気に全部解決しようとして一度にぶつけたって、先生は戸惑われるだけでしょう。まずは学校や先生と信頼関係を築いて、何度も対話しながら一つずつ、小分けにして今できそうなことから確認し合っていけば、たいていの場合、先生方もちゃんと考えてくださりました。「先生に話を聞いてもらえない」という悩みをお持ちの保護者の方は、伝え方も工夫してみるとよいかもしれません。
それから、よく「外れの先生」に当たったとおっしゃる保護者の方がいます。私は幹之佑が問題児だと決め付けられるととても苦しかったので、同じような決め付けを先生や誰に対してもしないように心掛けました。見方を変えれば、「ハズレの先生」がいるなら「ハズレの保護者」もいるということになるからです。
そんな不毛の対立をしたって、子どもは大人への不信感を強めるだけではないでしょうか。同じ労力と時間を費やすなら、将来のわが子に対して、トラブルの際にどういう対応をする大人になってほしいかを、親が行動で示すことが大切だと思っていました。
「目的思考」を持てば、取るべき行動は見えてくる
―逆に、発達障害のあるお子さんの保護者の中には、毎日トラブルだらけで、気後れして学校や先生に要望を言いづらい方もいるようです。要望を伝えつつ、学校や先生とも良い関係を築くというのはとても難しいことにも思えますが、アドバイスはありますか?
私も、「息子が迷惑ばかりかけて、学校や他の保護者の皆さまに申し訳ない」と引け目を感じていた時期が長かったです。でも、「子どもの成長」という最上位目標から考えれば、わが子の後方支援ができるのは保護者しかいないのです。
幹之佑の恩師である東京都千代田区立麹町中学校の元校長である工藤勇一先生は、「目的思考」の大切さを常に説いていらっしゃいました。息子は「目的と手段を間違えるな」という工藤先生の言葉で、自分の不安な気持ちを表すためにトラブルを起こすという行動が間違いであることに気付くことができました。
こうした息子の変化に、保護者である私自身も「目的思考」の大切さを痛感することができました。例えば、子どもが忘れ物ばかりして困っていると先生から電話があった時、保護者は非常に動揺します。子どもを頭ごなしに叱りたい感情が湧いたり、忘れ物をしやすい特性を理解してくれない先生に不満を感じたりするかもしれません。けれども、保護者が「目的思考」を持つことができれば、「何のために先生は電話をくださったのだろうか」という視点で考えられるのです。
子どもを叱ってほしいということではなく、問題行動を減らすために家庭でも協力してほしいという先生の目的が理解できれば、手段をどうするか子どもと話し合うことができます。
そもそも「なぜ忘れ物をしてはいけないのか」ということについて、保護者は子どもとだけでなく、先生と話し合う機会にもできるのです。「目的思考」で考えれば、学校は学ぶための場所で、忘れ物をすると学びが妨げられるからということになります。「何のために」が洗い出せれば、手段はいくらでも考えられます。
―学校や先生と信頼関係を築く上で、親として息子の幹之佑さんにはどんな働き掛けをしましたか?
「優先順位」を示すことを心掛けました。今の子どもたちは、学校で求められるタスクがとても多いと思います。例えば、早起きして朝ご飯をしっかり食べて、身だしなみを整え、忘れ物をせずに登校したら元気よくあいさつをして、授業に集中し、ノートをとって積極的に発言し、クラスメートと協力し合い、部活もやって…など、さまざまなことが求められます。特性のある息子には、「このくらい当たり前」「みんなしていること」は通用しませんから、すべてをこなすのは不可能です。だから、行動の見通しを立てるために、「これだけはやろう」という優先順位を示すようにしました。
また、幹之佑の言葉から学校や先生をイメージできるように、学校には積極的に足を運ぶようにしていました。例えば、息子がある先生に怒られたという話を聞いた時に、あらかじめ先生を存じ上げているかどうかで印象は大きく変わります。学校やクラスの空気、授業の雰囲気、先生の普段からのお人柄は学校公開などの機会に足を運べばこそ、体感できる部分も大きいです。
保護者は子どもの話を聞いて、思い込みで物事を判断したり、決め付けたりしないように、子どもの頭や心の中にある学校や先生、クラスメートのイメージはどんなものになっているのか、普段から時々確認することも大切だと思います。
「助けてください」と言える勇気を身に付ける
―かつての西川さん親子のように、発達障害の特性で困難や悩みを抱えている当事者やサポートしている保護者の方に伝えたいことはありますか?
息子には、困ったら学校のいろいろな先生に遠慮なく聞きに行くことをいつも勧めていました。
同時に、主治医の先生やクリニックのカウンセラーの先生、スクールカウンセラーの先生、発達支援士の先生など、悩みを打ち明けられる人や場を作るようにも心掛けました。
自立というと、一人で何でもできることが求められるように思いがちですが、特性のある子どもたちの子育てには、保護者も本人も困った時に「助けて」と言える人や場所をどれだけ多く作れるかが大切だと学んだからです。
ご自身も車いすでの生活を送られている東京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎先生は「自立とは依存先を増やすこと」とおっしゃっています。たった一人にしか依存できなければ、寄り掛かられる側も荷が重過ぎて支え切れなくなってしまいます。
相談できる場所や人を増やすことは決して甘えではないことを、一人でも多くの子どもたちや保護者の皆さまにお伝えしたいです。
また、私たちが積極的に相談することで、特性で悩む多くの子どもたちを取り巻く環境そのものもよくなると思っています。文部科学省の調査によると、公立小中学校で発達障害の可能性のある子どもは約8.8%といわれています。35人クラスなら3人ほどいることになります。学校にはわが子だけでなく、他にも困っているお子さんがいる可能性が高いです。一人で抱えずに、先生と対話することで、わが子以外の他のお子さんが助かる道が開けることもあるのだと思います。
凸凹を持つ子どもたちの良きロールモデルは、決して完璧な親ではありません。子どもたちにたくさん失敗を見せてあげられ、共に悩み、笑える、そんな人間らしさがある大人の方が子どもたちも安心するはずです。時には子どもをかわいいと思えなくなってもよいのです。
さまざまな感情や気持ちを隠さずに、お子さんと伝え合い、時間をかけることで家族になれるのではないでしょうか。保護者ができることには限りがあります。息子の笑顔は、息子が人生で出会った数多くの皆さまから頂いた優しさの結晶です。助けを求めることは勇気ある行動であることを、どうか多くの方に知っていただきたいです。
西川 裕子(にしかわ・ひろこ) 新潟県三条市生まれ。高校3年時に母の看病のため大学受験を断念。母の回復に伴い、東京都内予備校の寮に入りながら受験をする。駒沢大法学部法律学科卒。夫は渉外弁護士の西川高幹。2002年に長男・幹之佑が誕生。ADHDとASD、LDの特性のある息子の子育てを通じ、東京都千代田区立麹町中学校長を務めた工藤勇一氏やあいクリニックの西松能子医師、魚山秀介帝京大教授など数々の貴重な出会いを得て、特性のある子どもへの理解を深める。現在は、発達障がいの子育てに関する講演、メディア出演なども行っている。2児の母。
西川 幹之佑(にしかわ・みきのすけ) 新潟県三条市生まれ、東京育ち。幼稚園中退。東京・麹町中学校、英国・帝京ロンドン学園卒。現在、帝京大法学部政治学科在学中。ADHDとASD傾向、LDがある。麹町中在学中、当時校長だった工藤勇一氏に出会い、「自律」という考え方を学び人生が一変する。自分のように苦しむ発達障がい児の役に立てることがあると考え、2022年2月に『死にたかった発達障がい児の僕が自己変革できた理由 麹町中学校・工藤勇一先生から学んだこと』を上梓(じょうし)。大きな反響を呼んだ同書は4刷を重ねている。