女子ソフトボールの次世代競技力向上と五輪競技復帰を願って企画されたUTSUGI CUP U15国際大会が6月3、4日に群馬・高崎市ソフトボール場で行われ、日米など6カ国の十代が熱戦を展開した。決勝で日本と米国が投手戦を展開し、タンザニアの奮闘に球場が一体となるなど、東京五輪とコロナ禍を経て新たな世代が動きだした。10月には東京で第1回U15ワールドカップ(W杯)が開かれる。
コロナ禍を越えて集まった6カ国
この大会は、元日本女子代表監督の宇津木妙子さんと高崎市などでつくる実行委員会が企画・主催し、2020年の予定だったのが、新型コロナウイルス感染拡大による延期を経て実現した。U15の最上級生となる中学3年生は、小学6年生の時にコロナで試合ができなかった学年で、外国チーム相手に自分たちの力を試せる舞台にもなった。
第1日はA組(日本、メキシコ、タンザニア)とB組(米国、中国、イタリア)に分かれて1次リーグを、2日目は順位決定戦を行い、A組1位(2勝)で勝ち上がった日本は決勝でB組1位の米国と対戦し、延長六回タイブレークの末、0-1で敗れて準優勝だった。
イニングは5回、投本間の距離は11.58メートル(一般女子は13.11メートル)。決勝の米国は右腕メイシー・ブライアントが102キロの速球とライズボール、チェンジアップを投げ込み、日本打線に五回まで出塁を許さず9三振を奪った。
日本も吉良優里(大阪イーリス)―梶目莉空(広島プリンセス)の継投で米国打線を1安打3四死球、無失点に抑え、延長タイブレーク(無死二塁から)に入った。
ここから3人目の長友彩莉(ハッピーフレンズ)を投入したが、犠打野選や暴投が絡み、無安打で決勝点を許す。六回裏はブライアントの前に3者三振に倒れ、反撃はならなかった。
両軍1安打の攻防、日本の打撃に課題
東京五輪金メダルチームの主砲だった山本優・U15日本代表監督は「アメリカの投手がすごかったけど、日本の投手もよく投げてくれた」とねぎらう。長友も続くピンチに踏ん張り、最少失点で食い止めた。
打線は最後までブライアントの球に当てるのも難しかった。山本監督は「この距離であの球では、私たちが打っても難しいかも」「(一般の)トップ代表にも入れそうなレベル」と相手投手の力にうなる。
打者に出した指示は速球狙いだった。この試合だけを考えればチェンジアップ狙いもあり得たが、「育成の年代なので、思い切ってできる方が大事かなと思って」。国際大会で勝つ力をつけるには、外国人投手の速くて威力のある球に強い打者を育てなければならない。
主将で捕手の加減夢華(佐賀女子高)は「投手陣が何度もピンチを乗り越えて、最後は自分が後ろにそらしてしまった(記録は暴投)けど、チームの雰囲気はとても良かった。だんだんレベルアップできると思う」と話した。
先発の吉良は「パリ五輪を見て勉強したいと思っていたので」と五輪からの除外を残念がったが、将来の復活へ向けて同世代の米国相手に力を試す場になった。「アメリカの選手は体格がいいので、自分たちは技術で勝っていきたい。私はコントロールを良くして抑えていきたいです」という。
今回は集合して間もない状態で、山本監督はこれから「打線にしっかり課題を置いて、ポジションも少し動かしていきたい」という。6月13~17日にU15アジアカップ(台湾)があり、10月21~29日には東京の大田スタジアムなどでW杯がある。
タンザニアのアウト一つに球場一体
大会を盛り上げたのはタンザニアだった。3試合とも3回コールド負け。計61点を取られ、攻撃は1人も出塁できなかったが、懸命にバントを試みる姿や打球を追う姿に、チームの世話をする人たちや観客が一緒に一喜一憂した。
数年前から青年海外協力隊などで赴いた日本の人たちが用具や技術を持ち込み、今は毎年「タンザニア甲子園」と呼ぶ野球とソフトボールの大会も開かれているという。
とはいえ、まだ女性がスポーツをすることは厳しい目で見られ、けがをすると家事ができなくなるなどの事情もある。プレーできるのは比較的恵まれた家庭の子どもたちで、競技人口が少ないため今回は15歳以下に限定しないトップチームが招かれ、十代後半の選手が多かった。
普段の練習は週2回。今回は特別に2週間、合宿してきたという。凡フライをなかなか捕れない選手もいる中で、遊撃手のアーネスタ・ペトロはグラブさばきやスローイングがさまになっていて、動きも素早かった。初めて経験する人工芝のグラウンドは「(バウンドが)滑らかでとっても伸び伸びできた」という。
イタリアとの5位決定戦の二回には、外野手にファインプレーが出て相手の長い攻撃を終わらせると、大歓声と口笛がこだました。
21年からコーチをしている本澤雄太さん(37)は「ゴロを捕れない、一塁へ投げられないところから始まって、この2日間は、自分たちの力でアウトをとれるようになった」と感無量の面持ちだった。
試合の後は、イタリアの選手を呼んで踊り始め、観客も手拍子と口笛で参加。エンドレスかと思わせるほど、国際大会ならではの光景が続いた。主将のマジュマ・ウレディは「初めて日本に来て、観客も素晴らしかった。もっといい選手になって、また日本へ来ると約束します」と力強く話す。
10月に東京でW杯、直前に決まる28年五輪
女子ソフトボールの五輪復帰には、以前より日米の力が抜け出て競技力が均衡でないのが一つの課題だが、東京五輪では他の国・地域のレベルアップが顕著だった。世界的な普及度も途上ながら、こうして少しずつファミリーの広がりを感じさせる。
宇津木さんは「例えばゴロを捕った時の喜びや達成感を、会場のみんなが一体となって感じてくれた。これがソフトボールの原点だと。五輪復活に向けて、強化とともにソフトボールの魅力を世界に発信していきたい」と語った。
28年ロサンゼルス五輪の追加競技は10月の国際オリンピック委員会(IOC)総会で決まる見通しで、女子ソフトボールが採用されれば、その直後のU15W杯では、いっそう目を輝かせた選手たちの熱戦が見られそうだ。(時事通信社 若林哲治)