右四つ、左上手の得意の形になれば、持ち前の怪力を存分に発揮。相手を軽々とつり出すなど、豪快な取り口を披露した。右膝の大けがを乗り越え、大関の座も手にした栃ノ心が大相撲夏場所6日目の19日に現役を引退。ジョージア生まれの35歳は、日本の文化を愛した関取だった。(時事通信運動部 三浦良久)
「日本の心」
栃ノ心のしこ名は、師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)が「日本人以上に日本の心を持ってほしい」と願ってつけた。本人は「最初は意味も分からなかった」と振り返る。
幕内上位に定着し始めた頃の2013年7月の名古屋場所、取組で右膝に重傷を負った。三役経験者ながら、幕下まで番付を落とし、若い衆と同じ黒まわしを着けて黙々と四股を踏み、汗を流した。
右膝の手術を受けて退院した後、体重が20キロほど増えて、キャベツの千切りとリンゴばかりを食べて減量したこともあった。「辞めたら、2度と力士になれないし、他のスポーツもできない」。そういった覚悟が支えに奮起した。関脇で迎えた18年初場所、こうした努力を初優勝につなげた。
師匠の涙
192センチ、170キロほどの恵まれた体格。うっすら腹筋が割れて見えるほど、体幹の強さが際立っていた。相手の当たりにびくともすることなく、得意の形に持ち込んでは白星を重ねた。当時は白鵬、稀勢の里、鶴竜の3横綱が在位。栃ノ心の兄弟子に当たる関取に「今の相撲界で最強ではないか」と尋ねると、「私もそう思う」と返ってきた。
元横綱日馬富士の暴行事件で日本相撲協会が揺れる中、理事として奔走していた師匠の春日野親方にとっても、万感の賜杯獲得。こわもての親方が珍しく、人前で涙を流した。18年夏場所後に大関昇進。新大関として初日から5連勝した同年7月の名古屋場所、強引な小手投げを食って右足親指を痛めなければ、さらなる飛躍も期待できただろう。
部屋の伝統
元横綱栃木山が興した春日野部屋は、栃錦、栃ノ海と元横綱が継承。今に至るまで、出羽海部屋とともに角界の本流として、相撲協会を支えてきた。
栃木山は3場所連続で優勝した後、力士人生に別れを告げ、栃錦も1960年春場所千秋楽で、「土俵の鬼」と呼ばれた横綱初代若乃花との全勝相星決戦で屈した翌場所、初日から2連敗を喫して引退を決断した。
栃ノ心は今年1月の初場所で左肩を痛め、十両への転落が免れない状況になった。幕内優勝と大関の経験者だ。部屋の伝統もあり、関係者らが、これ以上、恥ずかしい思いをさせたくないと考える中、現役続行に対する本人の強い意志を尊重した。
「きれいな心」
夏場所は、初日からほとんど相撲にならずに5連敗。ただ、引退届の提出を先延ばしにすれば、7月の名古屋場所の新番付発表までは十両の地位が保たれ、相撲協会からは給与が支給された。
日本には「恥の文化」があると言われる。栃ノ心は引退会見で「こんな相撲を見せるのが恥ずかしかった」と言った。土俵生活の最後にも「日本の心」を示した。
春日野部屋には、幕下上位で十両昇進を目指す弟弟子が数多くいる。しばらくは、稽古場で胸を出すそうだ。「これからも、きれいな心を持って生きていく」。今後への決意をこう表明した。