多くの日本人にとってなかなか慣れない米国文化といえば、レストランやタクシーで求められるチップだろう。もともと低賃金で働くウエーターらの生活を支えるために根付いた制度だが、最近はファストフード店やコーヒーショップといった、接客をほとんど伴わない業態でも電子的に支払う「デジタルチップ」の導入が拡大。セルフレジが要求するパターンも登場しており、客側の困惑も広がっている。(時事通信社ニューヨーク総局 武司智美)
コロナ禍で浸透進む
ニューヨーク・マンハッタンにある某ハンバーガーチェーンの店舗で、チーズバーガーとフライドポテトを持ち帰りで注文すると、クレジットカード払いの端末に「チップを選んでください」と表示された。選択肢は「5%」から「20%」までのほか、「その他」と「なし」。カウンター越しに店員がこちらを待っている。10%を選ぶと、会計は売上税も含めた総額で19ドル(約2600円)弱になった。
こうした積極的にチップを求める慣行は、キャッシュレス決済の普及に加え、新型コロナウイルスの感染拡大で打撃を受けた飲食業界を支えようという機運を背景にじわじわと浸透。スターバックスも昨秋に導入した。一部の食料品店やクリーニング店のほか、まったく店員との交流がないようなセルフレジの店でも取り入れるようになってきているという。
赴任して1カ月と日が浅い筆者も、別のファストフード店を利用した際にセルフレジからチップを求められた。ニューヨークで働く米国人女性は「最近はどこもかしこもチップを要求してくる」とあきれ顔だ。
20%程度のチップがマナーとされるレストランとは違い、ファストフード店などでは従来、レジの横にある瓶にお釣りを入れれば十分な善意とみなされた。こうした昔ながらの風景と、決済端末が毎回チップ額の選択を迫ってくる現在とでは、客が受ける印象は大きく異なる。米メディアは、店からの圧力を感じて仕方なくチップを支払う現象を「罪悪感からのチップ」と呼び、人々が「チップ疲れ」を起こしていると指摘する。
人件費を肩代わり
チップは、19世紀の南北戦争後に奴隷から解放された黒人労働者を低賃金で雇うために導入された仕組みが始まりとされる。この名残で、レストランや接客業の雇用主は最低賃金未満で従業員を働かせることが現代でも認められ、差額は客からのチップで埋めることが想定されている。一部の州ではウエーターらの時給を2ドル(約280円)程度に抑えることが可能で、彼らは生活費を稼ぐため、チップに頼らざるを得ない。
ただ、最近チップを導入し始めた業態の労働者はこの制度の対象外だ。例えば、ニューヨーク市内のファストフード店の最低賃金は、他の労働者と同じ時給15ドル(約2100円)。スターバックスも昨年、全国で時給を最低15ドル(実際の従業員平均では約17ドル)にまで引き上げた。
この問題に詳しい南フロリダ大学のディパヤン・ビスワス教授は米ラジオ局の取材に対し、「企業はチップについて、客にもっとお金を払ってもらうための良い方法だと考えるようになった」と説明。さらに、「インフレが進んでいる中で賃金の上昇が追いついておらず、企業はチップでその不足分を埋めることを期待している」と分析した。つまり、本来は雇用主が負担すべき人件費の一部を客が肩代わりさせられているということだ。
アップルストアも?
実際にスターバックスは、賃上げを求めていた労働組合の希望を反映して新たなチップの仕組みを導入した。また最近では、米国内のアップルストアで初めて労組を結成した東部メリーランド州の店舗の従業員が、賃金の増額とともに客からチップを受け取れるようにする制度改正を要求したことが報じられている。
この状況がさらに進めば、米国では800ドル(約11万1500円)の「iPhone(アイフォーン)」や1000ドル(約14万円)の「Mac(マック)」を店舗で購入する際、こんな質問が投げかけられるようになるかもしれない。「チップは10%?20%?30%?」(了)
◆時事速報より加筆・修正して転載。時事速報のお申し込みはこちら◆