デヴィッド・バーナード監督
輝きに満ちた至高の名演
「史上最高のギタリスト」とも称されるエリック・クラプトンの映画が新たに作られた。デビュー60周年に合わせた作品だが、キャリアを振り返るような形ではなく、1990年と91年に英国のロイヤル・アルバート・ホールで行われた公演から17曲を選んで編集。脂の乗り切った名演がそろい、まぶしい輝きを放っている。(時事ドットコム編集部 冨田政裕)
同公演は一部の音源が過去に音楽CDでリリースされており、演奏面の評価は極めて高い。今回4Kの高画質で編集した映画は、クラプトンの記念碑ともいえるこのステージが持つ視覚的な魅力も存分に味わえる。
大きな会場では観客席からステージまで距離があるため、演奏者の表情など細部はほとんど見えない。しかし実際のステージは、さまざまな動きや感情に満ちている。この映画は多彩な角度から撮影した映像を時には二つ、三つと組み合わせることによって、会場の各所で生まれる鮮やかな瞬間の数々を立体的に再現している。
たとえば4人編成で演奏した「レイ・ダウン・サリー」。ベースとキーボードの奏者が途中で演奏をやめ、一つのマイクを挟んでコーラスを始める。支え役に回ったクラプトンはギターで巧みにリズムを刻み、美しい響きを次々と誘い出す。コーラスの二人から思わずこぼれる笑み。こうした瞬間を目にする機会はなかなかない。
当時40歳代半ばだったクラプトンはギタリストという枠にとどまらず、さらに大きな表現者へと進んでいた。その象徴がオーケストラとの共演だ。デレク・アンド・ザ・ドミノス時代の名曲「いとしのレイラ」では、終盤の有名なピアノのパートに、管弦楽器の壮麗な響きとクラプトンのギターが絡む。クリーム時代の「サンシャイン・ラヴ」もロックとオーケストラをどこまで融合できるかの壮大な試みで、指揮者が髪を振り乱して演奏を引っ張り、分厚いサウンドが場内を埋め尽くしていく様子は壮観と言うしかない。
クラプトンの波乱に満ちたキャリアを振り返るとき、この公演が特別なものだったことが分かる。彼は1960年代にクリームの一員として名を上げた後、バンドの解散や音楽仲間の死、親友ジョージ・ハリスンの妻との許されぬ恋などの苦しみの中で、ヘロイン中毒に陥った。ドラッグの泥沼を脱した後は、重度のアルコール依存症に。死を思う絶望の日々から立ち直り、たどり着いたピークがロイヤル・アルバート・ホール公演だった。
十代の頃からブルースの魅力に取りつかれてきたクラプトンだけに、この公演のブルース・バンドで演奏する姿には喜びがあふれている。敬愛するバディ・ガイと向かい合った即興演奏の応酬はスリリングで、ブルースを愛する者の心の対話を聴くようだ。
そんな幸福な時間のすぐ後に待っていたのが、あの悲劇である。1991年のロイヤル・アルバート・ホール公演を終えた3月、4歳の息子がニューヨークの高層アパートから転落死。このとき深い悲しみから彼を救ったのは酒でも薬物でもなく、やはり音楽だった。亡き息子への思いを歌った名曲「ティアーズ・イン・ヘヴン」を生み出し、ブルースアルバムの傑作『フロム・ザ・クレイドル』をリリースするなどして徐々に力を取り戻していった。
この映画にはオーケストラと共演した「クロスロード」も収録されている。クラプトンに大きな影響を与えたブルースマン、ロバート・ジョンソンの「クロスロード・ブルース」を下敷きにしたクリーム時代の名曲だ。若き日のクラプトンが古いブルースにロックという命を吹き込んだとき、オーケストラで演奏される日が来るとは思いも寄らなかったことだろう。
クラプトンの創作活動は2000年代に入った後も続き、アルコールやドラッグ依存症患者の治療支援などにも尽力してきた。この4月には78歳で来日し、日本武道館での公演回数がついに100回を超えている。波乱に満ちた人生をギターとともに乗り越えたレジェンドの長い歩みに思いをはせる。あたかもロックとブルース、クラシックが十字路で出会ったような日の輝きが、この映画に記録されている。
※6月9日(金)から順次全国で公開
(2023年6月2日掲載)
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