われわれの生活にとってなくてはならないインフラとなったインターネット。だが、巨大IT企業による個人データの囲い込みのほか、プライバシーの侵害、フェイクニュースの氾濫など、現在のネット社会はさまざまな課題を抱える。これらに対する一つの解として日本政府が取り組んでいるのが「トラステッドウェブ」と呼ばれる信頼を重視した次世代ネット社会の基盤の構築だ。(時事通信経済部 岩嶋紀明)
【目次】
◇「巨大IT依存を変える」
◇自分のデータは自分で
◇データ活用の基盤に
「巨大IT依存を変える」
「巨大ITが国よりも権限を持ってしまっている。それに依存しないとオンラインでの生活ができない状況を変えていかないといけない」―。こう問題意識を語るのは情報管理サービスを提供するデータサイン(東京都)の太田祐一社長だ。太田氏は政府が設置したトラステッドウェブ推進協議会のメンバーを務めている。
現在われわれが利用するSNSやオンラインモールといったサービスは、多くが巨大ITなど特定の企業が用意したプラットフォームだ。利用者の性別や職業といった属性情報、どういったページやコンテンツを閲覧したかなどの個人データは運営企業やネット広告配信企業などに収集され、サービスの改善やターゲティング広告に活用される。ただ、データがどのように管理・利用されているかは外部から検証が難しく、現状では利用者は企業を信用するしかない。
また、オンライン上で活動する際に「自分は自分である」ことを証明するID管理も巨大ITなどに依存している。SNSやオンラインストアで自分が自分であることを証明する手段は、プラットフォームから付与されるアカウントが主だ。
これらは政府がトラステッドウェブで解決しようとしている課題の一端だ。政府の内閣官房デジタル市場競争本部が中心となり、2020年10月に推進協議会を設置して議論を開始。22年までに2度白書を策定し、トラステッドウェブに必要な技術や要件の整理を進めている。30年にインターネット全体で導入することを目指し、昨年から民間企業や大学の参加を募り、実装に必要な技術やモデルを決めるための実証事業を始めた。
自分のデータは自分で
このような課題に対し、巨大ITのような特定の管理者に依存しない「分散型識別子」と呼ばれる技術を使い、個人データを利用者自らが管理するのがトラステッドウェブの提案の一つだ。信頼する企業やサービスにのみ情報を提供できるよう個人がコントロールできる範囲を増やす。
データサインは昨年からネット広告の分野でトラステッドウェブの実証事業を行い、社会実装の可能性を探った。事業ではまず、利用者がブラウザーの拡張機能を経由して分散型識別子を発行。また、中立な審査機関から実在する人間であることなどの電子証明書を取得する。一方、サイト運営者やネット広告配信企業も、事前に審査機関から信頼できる企業が運営していることや、個人データの利用方法などを示す証明書を取得する。
利用者がサイトにアクセスした際、利用者は証明書を参照することでサイト運営者らの実在性や信頼性を確認でき、逆にサイト運営者らは利用者がボットと呼ばれる閲覧数の水増しなどに使われるプログラムでないことを確認できる。その上でサイト運営者らは分散型識別子に結び付いた個人データを参照して利用する。利用者は識別子をいつ誰が参照したかを事後的に確認し、不審な点があれば許可を取り消すこともできる。
この基盤ができることにより、利用者、サイト運営者、広告事業者などがそれぞれ互いを信頼し合い、サイトを利用したりデータをやりとりしたりできるようになる。審査機関の中立性をどのように担保するかなど実現に向けた課題も多いが、太田氏は「制度設計を行い、トラステッドウェブのような仕組みを技術的に運用可能であるということは確認できた」と自信をのぞかせる。
データ活用の基盤に
トラステッドウェブでは個人データを守ることのみならず、ネット上でやりとりされる情報やデータの信頼性を高めることも重視する。フェイクニュースの氾濫はオンライン上での言論や人々の認知をゆがめ、民主主義の健全な発達を阻害する恐れがある。また、近年飛躍的に発達している人工知能(AI)の学習には大量のデータが必要となるが、その中に信頼できないものが含まれていればAIが間違った結果を提示する恐れがあり、データの産業利用の面でも信頼できるネット基盤の構築は喫緊の課題だ。
政府はこれらの課題への対策を含め、今年度も実証事業の公募を始めている。推進協議会のメンバーでもある東大大学院情報理工学系研究科の橋田浩一教授はトラステッドウェブの仕組みをつくることについて「データの集中管理によって起きるミスや悪意による不正利用、デジタル監視主義といった弊害を防ぐことができる」と意義を強調。また、利用者と事業者が互いを信頼し合い、データの流通性や信頼性が高まることで「サービスのクオリティーが高まったり新しいビジネスの創出につながったりする」と期待する。
(2023年5月17日掲載)