来日1年目ならではの苦労も経験しながら、奮闘を続ける。プロ野球西武のデビッド・マキノン内野手(28)は、5月21日時点でチームではただ一人全試合に出場し、本塁打は同僚の中村剛也内野手らリーグトップに1本差の7本。主に5番や4番の中軸を任され、リーグ4位タイの21打点をマークしている。調整方法や使うバットが独特な一方、真摯(しんし)な姿勢で日本野球に向き合っている。(時事通信運動部 岩尾哲大)
グリップエンドに特徴
打撃練習の際に、右足でマットを踏んで打つことがある。米国のホームセンターのような店で購入し、値段は「5枚で800円ぐらい」の代物。これを使って、軸となる右足の動きを確認する。「打ちにいく時に、ちゃんと体重が乗っかっていれば滑ることはない。打ちにいった時に後ろ(かかとの方向)に滑らせるようなイメージが理想の形。それを意識するため」と解説した。
バットはグリップエンドのくびれが一部分にしかなく、それがややトップの方向に傾いている形状の物も使う。左の手のひらがすれるのを避けるためという。操作性の向上を意図しているわけではないそうだが「自分は右利きで右手が強く出てしまうので、(このグリップエンドだと)左手をうまく抜けるのかな。でもそのために使っているわけではないよ」と丁寧に説明した。
吉田正尚にシンパシー
開幕当初は初顔合わせの投手との対戦が続く。「チームが変われば、また新しいピッチャーが出てくる。(開幕カードの)オリックスならオリックスの投手陣の攻め方があり、日本ではこういう攻め方をするのかと思ったら、(2カード目で)仙台に行くと、楽天の投手陣はまた全然違う攻め方をしてきた」。オープン戦を経ているとはいえ、やはり公式戦とは別物。チームごとの配球の傾向も把握しなければならない。
4月下旬には自身のツイッターで、米大リーグ移籍1年目で苦戦していた吉田正尚外野手(レッドソックス)について「見たことがない投手と対戦するのがどれぐらい大変なことか、分かっていない人が多過ぎる。吉田はきっと大丈夫」とつぶやいた。このツイートをしたのも、来日1年目の自分とシンパシーを感じてのことだった。その後、吉田は安打を量産。「予言」が的中したような格好になり、「すごく早く対応したなという気持ち」とたたえた。
試合後にも練習
5月上旬のある日、本拠地でのデーゲーム終了から約2時間後、マキノンが通訳の球団ヘッド国際サポート、町田義憲さんとベルーナドームに戻ってきた。隣接する球団施設で打ち込んだ後だった。成績が下降していた時期で、その日も無安打。「相手ピッチャーより自分の問題。始動が遅れて、速い球に遅れてしまったり、左肩が早く開いてしまったりということがあったので」。それを修正しようと、いわば試合後の「特打」を試みた。「ナイターの後はさすがに行かないかな」と笑うが、デーゲーム後は自主的に居残り練習に向かうことがある。
「(日本に来たばかりでも)すぐに対応して、成功する選手もいるかと思う。自分はどういう風にすれば成功できるのか、試行錯誤しながら見つけていく大切さを感じている」。だから、ともすれば愚直に、熱心に、より良いバッティングを探っている。
調子の波があっても
5月6日の敵地でのオリックス戦で、六回に山本由伸投手から2ラン。その前の打席では2球で追い込まれながらも四球を選び、復調のきっかけをつかんだという。この日から3試合連続で複数安打を放ったが、その後は調子の波もあった。
直近の敵地でのソフトバンク3連戦では19、20日と2試合続けて無安打。翌21日の試合前、嶋重宣打撃コーチと話し込み、左の股関節の開きについて助言を受けた。「開いてしまうと、外の球が打てなくなってしまう。自分のフォームでは左の股関節が開かずにしっかり残るのは大切なこと」。その日の試合で四回、外寄りの球を流して右前打とした。「いいヒットになった。一日を通して感触はすごくいい感じだったので、このまま継続していけたらいい」と前向きに語った。
大谷翔平の打撃も指針に
昨年はマイナーリーグだけではなく、米大リーグのエンゼルスとアスレチックスでもプレー。2月の入団会見では、同い年の大谷翔平選手について「今世紀を代表するようなスーパースター。リトルリーグでやるようなことをメジャーリーグのレベルでやっている。彼のような選手と一緒にプレーできてよかった」と話していた。「打つ時に体を開かないというのを(大谷は)すごく意識している。彼がどういう意識を持って打席に立っているのかを近くで見ることによって、自分がやっていること、やろうとしていることが間違っていないのか再確認できた」。右打者と左打者の違いはあれ、技術的な指針にしていた。
その前には野球ができない時期も経験。2019年に右膝に大けがを負い、ほぼ1年を棒に振るような形になったという。20年は新型コロナウイルス禍。ようやく野球がしっかりとできるようになったのが21年で、昨年初のメジャー昇格。そして今年、日本球界にやって来た。
曲のタイトルに重ね合わせ
本拠地球場で打席に入る際の登場曲は「Return of the Mack」。直訳すると「マックの復帰」。自身のニックネームは「マック」。けがから復活した自分をタイトルに重ね合わせている。
「開幕して1、2カ月、状態の上がり下がりもあった。ここから調子を上げていけるように、しっかりやっていきたい」。誰もが常に好調を維持できるわけではない。成績が落ち込むこともあるかもしれない。そんな時でも、誠実に「試行錯誤」を続けていく。そして思い入れのある曲に心身を奮い立たせ、マックは打席に立つ。